第十二章 A級戦士 レオンティス
「ファレンナ! 約束どおり、A級になりました! 僕と結婚してください!」
若い勇者が、その場に勢いよく片膝をついた。ポケットから精巧な木彫りの指輪を取り出し、幸せいっぱいの顔で、ファレンナという少女を見上げた。
「レオンティス……あんた……あんた……」
少女は驚きのあまり、言葉が出ないようだった。周りを囲んだ勇者たちも、口々にはやし立て、歓声を上げていた。
「頭おかしいんじゃない? こんなしょぼい場所で、私に結婚を申し込むわけ?」
……うちの屋台が何したってんだ? ここで求婚しろって、俺が言ったのかよ? ああ?
一気に腹が立った。色白で、いかにもか弱そうな娘なのに、何でこんなに口が悪いんだ。
レオンティスという若い勇者は、ぽかんとしていた。立ち上がっていいのか、そのまま跪いているべきなのかわからなくなったらしく、両脚がぎこちなく震え始めた。周りも、ぴたりと静まり返った。
「それに、何、それ? 木の指輪? そんなもので、私と結婚するつもり?」
ファレンナは、なおも容赦なく言った。
「あ……これ、僕が自分で彫ったんです……」
レオンティスは顔を真っ赤にした。その弱々しい声だけ聞けば、とてもA級勇者には思えない。恋に夢中な、ただの男の子みたいだった。
「誰が自分で彫れって言ったの? そんなの、いくらになるの?」
「ファレンナ、聞いてください。僕、A級になったんです。これからは、もっとお金も稼げます。それに、約束したじゃないですか。僕がA級になったら、結婚してくれるって……」
レオンティスは、もう泣きそうだった。
「うるさい! A級になるのがそんなに簡単だなんて、聞いてない! 何なの、このろくでもないギルド! いい、レオンティス。ダイヤモンドもなしに私と結婚できると思わないで!」
ファレンナは、跪く若い勇者を指さし、頭ごなしに怒鳴りつけた。
これには、周りの勇者たちも黙っていられなかった。A級は、勇者を長く続けていればなれるようなものじゃない。それは、こいつらが一番よく知っている。引退するまでB級のままの奴だって大勢いるのだ。まして、レオンティスはまだこんなに若い。
「この性悪女! 何て言い草だ! レオンティスは、いつもお前のことを褒めてたんだぞ。それが、こんな金にがめつい女だったとはな!」
そばの勇者が、ファレンナに言い返した。
「あんたたち、何言ってんの、このゴリラども! レオンティス! 私がこんなこと言われてるのに、黙って見てるわけ?」
「レオンティス! お前、こんな女が好きなのか? 頭おかしいんじゃねえの!」
「レオンティス! あんた、こんなゴリラたちと友達なの? 頭おかしいんじゃないの!」
「レオンティス!……」
「レオンティス!!……」
「レオンティス!!!……」
「うわああん!」
レオンティスが、地べたに座り込んで泣き出した。
百年以上続くオストランド勇者ギルドの歴史の中で、こんなことで地べたに座って大泣きした勇者は、こいつが初めてなんだろうか……。
ファレンナは、上等そうな薄絹のスカートの裾を持ち上げ、つかつかと立ち去った。
勇者たちも茶代の銅貨を置き、レオンティスに嫌そうな目を向けながら、次々と散っていった。
「店主さん! うわああん!……」
レオンティスが、いきなり俺の脚にしがみついて泣き続けた。
「お前、頭おかしいんじゃねえか? 鼻水! おい! 鼻水! お前、A級だろうが!」
振りほどくまで、ずいぶんかかった。
屋台がここにある以上、俺は逃げられない。おかげで、その日の午後はずっと、レオンティスとファレンナの恋の話を聞かされる羽目になった……。
幼なじみだの、昔はあんなに好き合ってただの、ある日突然、彼女が金のことばかり気にするようになっただの。まあ、王都のどこの酒場でも聞けそうな、ありふれた恋の話だった。
「僕のファレンナ……店主さん、あの子、どこかのお金持ちの息子さんを好きになっちゃったんでしょうか……」
レオンティスは、テーブルにだらりと上体を預けていた。目の周りはもう腫れ上がり、顔には乾いた涙の跡がこびりついている。
「俺が知るか。もう、いい加減にしろよ」
何とかして、このテーブルを離れなければ。このままじゃ、午後が丸ごとこいつにつぶされる。俺は振り返って辺りをよく見回し、逃げ出すきっかけを探した。
ちょうど、テーブルを一つ挟んだ向こうで、勇者たちが話に花を咲かせていた。一人が何かを手に持ち、ほかの連中に自慢している。
「おい! 何だ、そのいいものは!」
袖をつかんでいたレオンティスの手を振りほどき、俺はそちらのテーブルへすっ飛んでいった。
連中は一瞬きょとんとしたが、すぐにどっと笑った。
「何だよ、店主もこういうものに興味があるのか?」
そいつが、手にしたものを俺の前で振ってみせた。
そこでようやく、何なのかわかった。実に精巧な、真鍮のアストロラーベだ。盤面には精緻な彫刻が施され、外周の真鍮の縁には透かし彫りまである。その内側には、きれいな石がぐるりとはめ込まれていた。
確かに、見事な出来だ。だが、冒険や旅に出る奴が、野外で方角を確かめるための道具だろ。俺がこんなものに興味を持つかよ。今はただ、レオンティスから逃げられるなら、何だってありがたいのだ。
「うわ、すげえ細工だな! この真鍮のアストロラーベ、いくらしたんだ?」
俺は、いかにも興奮したふりをした。
勇者は、ますます得意になった。
「だろ? 店主も、いいものだと思うだろ? ちょうど、こいつらにいくらだったか当てさせてたんだ」
そいつは得意げに目を上げ、袖口で盤面をそっと何度か拭いた。
「それだけの細工なら、銀貨七十、八十枚はするだろ?」
一人が、思い切って値をつけた。
「もっと安い。さあ、もう一度」
そいつは得意げに鼻を鳴らした。
「え? もっと安いのか? 銀貨六十枚?」
別の一人が言った。
「まだまだ」
「じゃあ……銀貨……四十枚?」
「仕方ねえな。教えてやる。銀貨二十二枚だ」
得意の絶頂といった顔で、そいつはアストロラーベを持ち上げ、太陽の位置に合わせてかざした。
「嘘つけ。一流の職人の仕事だって、一目でわかるぞ。はめてある石だけでも、銀貨十枚じゃ足りねえだろ。何で二十二枚で売るんだよ。赤字じゃねえか」
信じない奴が、そう言った。
勇者はアストロラーベをポケットにしまうと、身を乗り出し、もったいぶって口を開いた。
「最近、街に行商人が増えたと思わねえか? あっちこっちで場所を変えながら、露店を出してる連中も」
「確かに、急に増えたな。昨日もルシエ広場に店を広げてた奴がいたけど、あとで治安兵団に追い払われてたぞ。それがどうした?」
隣の奴が答えた。
「聞いた話だぞ。あくまで聞いた話だが、この前、王国がいきなり通過税を大幅に引き上げたらしい。この国を通って、北のヘルレン帝国へ向かう外国の商隊は、みんな対象だ。それで、進むにも戻るにも困ってるんだと。税を払って帝国へ行けば赤字。諦めて南へ引き返せば、もっと赤字。だから仕方なく、ここで安く売り払って、そのまま商隊を解散する。それが一番損が少ないらしい。こいつも、そういう連中から買ったんだ。最初は銀貨四十五枚って言われたのを、二十二枚まで値切った」
「なるほどな。どうりで」
別の勇者が、そう言って話に加わった。
「この前、小麦の刈り入れの依頼を受けたんだ。その村、今年は大豊作でな。帝国へ穀物を売りに行く商隊が、いくつも買いつけに並んでた。豊作なら値段は下がりそうなもんだろ? それが下がるどころか、軒並み上がっててな。村からもらう報酬まで増えたんだ」
「そう、それもつながってる。帝国は毎年、大量の穀物を王国から買ってるからな。こっちが税を上げて、農家まで足元を見て値をつり上げたら、今年は帝国じゃ穀物の値段がとんでもなく跳ね上がるぞ。ただ、帝国向けの穀物を運ぶ商隊は、税が上がっても国境を越えなきゃならねえ。ほかの商品なら、こっちで売り払ってしまう手もある。だから今、この王都は掘り出し物を探すには最高なんだ。行商人のところには、何だってあるからな」
アストロラーベを買った勇者は、丁寧に説明しながら、ちゃっかり話の主導権まで取り戻した。
そいつのアストロラーベには、まるで興味がなかった。だが、掘り出し物と聞いちゃ、話は別だ。俺は尻を突き出してテーブルに身を乗り出し、口を開きかけた。そのとき、背後から声がした。
「ダイヤモンドも売ってますか?」
振り返ると、レオンティスが、泣き腫らした真っ赤な目で、期待いっぱいにその勇者を見ていた。
「ああ、そこまでは見てねえな。自分で探してみろよ」
言い終わるや否や、レオンティスは風だけ残して消えた……。
「あいつ、今日は一体どうしたんだ?」
勇者が、訳がわからないという顔で俺を見た。
「恋のせいでな……うん」
俺は重々しく答えた。
テーブルの連中はそろって「ああ」と声を漏らし、それぞれ何か思うところがありそうな顔で、レオンティスの消えた方を見つめていた……。
翌日は安息日だった。
俺は銀貨を懐に入れ、行商人を探して街じゅうを駆け回った。結局、南方産の上質な麻布のズボンを一本と、南方にいるアルパカとかいう動物の毛で織ったというマフラーを買った。全部で、たったの銀貨八枚だ。
行商人は不満たらたらの顔で、マフラーだけでも北へ持っていけば、銀貨三十枚はもらわないと売らないと言っていた。それを十五枚と言ってきたので、俺が八枚まで値切ったのだ。ズボンの方は、しつこく粘っておまけにつけさせた。
ただ、街を回っている間に、治安兵団と行商人や露店の連中がもめているのを何度か見かけた。王国も、いつまでもこんな安売りを放っておくつもりはなさそうだ。
翌朝。
俺は新品のマフラーを巻き、新品のズボンをはいて、上機嫌で店を出した。
「店主、それにはまだ早いんじゃねえか? そんなもん巻いて、暑くねえの?」
客がからかってきた。
「ほっとけ。俺が気に入ってんだから、いいんだよ」
俺は浮かれながら、手を動かしていた。
昼を少し過ぎたころ。持ってきたパンを食べ終え、マフラーについたパンくずを払い、さて働くかと思ったところへ、レオンティスがしょぼくれた顔でやってきた。
力のない足取りで屋台に入り、辺りを見回した。知り合いの勇者が何人かいるのを見つけると、そのテーブルの腰掛けにどさっと座った。
「何飲む?」
俺はそばへ行って聞いた。
「いりません……胸が痛くて……」
「飲まねえなら出てけ!」
レオンティスは顔を上げ、光のない目で俺を見た。
「店主さん……新しいマフラー、買ったんですか?」
声が震えていた。
「マフラー買うのに、お前の許可がいるのか?」
「何で僕はダイヤモンドが見つからないんですか! ああ!」
レオンティスは、両手で頭をかきむしった。友人たちはため息をつき、そろって顔を背けた。
「ダイヤモンドなら、饗宴大通りの宝石屋へ行けよ! 売ってねえわけじゃあるまいし」
俺はぶっきらぼうに言った。
「あそこは、一番安くても金貨が何枚もするんですよ! そんなの、買えるわけないじゃないですか!」
レオンティスが悲痛な声を上げた。
「あの……」
「買えねえなら依頼を受けろよ! 金を貯めてから買えばいいだろ!」
友人の一人が怒鳴った。
「あの……」
「そんな報酬の高い依頼、毎日あるわけないだろ!」
レオンティスは、なおも嘆いていた。
「あれ? 今、誰か何か言ったか?」
一人が、ふと言った。
「こほん……あの……依頼を受けてもらえますか?」
俺たちは、声のした方を一斉に振り向いた。
髪もひげも真っ白な小柄な老人が、屋台の柵の外に立ち、こちらのテーブルを見ていた。北方の人間らしい。身なりも上等だった。濃い色のビロードのズボンに、牛革らしい上着。その下にも、上等そうな生地の服を着ている。手には杖を持ち、握りの部分は何かの獣の骨のようだった。上着には金色のブローチまで留めてある。あの色つやは、間違いなく本物の金だ。
「今……何とおっしゃいました?」
勇者たちは、急にかしこまった。
「皆さん、依頼を受けてもらえますか」
老人はゆっくりと、はっきりした口調で言った。
「依頼でしたら、向かいのギルドへどうぞ」
一人が、向こうを指さした。
「行ってきました……。受付の方に、これは密輸に当たるので、ギルドでは依頼を受けつけられないと言われましてね。ただ、こちらの屋台で聞いてみてはどうかと」
勇者たちは少し驚き、すぐには何とも答えられなかった。
「ギルドが受けつけない依頼を、俺たちが勝手に引き受けるのも、ちょっと……。屋台で聞いてみろと言ったのは、どなたですか?」
一人が尋ねた。
「受付にいた、小柄で、小さな丸帽子をかぶった女性です」
俺たちは、黙った……。
レオンティスも含め、勇者たちは少し考え、互いに目を交わした。やがて、一人が口を開いた。
「では、中へどうぞ。座って、詳しく聞かせてください」
何人かが尻をずらし、老人のために席を空けた。老人は杖をつきながら屋台へ入り、ゆっくり腰を下ろした。それから、その場の一人ひとりに目を向けた。小さな目には、しっかりと光が宿っていた。
「私は、ヘルレン帝国で商隊を率いている者です。ご存じでしょうが、グラテン王国が突然、通過税を引き上げました。今のままでは、私の商隊は街道を通って国境を越えられません。ですが、どうしても帰らなければならない事情がありましてね。そこで、皆さんの中から、商隊の護衛をお願いできる方を雇いたいのです」
老人は一言一言、急がずに話した。
「馬車は何台で、人数は全部で何人ですか?」
一人が尋ねた。
「馬車は五台。人数は全部で二十人です」
「それなら、かなり大きな商隊ですね。ただ、ご存じのとおり、今は街道だけの問題じゃありません。脇道を使っても、国境の領主たちの領地を通ることになります。増税の命令は、もうそちらにも届いているでしょう。その規模では、通れませんよ」
勇者は、事情を丁寧に説明した。
老人はもう一度一同を見回し、相変わらず落ち着いた口調で尋ねた。
「皆さんの中で、一番強いのはどなたですか?」
途端に、全員の指がレオンティスに向いた。
「こいつです。A級です」
レオンティスは、きょとんとして老人を見た。老人は、その若く整った顔を、長いことじっと見つめていた。
「S級の方はいませんか」
老人はため息をつき、しばらく黙った。それから、再び口を開いた。
「北の国境は越えません。私の知っている小道があります。まず西へ向かい、カラグニア旧領に入る。王国の北にある帝国との国境を迂回して、直接、帝国領内へ抜けるのです」
その言葉に、一同が凍りついた。
カラグニアを通って、帝国へ回り込む? みんな、ぎょっとした顔をしていた。正気か? 平民の俺にだって、どれだけ無茶な話かわかる。どんな場所だと思ってるんだ。七十年前、魔王が根城にしていた土地だぞ。
魔王はとっくにいなくなったが、あそこには今も大量の魔物が残っている。たまに、探検や宝探しに行きたがる冒険者もいる。だが、冒険者だろうと勇者だろうと、奥深くまでは踏み込めない。それで、魔王との戦争が終わって七十年以上もたつのに、帝国も王国も、あの広大な土地を治めようとしないのだ。
そこへ、この老人は馬車五台、二十人の商隊を連れて入ろうという。
老人は俺たちの驚きを察し、ゆっくり説明した。
「それほど心配はいりません。カラグニア旧領の奥深くまでは入りませんので。旧領内を通るのは、長くても二日二晩です」
誰も答えなかった。みんな腕を組み、しばらく黙り込んでいた。
「その道は、ご自分で通ったことがあるんですか?」
一人が、肝心なことを聞いた。
「あります。十数年前、帝国と王国が戦争をしていたころ、私は王国にいましてね。帝国へ逃げ帰るために、一度通りました」
老人はゆっくりと、しかし迷いなく答えた。
「あの、報酬はいくらですか?」
突然、レオンティスが口を開いた。ほかの連中が、驚いてそいつを見た。
「迂回する分、こちらも費用がかさみます。お出しできるのは、金貨一枚です」
「金貨一枚……まだ足りないな……」
レオンティスは顔を伏せ、こめかみを指で押さえながら、しばらく考えた。それから、目を輝かせて顔を上げた。
「あの、積み荷にダイヤモンドはありませんか? あったら、僕に安く売ってもらえませんか?」
「レオンティス! お前、正気か? 今、ダイヤモンドの話してる場合かよ!」
隣の友人が怒鳴った。
だが、レオンティスは揺るがなかった。まっすぐ老人を見つめている。老人も少し目を見開いた。目の前の若者の、あまりに率直な物言いに驚いたようだった。
「私の荷にはありません。ただ、帝都リンドヒルで一番大きな宝石店の主人とは、古い付き合いです。私から頼めば、一粒、原価で譲ってくれるでしょう。その代わり、報酬はお支払いできません。それでいかがですか?」
老人が微笑むと、白いひげが少し持ち上がった。
「お願いします!」
レオンティスは即答した。
「お願いしますじゃねえよ!」
友人たちが一斉に飛びかかった。レオンティスの口をふさぐ奴もいれば、腕を押さえる奴もいる。
「すみません、こいつは駄目です。真に受けないでください。こいつには無理ですから」
一人が、慌てて老人に取り繕った。
老人は何も言わず、笑みを浮かべたまま、その騒ぎを眺めていた。そうして、しばらくたってから言った。
「では、もう一日、皆さんで相談してください。明日のこの時間にまた来ます。そのときに、お返事を聞かせてください」
老人は杖を支えに立ち上がり、上着の裾を整えた。それから、軽くうなずいて、ゆっくりと去っていった。
老人がいなくなるなり、テーブルの連中は、総がかりでレオンティスを説得し始めた。
「あのさ、レオンティス。まだ茶、頼んでねえんだけど……」
俺は遠慮がちに口を挟んだ。
「ああ、店主! 何でもいいから、こいつに出してやってくれ!」
隣の友人が叫んだ。
夕方近くになっても、こいつらの話は止まらなかった。レオンティスは両手で顔を覆い、腰掛けの上でぐったりしていた。
「もうやめてよ……僕は、ファレンナが好きなんだよ」
その声は、もう勘弁してくれと訴えていた。
「お前が好きでも、向こうはお前が好きなのか? この前、あんな大勢の前で散々こき下ろして、俺たちのことまでゴリラ呼ばわりしたんだぞ」
隣の奴は、もう怒りが収まらない様子だった。
「この二年くらい、どうしてああなっちゃったのか、僕にもわからないけど……でも、前は僕のこと、好きだったんだよ」
「けっ! お前のことなんか好きなもんか! お前はただの勇者だろ。あの子だって、もう子供じゃねえ。家柄もいいし、器量だって悪くない。金持ちの家の息子がよくなったって、おかしくねえだろ? もう、しつこく付きまとうのはやめろよ!」
「ああ……お願いだから、もう言わないでよ……僕は、あの子が本当に好きなんだよ」
レオンティスは、また泣きそうになっていた。
「もういいだろ。その辺にしとけよ。こいつのことなんだから、こいつに決めさせりゃいいじゃねえか」
さすがに少し気の毒になって、俺は助け舟を出した。
「店主、恋愛したことあるのか?」
一人が聞いた。
「ねえよ」
「じゃあ黙ってろ!」
「はい」
それからも、ずいぶん長かった。外がもう薄暗くなり、俺が強引に店じまいを宣言して、ようやく連中は渋々帰っていった。
レオンティスは背中を丸め、全身の力が抜けたような足取りで歩いていた。
あれのどこがA級勇者なんだか。
翌日。
レオンティスの友人たちは、朝早くから屋台に来ていた。何が何でも止めてやる、という構えだ。昼を少し過ぎたころ、杖をついた老人が現れた。
老人は勇者たちと挨拶を交わし、テーブルについた。だが、レオンティスはまだ来ていなかった。
「このまま逃げてくれりゃいいんだが」
一人が、小声で言った。
老人は特に何も言わず、目を閉じ、静かに待っていた。
三十分ほどたったころ、レオンティスが肩で風を切りながら、ルル通りを歩いてきた。その歩きっぷりに、俺たちはぽかんとした。こいつ、とうとう頭がいかれたか?
レオンティスは屋台の柵の前まで来ると、中にも入らずに立ち止まった。両手を腰に当て、テーブルの連中に向かって高らかに宣言した。
「僕は! 一晩考えて決めた! 行く! もう誰も止めないで!」
友人たちはそいつを見て、しょうがない奴だというように、うつむいて笑った。そのうち、白魔法使いらしい身なりの勇者が立ち上がった。
「しょうがねえな。俺も一緒に行くよ。その方が、何かあったとき助け合えるだろ」
ほかの連中は止めなかった。だが、ほかに行くと言う奴もいなかった。
「俺はこいつに付き添っていくつもりなんで、報酬は向こうに着いてから、何か適当にいただければ。それでどうですか?」
白魔法使いは、笑顔で老人に尋ねた。
老人も微笑んでうなずいた。それから立ち上がり、上着を整えて言った。
「では、二日間で準備をお願いします。二日後の午前中、ここから出発します」
そう言って、屋台を出ようとした。
「あの、もう一つ聞いてもいいですか」
白魔法使いが呼び止めた。
老人は足を止め、振り返った。
「どうしても帰らなければならない事情があると、おっしゃっていましたよね。それを聞かせてもらえますか」
老人は少し考え、ひと言だけ答えた。
「家庭の事情です」
それから、一人で去っていった。
レオンティスは感謝に満ちた目で白魔法使いを見て、抱きつこうと歩み寄った。
白魔法使いは、その股間を一発蹴り上げた。
レオンティスは悲鳴を上げ、股間を押さえて倒れた。白魔法使いは笑いながら首を振り、帰っていった。ほかの連中も、笑いながら、地面に倒れたレオンティスをぽんぽんと叩いて帰っていった。
二日後の午前中。
店を開けてまだ間もないころ、荷物を満載した大きな馬車が五台、ゆっくりとやってきて、ルシエ広場の道端に止まった。
御者席には、それぞれ二人ずつ座っている。最後尾の馬車には、幌の中にも二人いた。
列の両側には、剣を帯びた男が四人ずつ。商隊がもともと雇っている護衛だろう。
先頭の馬車の幌の中から、老人が人に支えられて降りてきた。杖をついて馬車の列の後ろに立ち、こちらを見ていた。
しばらくして、レオンティスの友人たちがやってきた。見送りだろう。
そのあと、あの白魔法使いも、大きな袋を提げ、背中にもぱんぱんに膨らんだ荷物を背負って、広場の道端に現れた。
みんなが立ち話をしていると、突然、ルル通りから女の叫び声が聞こえてきた。
「放して! レオンティス、放してってば! 引っ張らないで!」
一斉にそちらを見ると、銀の鎧を身につけ、腰に両手剣を下げたレオンティスが、ファレンナを引っ張って歩いてきた。
全員、ぽかんとした。今度は何を始める気だ?
レオンティスは、広場に近い道の真ん中までファレンナを連れてくると、彼女の前に勢いよく片膝をついた。まず両手を胸の前に置き、それから片手で天を、もう片方で地を指した。お決まりの祈りの仕草だ。
「ファレンナ。僕はここで、空と大地、すべての命、そして女神テタラントに誓います。必ずダイヤモンドを持ち帰って、あなたを妻に迎えます」
レオンティスは、温かな笑顔で誓った。
「誰に誓ったって無駄! あんたとは結婚しない! しないから!」
ファレンナが大声で叫んだ。
「ファレンナ、必ず僕が帰るのを待っていてください。どこかのお金持ちの息子さんのところへ行っちゃわないでください」
レオンティスは大真面目だった。俺たちは思わず吹き出した。こいつ、面白すぎるだろ。
「このゴリラども! 誰も止めないわけ?」
ファレンナは振り返り、レオンティスの友人たちに怒鳴った。それから、また彼に向き直った。
「言っとくけど、馬鹿な真似しないで! ダイヤモンドを持って帰ってきたって、結婚なんかしないから!」
レオンティスは微笑みながら立ち上がった。そして、不意に両手でファレンナの顔を包み、軽く口づけた。
みんなが「おお〜」とはやし立てた。口笛を吹く奴もいた。
ファレンナは一瞬、呆気に取られていた。何か言おうとしたときには、レオンティスはもう、鮮やかに身をひるがえし、馬車の列へ歩いていった。
ほんの一瞬、ファレンナが両手を少し上げ、口元を動かしたように見えた。だが、ほかの誰も気づいていないようだった。
老人が馬車に乗り、商隊はルル門へ向かって動き出した。レオンティスと白魔法使いは列の先頭を歩き、振り返ってみんなに手を振った。友人たちも手を振って見送っていた。
ファレンナだけは、その場から動かず、商隊を見つめていた。
やがて、馬車の列はルル門の外へ出ていった。勇者たちも一緒に立ち去った。
ファレンナは突然くるりと向きを変え、両手でスカートの裾を持ち上げて、悪態をついた。
「馬鹿! 誰があんたなんかと結婚するの! ほんと、馬鹿みたい!」
苛立たしげな足取りで屋台の前を通り過ぎようとしたとき、まだ見ている俺に気づいた。彼女はぱっと振り向き、俺と目が合った。
燃えるように赤い瞳が、涙でいっぱいだった。
彼女は、ほんの少し笑った。それからすぐにうつむき、スカートの裾を持ち上げたまま、ルル通りの向こうへ足早に消えていった……。
風は次第に北から吹くようになり、枯れ葉を巻き上げては、また地面に散らしていった。冬が近づいていた。
あいつらが出発して、もう一か月半になる。まだ帰ってこない。
ある日。
俺はあのマフラーを巻き、屋台の炉で手をあぶっていた。客はまばらだった。レオンティスの友人たちもいて、そろそろ帰ってくるんじゃないかと話していた。
そのとき、勇者ギルドの扉が開いた。ポカペラが入り口に立ち、こちらに手を振った。
「あっ、ちょうど皆さんいらっしゃったんですね! ちょっとこちらへ来ていただけますか? 店主さんも、お願いします!」
俺たちは顔を見合わせた。誰にも心当たりはなかった。勇者たちが立ち上がり、俺もポケットに手を突っ込んだまま、一緒にギルドへ入った。
ポカは、一つのテーブルへ俺たちを案内した。そこには、身なりのきちんとした男が座っていた。全員が席につくと、ポカはその見知らぬ男に言った。
「先ほど私にお話しくださったことを、もう一度、皆さんにもお話しいただけますか? それと、レオンティスさんが受けたのは、ギルドの依頼ではありません。その点は覚えておいてくださいね。では、私は仕事に戻ります」
ポカペラは笑顔でそう言い、受付へ向かった。背中に回した両手が見えた。左手が、右の手首を強く握りしめていた。
そこで、俺はようやく男の顔をよく見た。ビロードの上着に、その下は羊毛の服。髪はきちんと整えられ、年は俺と同じくらいだろう。だが、鼻から口元にかけてのしわが深く、顔はやつれていた。何か、ひどくこたえることがあったのだろう。
「受付の方から、皆さんはレオンティスさんのご友人だと伺いました」男は、よく響く低い声で言った。
俺たちは互いに顔を見た。俺は、あいつの友人ってほどじゃねえと思うんだが。けれど、今それを言うべきではない気がした。
男は続けた。「私は、ファレンナの父です」
勇者たちが顔を見合わせた。「娘のファレンナは、数日前に亡くなりました」
男は、少し間を置いた。
「娘は長く病を患っておりましたが、レオンティスさんはご存じなかったようです。娘は最期まで、レオンティスさんを深く愛しておりました」
そこまで話すと、男は少し深く息を吸い、気持ちを落ち着けた。それから上着の内ポケットから手紙を一通取り出し、言葉を失っている俺たちの前へ、テーブルの上を滑らせた。
「娘の手紙です。レオンティスさんにお渡しください。よろしくお願いいたします」
男は立ち上がり、深々と頭を下げた。そして、背筋を伸ばしたままギルドの扉を開け、一人で出ていった。
俺たちは封筒を手に取った。そこには、こう書かれていた。『愛しきレオンへ』
……。
それから、あの勇者たちは毎日、俺の屋台に来るようになった。朝から晩まで、ずっと座っていた。誰が言い出したわけでもないのに、みんなでレオンティスの帰りを待つことになったようだった。
さらに、半月余りが過ぎた。
ある日の午後。夕暮れが近づいていたころ。
ルル門の方から、二つの人影が歩いてきた。一人は銀の鎧。もう一人は白魔法使いの身なりだった。
二人は遠くから屋台の俺たちを見つけ、大きく手を振り始めた。
テーブルの連中が、ぱっと立ち上がった。だが、すぐにまた腰を下ろした。喜んでいいのか、どうしたらいいのか、わからないようだった。
レオンティスが、白魔法使いと一緒に、上機嫌でやってきた。
「やあ! 帰ってきたよ!」
レオンティスは、友人たちを一人ずつぽんと叩いた。それから俺を振り返った。
「店主さん、こんにちは!」
「ああ、帰ってきたか。よかった。あの……依頼はどうだった?」
一人が顔を上げられないまま、小声で聞いた。
「順調だったよ。すごく運がよくてね。カラグニアじゃ、手ごわい魔物にはほとんど出くわさなかったんだ。帝国に入ってからは、もう何も問題なかった!」
レオンティスは興奮した様子で小さな袋から、ダイヤモンドの指輪を取り出した。小粒のダイヤモンドが、その手の中でまばゆく光った。
「見て! これ、何だと思う?」
レオンティスは指輪を掲げ、自慢した。
「ああ、ダイヤモンド、買えたんだな」
別の一人が、小声で言った。やはり、目を上げなかった。
「買ったんじゃないんだ。話すと長くなるけど……ちょっと悲しい話なんだよね」
レオンティスはテーブル脇の腰掛けにどさっと座り、話し始めた。
「出発する前、あのおじいさん、どうしても帰らなきゃならないのは家庭の事情だって言ってただろ? 旅の途中で親しくなってから、話してくれたんだ。奥さんが、重い病気で長いこと寝たきりだったんだって。月に何度も、魔法で治療してもらわないと、生きていけない状態でね。それって、すごくお金がかかるだろ? だから、あの荷物を帝都で売れなかったら、奥さんを助けられなくなるところだったんだ。
でも、悲しいことに、僕たちが荷物を届けたときには、少し前に亡くなったって、家の執事に言われて……。それで、僕たちも葬儀を手伝ったりして、帰りが少し遅くなったんだ。
帰るときに、おじいさんがこの指輪をくれてね。若いころ、奥さんに贈ったものなんだって。ファレンナの指にはめてほしいって言ってくれたんだ。あの二人の愛も、僕たちの愛も、これからずっと続いていくようにって。だから、この指輪、ただでもらえたんだよ!」
レオンティスは子供のように笑い、指輪を日差しにかざして、くるくると眺めていた。
「明日、ファレンナにプロポーズするんだ!」
急に鼻の奥がむずむずした。俺は強く鼻をすすり、顔を横へ向けた。
ほかの連中は、ますます深くうつむいていた。鼻をすする音や、長いため息が聞こえた。
「あれ? どうしたの? みんな、どうしたの?」
レオンティスは様子がおかしいことに気づいたが、まだ笑顔で聞いていた。
連中は、ちらりと互いを見た。
「お前が話せよ……」
「いや、やっぱりお前が……」
「俺……俺も嫌だよ。お前から話してくれ……」
「話せよ。頼むから……」
「あれ? どうしたの? みんな、どうしたの?」
……。
誰もがほかの誰かに言わせようとしているうちに、ルル門にかかる冬の夕日は、もう二度と昇らないかのように、沈んでいった。




