第3話 食欲
獣を倒したあと、俺はしばらくその場から動けなかった。
「……本当に死んだのか?」
少し離れた場所から様子を見る。
獣は動かない。
さっきまであれだけ激しく動いていたのが嘘みたいだった。
俺はゆっくり近づいた。
近くで見ると、やっぱり大きい。
犬に似ている。
でも、知っている動物とは明らかに違う。
「こんなの、どうすればいいんだよ……」
スマホを取り出す。
警察に連絡するべきだろう。
でも、電話をかけたところで何と説明すればいい。
大型の動物に襲われた。
それはいい。
問題は、その動物を俺が倒したことだ。
自分でも信じられない。
俺は腕を見る。
爪を受けた場所には傷が残っている。
服は破れているのに、皮膚には浅い傷しかない。
しかも、ほとんど痛くない。
「……俺、本当にどうなってるんだ」
その時、腹が鳴った。
「……」
こんな状況でも腹は減るらしい。
俺はため息をついた。
「帰るか」
もう一度だけ獣を見る。
そのまま路地を離れた。
家に着くと、すぐに冷蔵庫を開けた。
肉を取り出して焼く。
焼き上がった肉を皿に盛り、勢いよく食べ始める。
「……うまい」
あっという間に食べ終わった。
まだ足りない。
追加で肉を焼く。
それも食べる。
それでも足りない。
「嘘だろ……」
冷蔵庫を開ける。
買ってきたばかりの肉を取り出す。
焼く。
食べる。
また焼く。
気づけば、普段なら数日分になる量を一晩で食べていた。
「……さすがに食いすぎだろ」
腹はいっぱいになっている。
それでも、妙な物足りなさが残っていた。
俺はソファに座り、しばらくぼんやりしていた。
頭に浮かんだのは、さっきの獣だった。
「……」
なぜか、あの獣の姿が気になる。
ただ怖いからではない。
近くで見た時から、ずっと変な感覚が残っている。
俺はスマホを手に取った。
ニュースを開く。
今日の事件についての記事を探す。
すると、新しい記事が出ていた。
『大型生物による被害、全国で相次ぐ』
「全国……?」
記事を開く。
昨日の事件だけではなかった。
ここ数日、各地で似たような被害が発生している。
車が壊された。
家畜が襲われた。
人が負傷した。
そして、その原因となった生物については、まだ正体が分かっていないらしい。
「……増えてるのか」
俺はスマホの画面を見つめた。
その時、腹の奥がまた小さく鳴った。
「……まだ食うのかよ」
俺は立ち上がり、冷蔵庫を開けた。
翌朝。
目を覚ますと、昨日のことが頭に浮かんだ。
あの獣。
自分の腕に当たった鋭い爪。
そして、吹き飛ばされてもほとんど痛みを感じなかったこと。
「……夢じゃないよな」
ベッドから起き上がり、腕を見る。
昨日できた傷は、まだ残っている。
服をめくって確認する。
「……え?」
傷が、ほとんど塞がっていた。
昨日の夜は確かに赤くなっていたはずなのに、今は薄い線が残っているだけだった。
指で触ってみる。
痛くない。
「治るのも早いのか……?」
俺はしばらく腕を眺めていた。
会社へ向かう準備をする。
いつもなら朝から体が重い。
今日は違う。
目覚めもいい。
体も軽い。
駅まで歩いている途中、信号が変わった。
前を歩いていた人たちが一斉に渡り始める。
俺も走って横断歩道を渡った。
「……」
自然に走っただけなのに、かなり速い。
足が地面を蹴る感覚が以前とは違う。
しかも、全然疲れない。
会社に着いてからも、体の変化は続いていた。
重い荷物を運んでも疲れない。
階段を何段上っても息が切れない。
昼休みになると、また腹が減った。
「またかよ……」
弁当を食べ終わる。
それでも足りない。
コンビニへ行き、パンを二つ買った。
それも食べる。
ようやく落ち着いた。
午後の仕事をしていると、スマホにニュースが届いた。
『大型生物の目撃情報、さらに拡大』
俺は画面を開いた。
昨日の事件とは別の地域でも、同じような生物が確認されたらしい。
写真はなかった。
目撃者の証言だけが載っている。
『体長二メートル以上』
『黒い毛に覆われていた』
『犬のような姿だった』
「……同じだ」
昨日見た獣と特徴が一致している。
俺は画面を閉じた。
仕事に戻ろうとしたが、どうしても気になる。
あの獣。
あれは一体何だったのか。
そして、俺の体に何が起きているのか。
考えているうちに、昨日の光景が頭に浮かんだ。
倒れた獣。
その体。
そして、あの時に感じた妙な感覚。
「……」
また腹が減ってきた。
その瞬間、ふと思った。
「……あの肉、食べたらどうなるんだ?」
俺は自分の考えに驚いた。
普通なら、あんな化け物の肉を食べようなんて思わない。
なのに、なぜか――
食べてみたい。
そんな感覚が、頭から離れなかった。




