第8話 感情
――グルルル……。
暗闇の奥から、低い唸り声が響いた。
俺は息を止めた。
森の中。
赤い目が、こちらを見ている。
一つ。
……いや。
二つ。
さらに奥にも、いくつもの光が浮かんでいる。
「……何体いる?」
隊員の一人が呟いた。
「確認できません」
白石がタブレットを見ながら答える。
「反応が多すぎます」
黒瀬が一歩前へ出た。
「全員、俺の指示があるまで撃つな」
「ですが、接近しています!」
「分かっている」
黒瀬は冷静だった。
「慌てるな」
俺には、その声だけが妙にはっきり聞こえた。
その瞬間。
右手が熱くなった。
「……っ」
反射的に右手を押さえる。
ドクン。
まただ。
身体の奥で、何かが脈打っている。
「桐生」
黒瀬が俺を見る。
「大丈夫か?」
「……分かりません」
「何を感じている?」
「……何かが、近づいてきます」
「特異生物か?」
「はい」
白石が俺を見る。
「どの方向ですか?」
俺は森を見る。
「……正面」
そして。
「……一体じゃない」
白石の表情が変わった。
「隊長」
「ああ」
黒瀬も感じ取っていた。
木々が揺れる。
枝が折れる。
土を踏みしめる音。
そして――
一体の特異生物が姿を現した。
「来た!」
隊員たちが構える。
巨大な身体。
鋭い爪。
異様な目。
だが。
その特異生物は、俺を見ると足を止めた。
「……また」
俺は呟いた。
特異生物が、俺を見ている。
敵意はある。
だが、近づいてこない。
その後ろから、さらに二体が現れる。
そして三体目。
四体目。
「……こんな数」
誰かが息を呑んだ。
白石が端末を確認する。
「反応、まだ増えています」
「包囲されているな」
黒瀬が言った。
俺の背中に汗が流れた。
「どうするんですか?」
「ここを離れる」
「でも、囲まれて――」
「だからだ」
黒瀬が隊員を見る。
「退路を作る」
隊員たちが一斉に動いた。
「前方、警戒!」
「後方確認!」
そして。
「桐生君」
白石が俺のところへ来た。
「俺についてきてください」
「はい」
「絶対に離れないで」
「分かりました」
俺たちが動き出した。
その瞬間。
特異生物が一斉に唸った。
「来る!」
隊員が叫ぶ。
「撃て!」
銃声が響いた。
特異生物が飛び出す。
隊員たちが迎え撃つ。
爆発音。
土煙。
叫び声。
俺は白石に引っ張られながら走った。
「こっちです!」
だが――
右側から一体が飛び出した。
「危ない!」
白石が俺の前に出る。
特異生物の爪が振り下ろされる。
――ガンッ!
隊員が間に入り、攻撃を受け止めた。
「副隊長!」
「大丈夫だ!」
白石が叫ぶ。
「桐生君を!」
俺は走った。
だが。
突然、足が止まった。
「……え?」
まただ。
身体の奥が熱い。
右手が光っている。
黒い光。
そして。
目の前の特異生物が――
動きを止めた。
「……」
俺と特異生物。
互いに見つめ合う。
頭の中に、知らない感覚が流れ込んできた。
怖い。
怒っている。
苦しい。
そして――
何かを探している。
「……お前」
俺は無意識に呟いた。
「何を探してるんだ?」
特異生物が一歩近づいた。
隊員たちが銃を構える。
「撃つな!」
黒瀬が叫んだ。
特異生物が俺の前まで来る。
そして――
俺の右手を見る。
その瞬間。
特異生物が低く唸った。
俺の身体が震えた。
頭の中に、一瞬だけ映像が浮かぶ。
暗い場所。
巨大な黒い塊。
そして――
無数の赤い目。
「……何だ、今の」
映像が消える。
特異生物が突然、後ろを振り返った。
「……?」
そして森の奥へ向かって走り去っていく。
「逃げた?」
隊員が呟く。
白石は何も言わなかった。
ただ、俺を見ている。
「今、何か見ましたか?」
「……分からない」
「本当に?」
「頭の中に……変な映像が」
白石の顔が険しくなる。
「どんな?」
「暗い場所と……黒い何か」
「黒い何か?」
「それと、赤い目」
白石は黙った。
そして黒瀬を見る。
「隊長」
「聞いていた」
「やはり……」
「まだ判断するな」
黒瀬が遮った。
「情報が足りない」
黒瀬は俺を見る。
「桐生」
「はい」
「今のことは、誰にも話すな」
「……え?」
「理由は後で説明する」
そのとき。
白石のタブレットが鳴った。
「……隊長」
「今度は何だ」
「新しい反応です」
「特異生物か?」
「違います」
白石が画面を見る。
「アーク鉱です」
黒瀬の表情が変わった。
「どこだ?」
白石が画面を拡大する。
「ここから数キロ先」
「移動しているのか?」
「……いえ」
白石が首を横に振った。
「発生しています」
黒瀬が沈黙する。
「アーク鉱が……自然発生している?」
「その可能性があります」
白石が画面を見つめる。
「そして」
「何だ?」
「この反応……」
白石が俺を見る。
「桐生君の反応と、非常によく似ています」
俺は言葉を失った。
「俺と……同じ?」
白石は答えなかった。
黒瀬が静かに口を開く。
「全員、撤収する」
「はい!」
隊員たちが動き始める。
俺も車へ向かう。
その途中。
ふと森を振り返った。
そこにはもう、特異生物の姿はなかった。
だが――
なぜか分かった。
あいつらは逃げたんじゃない。
何かを伝えに行った。
そんな気がした。
車に乗り込む。
扉が閉まる。
俺は右手を見つめた。
黒い光は消えている。
でも。
身体の奥では、まだ何かが動いていた。
そして俺は知らなかった。
この夜を境に――
特災隊が追う「特異災害」の中心に、
自分自身が深く関わっていくことを。




