第7話 接近
――特異生物、接近。
無線から流れた言葉に、その場にいた全員の空気が変わった。
「どこからだ?」
黒い車から降りていた男が無線に問いかける。
『現在、東側から接近中。距離、約一・五キロ』
「数は?」
『確認できているだけで三体。ですが――』
「ですが?」
『さらに反応があります』
男が眉をひそめた。
「……了解。警戒を続けろ」
無線を切る。
俺はその男を見た。
「何が起きてるんですか?」
「詳しい話は後です」
「いや、でも……」
男が周囲を見る。
「ここは危険です」
「危険って……」
その瞬間。
――ドンッ。
遠くで何かが倒れる音がした。
続いて、木々が大きく揺れる。
俺は反射的にそちらを見る。
「……来る」
口から、自然と言葉が漏れた。
「え?」
男が俺を見る。
「何が来る?」
「……分からない。でも……近づいてる」
自分でも不思議だった。
音が聞こえたわけじゃない。
姿が見えたわけでもない。
なのに、分かる。
何かがいる。
しかも――
さっきより近い。
俺の右手が熱くなった。
「……またか」
手を見る。
皮膚の下で、黒い光がわずかに脈打っている。
それを見た男の表情が変わった。
「動かないでください」
「え?」
「右手を見せてください」
「……これが何なのか、知ってるんですか?」
男は答えなかった。
代わりに無線を取る。
「こちら現場班。対象者の反応を確認」
少し間を置く。
「はい。間違いありません」
そして、無線の向こうへ続けた。
「……反応値が上昇しています」
俺はその言葉を聞いて、背筋が冷たくなった。
対象者。
やっぱり、俺のことだ。
そのときだった。
「全員、下がれ!」
男が叫ぶ。
直後――
暗闇から何かが飛び出してきた。
「――っ!」
巨大な身体。
四本の脚。
鋭い爪。
昨日、ニュースで見たものと同じ。
いや。
ニュースで見た映像より、ずっと大きく感じる。
「特異生物!」
隊員たちが一斉に構える。
俺は動けなかった。
怖い。
身体が震える。
特異生物が俺を見た。
目が合う。
次の瞬間。
身体の奥で――
ドクン。
心臓が大きく脈打った。
右手が熱くなる。
そして。
特異生物が止まった。
「……え?」
誰かが呟いた。
特異生物は、俺を見たまま動かない。
唸り声もない。
ただ、じっと見ている。
隊員たちも困惑していた。
「撃つな」
男が低い声で言った。
「でも隊員長――」
「まだ撃つな」
特異生物が一歩、後ろへ下がった。
さらに一歩。
そして――
森の中へ消えていった。
「……何だったんだ?」
誰かが呟く。
俺自身も何が起きたのか分からない。
「今の……」
俺は右手を見る。
「俺が……何かしたのか?」
「それを調べるために来ました」
男が答えた。
そのとき。
遠くから複数の車両が近づいてきた。
ライトが周囲を照らす。
車が停止する。
ドアが開く。
隊員たちが降りてくる。
その中から二人の男が歩いてきた。
一人は四十代ほど。
落ち着いた表情。
周囲を一度見渡しただけで、現場の状況を把握しているようだった。
もう一人は、その少し後ろ。
手にタブレットを持ち、こちらを観察している。
「黒瀬隊長」
先ほどの男が敬礼する。
俺は、その名前を聞いた。
黒瀬修二。
特異災害対策隊――
その隊長だった。
「状況は?」
黒瀬が聞く。
「特異生物一体が接近。対象者と接触しました」
「被害は?」
「ありません」
「特異生物は?」
「撤退しました」
黒瀬が俺を見る。
「撤退?」
「はい」
黒瀬の視線が俺の右手へ移る。
そして隣にいた男へ言った。
「白石」
「はい」
副隊長らしい。
白石達也。
白石がタブレットを操作する。
「特異生物の反応は、対象者との接触直後に変化しています」
「具体的には?」
「攻撃行動が停止。その後、対象者から距離を取っています」
黒瀬が俺を見る。
「君は、何かしたのか?」
「……分かりません」
「本当に?」
「はい」
嘘じゃない。
本当に何も分からない。
白石が俺の右手を見る。
「アーク鉱に触れたのは、いつですか?」
俺は黙った。
昨日のことを思い出す。
あの光。
あの石。
そして――
身体の中に入ってきた、何か。
「……少し前です」
「どこで?」
「それは……」
答えられなかった。
黒瀬が白石を見る。
「まだ聞くな」
「ですが――」
「今は現場だ」
「……分かりました」
白石はタブレットを下ろした。
黒瀬が俺に向き直る。
「桐生光一」
「……はい」
「君には、これからいくつか質問をする」
「俺は……どうなるんですか?」
黒瀬は少しだけ黙った。
「現時点では何もしない」
「本当に?」
「ああ」
黒瀬は周囲を見る。
「ただし、君の身体に起きていることは普通ではない」
その言葉に、胸が締めつけられた。
「……俺もそう思います」
黒瀬が俺を見る。
「なら、協力してほしい」
「協力?」
「我々も、まだ何も分かっていない」
黒瀬の声は静かだった。
「特異生物がなぜ現れたのか」
「アーク鉱が何なのか」
「そして――」
一瞬、俺の右手を見る。
「なぜ君の身体に異常が起きているのか」
俺は何も言えなかった。
白石が口を開く。
「一つだけ、現時点で確かなことがあります」
「何ですか?」
「あなたがアーク鉱に触れた後から、特異生物の行動に変化が見られている」
背筋が寒くなった。
「……俺が原因ってことですか?」
「まだ分かりません」
白石は即答した。
「だから調べるんです」
黒瀬が頷く。
「我々は、君を敵だとは考えていない」
「……今は?」
思わず聞き返した。
黒瀬は少しだけ目を細めた。
「正直に言おう」
「はい」
「まだ、君が何なのか分からない」
その言葉が妙に重かった。
黒瀬は続ける。
「だからこそ、我々は慎重になる」
俺は右手を見る。
黒い光は、いつの間にか消えていた。
だが――
身体の奥には、まだ何かが残っている。
「……俺も知りたいです」
初めて、自分から言った。
「俺の身体がどうなってるのか」
白石が俺を見る。
そして、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「それなら話は早い」
黒瀬が隊員へ指示する。
「周囲の安全を確認」
「了解」
「それと、今回の特異生物の映像を全て回収しろ」
「はい!」
隊員たちが動き始める。
俺はその光景を見ていた。
昨日まで。
特異生物なんて、ニュースの中の存在だった。
アーク鉱もそうだった。
それが今は――
自分の身体と繋がっている。
「……白石」
「はい」
「今回の個体について、何か分かったか?」
「一つだけ」
「何だ?」
白石はタブレットを見た。
「先ほどの個体だけではありません」
黒瀬が振り返る。
「どういう意味だ?」
「周辺で確認された複数の特異生物が、同じ方向へ移動しています」
「方向は?」
白石が画面を拡大する。
「……ここです」
黒瀬が画面を見る。
しばらく沈黙する。
「偶然か?」
「分かりません」
白石が答える。
「ですが、特異生物が何かを追っている可能性があります」
黒瀬の視線が、俺へ向く。
俺はそれに気づかなかった。
ただ、右手を握りしめていた。
その瞬間。
――ドクン。
また、身体の奥で何かが脈打った。
俺は顔を上げる。
「……まただ」
「どうした?」
黒瀬が聞く。
「……何か、いる」
俺は暗闇を見る。
「近くに……何かいる」
白石の表情が変わった。
タブレットを見る。
「……隊長」
「どうした」
「反応があります」
「どこだ」
「この場所から――」
白石が顔を上げる。
「かなり近いです」
その直後。
暗闇の向こうから――
低い唸り声が響いた。
黒瀬が隊員たちへ叫ぶ。
「全員、警戒態勢!」
一斉に銃口が向けられる。
俺の右手が、再び熱を持つ。
そして――
森の奥で。
一対の赤い目が、ゆっくりと開いた。




