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第28話 ボーダーレコード

 白い影たちが森の奥へ消えてから、しばらくの間、誰も動かなかった。


 風が木々の間を抜け、足元の草を揺らしている。


 先ほどまで白い影が立っていた場所には、何も残っていない。


 ただ、地面に描かれた奇妙な記号だけが残されていた。


 円。


 円の中心にある小さな点。


 そこから外側へ伸びる、三本の線。


 エリシアは、地面に残された記号を見つめた。


「……境界、ですか」


 昨日、白い影に向かってそう尋ねたとき、彼らは頷いた。


 そして、リンク石を見て言った。


 ――帰った。


 その言葉が、頭から離れなかった。


「エリシア」


 グレンが声をかける。


「大丈夫か?」


「はい。少し考えていただけです」


「さっきの連中、やっぱり普通の魔物じゃないな」


 グレンは剣から手を離し、白い影が消えた森の奥を見た。


「俺たちを襲う気はなかった。むしろ、何かを伝えようとしていた」


「それに、リンク石に反応していました」


 エリシアは胸元に下げた石を握った。


 リンク石は、もう光っていない。


 しかし、手のひらに乗せると、微かに温かかった。


「この石が、あの人たちと私たちをつないでいるんだと思います」


「リンク石、か……」


 研究員が呟いた。


「名前の通りなら、何かと何かをつなぐための石。問題は、何と何をつないでいるのかだ」


 研究員は、古い石造建築物へ視線を向けた。


「調べる必要があります。あの白い影たちが、この建物と関係しているのは間違いありません」


 エリシアたちは、再び建物の中へ戻った。


 入口をくぐった瞬間、外とは違う冷たい空気が肌に触れた。


 建物の内部は、相変わらず薄暗い。


 壁には古い記号が並び、中央には大きな石台が置かれている。


 床には、長い年月の間に積もった砂や埃が薄く残っていた。


 昨日は、白い影との遭遇に気を取られて、内部を十分に調べることができなかった。


 しかし、今なら分かる。


 この建物は、ただの廃墟ではない。


 誰かが、何かの目的を持って造った施設だ。


「まずは、石台を調べましょう」


 研究員が石台の周囲を歩き始めた。


 石台の表面には、円形の溝が刻まれている。


 その中央には、リンク石がちょうど収まりそうな窪みがあった。


「……これ」


 エリシアは、窪みを見た。


 大きさも形も、手に持っているリンク石とほとんど同じだった。


「ここに石を置くための場所じゃないですか?」


「その可能性が高い」


 研究員は頷いた。


「ただ、勝手に置くのは危険かもしれません。装置が動く可能性もあります」


「昨日、リンク石を近づけたときには何も起きませんでした」


「昨日は、石台の上に置いていなかったからです」


 研究員は、石台の表面に刻まれた記号を指差した。


「この溝は、魔力を流すためのものだと思います。魔法陣に似ていますが、一般的な魔法陣とは構造が違う」


 グレンが石台を覗き込んだ。


「つまり、そこにリンク石を置けば動くかもしれないってことか?」


「正確には、リンク石を動力にしているのか、鍵として使っているのか……」


 研究員は言葉を止めた。


 その視線が、エリシアへ向く。


「エリシアさん。あなたが触れたときだけ、石は強く反応しています」


「私が?」


「はい。白い影たちも、あなたの持つリンク石に反応していました」


 エリシアは、手の中の石を見つめた。


「私が持っているから、ですか?」


「それとも、あなた自身に反応しているのかもしれません」


 その言葉に、エリシアの胸が僅かにざわついた。


 最近、魔法を使うときに、以前とは違う感覚を覚えることがある。


 スロウ。


 アクセル。


 自分では速度を操っているつもりだった。


 しかし、時々、周囲の動きそのものが遠くなる。


 音が遅れ、光が止まり、相手の動きが不自然なほどゆっくりになる。


 それは、単なる速度操作では説明できない感覚だった。


 だが、今はそのことを考える余裕がなかった。


「試してみます」


 エリシアは、リンク石を石台の窪みに近づけた。


「待ってください。何か起きたら――」


 研究員の声が届く前に、エリシアは石を置いた。


 カチリ、と小さな音がした。


 石台の中央で、青白い光が生まれた。


 光は円形の溝を伝い、外側へ走っていく。


 壁の記号が、次々に輝き始めた。


「全員、下がれ!」


 グレンが叫び、エリシアの前に立つ。


 しかし、爆発も衝撃も起こらなかった。


 代わりに、建物の奥から低い音が響いた。


 長い間、止まっていた機械が、再び動き始めたような音だった。


 床が僅かに震える。


 石台の背後にあった壁が、ゆっくりと左右へ開いていった。


 その奥には、階段が続いていた。


「……地下?」


 グレンが目を細める。


 研究員は、興奮を隠せない様子で階段を見つめていた。


「隠し通路です。建物の構造から考えて、こんな空間があるとは思っていませんでした」


「構造を調べていたんですか?」


「昨日、外側を確認したときに簡単な見取り図を作ったんです」


 研究員は、荷物から紙を取り出した。


「この建物は地上部分だけだと思っていました。地下があるなら、ここは単なる監視所ではない。もっと重要な施設だった可能性があります」


 エリシアは、開いた通路を見下ろした。


 階段の先は暗い。


 しかし、壁に刻まれた記号が、一定の間隔で淡く光っている。


 まるで、進むべき道を示しているようだった。


「行きましょう」


 エリシアが言った。


 グレンが振り返る。


「本気か?」


「ここまで来て、何も見ずに戻ることはできません」


「危険かもしれない」


「分かっています」


 エリシアはリンク石を石台から取り外した。


 光は消えたが、階段の壁にある記号は消えなかった。


「でも、あの白い影たちは、私たちをここへ導こうとしていました。何かを伝えようとしていたんです」


 グレンはしばらく黙っていた。


 やがて、剣を抜いた。


「分かった。ただし、危険を感じたらすぐに戻るぞ」


「はい」


 エリシアたちは、地下へ続く階段を下り始めた。


 階段は長かった。


 十段。


 二十段。


 三十段。


 地下へ進むほど、空気が冷たくなっていく。


 壁には、地上と同じ記号が刻まれていた。


 だが、地下の記号には、地上にはなかった特徴があった。


 円の中心に描かれているのが、点ではない。


 小さな人影のような形になっている。


「これは……」


 研究員が足を止めた。


「何か分かるんですか?」


「まだ断定はできません。ただ、同じ記号が何度も繰り返されています」


 研究員は壁に近づき、記号を指でなぞった。


「円は境界。中心の点は、こちら側と向こう側をつなぐ場所。そして、この人影のようなものは……」


「ウォッチャー?」


 エリシアが言うと、研究員は驚いたように顔を上げた。


「そう考えるのが自然です」


 その先の壁には、さらに大きな絵が刻まれていた。


 円形の光。


 その両側に、二つの異なる景色。


 片側には森や建物。


 もう片側には、巨大な塔と、空中に浮かぶ光。


 その間に、白い影が立っている。


 白い影は、両方の世界へ手を伸ばしていた。


「二つの世界を……見守っている?」


 エリシアが呟いた。


 研究員は、壁画を見上げたまま答えた。


「おそらく、ここは境界を監視するための施設です」


「ウォッチャーたちは、境界を監視している存在なんですね」


「それだけではないかもしれません」


 研究員は、壁画の下に刻まれた文字を調べた。


「この部分……何か文章のようです」


「読めるんですか?」


「古代文字に近いですが、完全には一致しません。少し待ってください」


 研究員は、持っていた道具で文字を紙に写し取った。


 しばらくして、ゆっくりと読み上げる。


「境界を越える者は、記録を持ち、帰還の道を失ってはならない……」


 エリシアは、その言葉に引っかかった。


「帰還の道?」


「向こう側へ行くことを想定している文章です」


 グレンが眉をひそめた。


「つまり、この施設は、境界を監視するだけじゃない。境界を越えるための場所でもあるってことか?」


 研究員は頷いた。


「その可能性があります」


 階段の先に、広い空間が現れた。


 地下室というより、小さな礼拝堂のようだった。


 天井は高く、壁には無数の記号が並んでいる。


 中央には、地上の石台とよく似た台座が置かれていた。


 ただし、こちらの台座は一つではない。


 左右に二つ。


 その間に、円形の溝が刻まれている。


 床の中央には、大きな円形の紋様があった。


 円の中心には、見覚えのある三本の線。


 その周囲には、白い影を思わせる人型の記号が六つ並んでいる。


「……ここが、本当の装置かもしれません」


 研究員が声を落とした。


 エリシアは、台座の一つへ近づいた。


 そこには、文字が刻まれていた。


 研究員が文字を確認する。


「こちらは……『記録』」


 反対側の台座を見る。


「もう一つは、『帰還』です」


 エリシアは、二つの台座を見比べた。


「記録と、帰還……」


 研究員は、床の紋様を指差した。


「そして中央が、境界そのものを表している」


「リンク石は?」


 グレンが尋ねる。


 エリシアは、胸元からリンク石を取り出した。


 すると、二つの台座が同時に反応した。


 片方が青く。


 もう片方が白く。


 中央の円形紋様に、細い光の線が走った。


「……やっぱり、鍵なんだ」


 エリシアが呟く。


 リンク石を中央へ近づけると、床の紋様が淡く輝いた。


 その瞬間、部屋の壁に映像が浮かび上がった。


 光の粒が集まり、ひとつの景色を形作っていく。


 そこに現れたのは、かつてのこの場所だった。


 今よりも壁は新しく、床には埃もない。


 複数のウォッチャーが、台座の周囲に立っている。


 その中央には、ひとりの人間がいた。


 長い外套を着た人物。


 顔は見えない。


 人間は、台座に何かを置いていた。


 それは、エリシアの持つリンク石とよく似た石だった。


 映像の中で、ウォッチャーの一体が人間へ向かって手を伸ばす。


 人間は、何かを話しているようだった。


 音声はない。


 しかし、台座の上に文字が浮かび上がった。


 研究員が必死に読み取る。


「……『こちら側の記録を、向こう側へ送る』」


 映像の中で、中央の円が光り始めた。


 円の中に、別の景色が浮かび上がる。


 森。


 巨大な塔。


 空中に浮かぶ光。


 エリシアが、息を呑んだ。


「さっき見えた場所と同じ……」


 映像の中の人間は、リンク石を台座から取り外した。


 そして、こちら側へ向かって差し出した。


 白い影の一体が、石を受け取る。


 その瞬間、映像の中の人間が、ゆっくりと膝をついた。


 まるで、力を失ったように。


 ウォッチャーたちが、その人間を囲む。


 しかし、誰も触れようとはしなかった。


 やがて、人間の身体が薄い光へ変わり、消えていく。


 映像が切り替わった。


 今度は、建物の外だった。


 こちら側の森。


 まだ石造建築物が崩れていない。


 空中には、大きな光の裂け目が浮かんでいる。


 裂け目の向こうには、先ほどの塔が見えた。


 その裂け目から、黒い影のようなものがこちら側へ落ちていく。


 一体。


 二体。


 数え切れないほどの影。


 映像の中のウォッチャーたちは、裂け目の前に立ち、両手を広げていた。


 まるで、何かを止めようとしている。


 だが、影の流れは止まらない。


 地面が揺れ、建物の壁に亀裂が走る。


 光の裂け目が大きく広がった。


 そして、映像が途切れた。


 地下室に静寂が戻る。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 最初に声を出したのは、研究員だった。


「……境界は、最初から安定していたわけではない」


 研究員は、震える声で続けた。


「何者かが、二つの世界をつなごうとした。そして、その結果、境界が崩れた」


「それが、この施設で起きたことですか?」


 エリシアが尋ねる。


「恐らく。ですが、あの映像だけでは、誰が何のために境界を開いたのかまでは分かりません」


 グレンが、床の紋様を見た。


「でも、分かったことはある」


「何ですか?」


「ウォッチャーたちは、境界を開いた連中じゃない。むしろ、暴走した境界を止めようとしていた」


 エリシアは、映像の中で人間を囲んでいた白い影たちを思い出した。


 彼らは、こちら側へ何かを送っていた。


 そして、こちら側へ流れ込むものを止めようとしていた。


「……守っていたんですね」


 エリシアが呟く。


「二つの世界を」


 研究員は、すぐには答えなかった。


 やがて、静かに頷く。


「そう考えるべきでしょう」


 そのとき、地下室の奥から音がした。


 コツン。


 石を叩くような音。


 全員が振り返る。


 暗闇の中に、白い影が立っていた。


 いつからそこにいたのか、誰にも分からない。


 ウォッチャーは、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


 グレンが剣を構える。


 しかし、ウォッチャーは攻撃する様子を見せなかった。


 床の中央にある紋様の前で立ち止まり、エリシアを指差す。


 次に、リンク石を指差す。


 そして、地下室の奥にある、閉ざされた扉を指した。


「……あの奥に、何かあるんですか?」


 ウォッチャーは頷いた。


 エリシアが扉へ近づく。


 扉には、他の場所とは違う記号が刻まれていた。


 円の中に、二つの点。


 その二つをつなぐ一本の線。


 リンク石を近づけると、扉の記号が輝いた。


 重い音を立てて、扉が開く。


 その奥には、小さな部屋があった。


 部屋の中央には、透明な容器が置かれている。


 容器の中には、黒い結晶が浮かんでいた。


 魔法晶に似ている。


 しかし、魔法晶とは違う。


 内部には、青白い光が渦巻いている。


 その光は、一定の間隔で二つに分かれ、再び一つに戻っていた。


「これは……?」


 研究員が容器に近づいた。


 だが、すぐに足を止める。


「触らないでください。これは、ただの結晶ではありません」


「分かるんですか?」


「魔力の流れが、二つあります」


 研究員は、結晶を凝視した。


「一つは、こちら側のもの。もう一つは……こちら側とは異なる性質を持っている」


 エリシアは、リンク石を結晶へ近づけた。


 すると、黒い結晶が強く光った。


 同時に、エリシアの頭の中へ、知らない声が響いた。


 ――記録を確認。


 ――境界接続、再開。


 ――帰還経路、未確定。


 エリシアは、思わず後ずさった。


「今……声が」


「どうしました?」


「頭の中に、声が聞こえました」


 研究員が結晶を見つめる。


「何と言っていました?」


 エリシアは、聞こえた言葉をそのまま伝えた。


 研究員の顔から、血の気が引いていく。


「境界接続……」


「何か分かるんですか?」


「この施設は、過去の記録を保存しているだけじゃない」


 研究員は、ゆっくりと首を上げた。


「今も、境界とつながっているんです」


 その言葉と同時に、部屋全体が揺れた。


 壁の記号が一斉に輝く。


 床の紋様に光が走り、中央に小さな裂け目が生まれた。


 裂け目の向こうに、別の景色が映る。


 灰色の空。


 巨大な塔。


 そして、その塔の前に立つ、無数の白い影。


 ウォッチャーたちが、こちらを見ていた。


 その中の一体が、エリシアへ手を伸ばす。


 エリシアのリンク石が、激しく輝いた。


 裂け目の向こうから、声が響いた。


 今度は、はっきりと聞こえた。


 ――帰還者を確認。


 ――境界の鍵を確認。


 ――接続を維持する。


 グレンが剣を握り直した。


「……帰還者?」


 エリシアは、裂け目を見つめた。


 ウォッチャーの一体が、ゆっくりと頭を下げる。


 まるで、長い間待ち続けていた相手を迎えるように。


「私が……帰還者?」


 誰に尋ねるでもなく、エリシアは呟いた。


 その瞬間、裂け目の向こうにいた白い影が、一斉に動いた。


 巨大な塔の周囲に、青白い光が集まっていく。


 向こう側で、何かが起動しようとしていた。


 研究員が叫ぶ。


「エリシアさん! リンク石を離してください!」


 しかし、もう遅かった。


 リンク石は、エリシアの手から離れなかった。


 指先から腕へ。


 腕から身体全体へ。


 冷たい光が、ゆっくりと広がっていく。


 視界が歪む。


 周囲の音が遠ざかる。


 グレンの声が、引き伸ばされたように聞こえた。


「エリシア!」


 エリシアは、必死に目を開けた。


 目の前にある裂け目。


 その向こうにいるウォッチャーたち。


 そして、巨大な塔。


 塔の最上部に、ひとつの光が灯った。


 それは、エリシアのリンク石と同じ色だった。


 次の瞬間、裂け目が大きく開いた。


 地下室全体を、まばゆい光が包み込む。


 ウォッチャーの声が響いた。


 ――境界の記録を、次の継承者へ。


 エリシアの意識が、白い光の中へ引き込まれていく。


 最後に見えたのは、裂け目の向こう側から伸ばされた、白い影の手だった。


 そして、その手の先に刻まれていた、三本の線を持つ円形の記号。


 エリシアは、意識を失う直前に理解した。


 この場所は、ただの遺跡ではない。


 ここは、二つの世界をつなぐために残された、境界の中継地点だ。


 そして、自分の持つリンク石は――


 境界を開くための鍵ではない。


 境界を越えた者が、帰るための鍵なのだ。


 光が消えた。


 地下室には、再び静寂が戻っていた。


 床の裂け目は閉じている。


 黒い結晶も、元のように静かに浮かんでいる。


 ただ、エリシアの手の中にあったリンク石だけが、以前とは違う光を放っていた。


 その表面に、新しい記号が浮かび上がっている。


 円。


 中心の点。


 そして、向こう側へ伸びる一本の線。


 グレンが、倒れかけたエリシアを支えた。


「エリシア、大丈夫か!」


「……はい」


 エリシアは、ゆっくりと顔を上げた。


 目の前には、心配そうなグレンと研究員。


 そして、少し離れた場所に立つウォッチャー。


 白い影は、エリシアの手の中のリンク石を見つめていた。


 エリシアは、震える声で尋ねた。


「あなたたちは……私を、向こう側へ連れていきたいんですか?」


 ウォッチャーは、ゆっくりと頷いた。


「向こう側には、何があるんですか?」


 ウォッチャーは、地下室の奥にある黒い結晶を指差した。


 次に、エリシアのリンク石を指差す。


 そして、胸元へ手を当てた。


 最後に、裂け目が消えた場所を指した。


 エリシアは、その動きを見つめた。


 言葉にはならない。


 だが、伝えようとしていることは、少しだけ分かった。


 向こう側には、失われた記録がある。


 境界が崩れた理由も。


 リンク石が生まれた理由も。


 そして、こちら側へ流れ込んできた魔物たちの正体も。


 すべてが、向こう側に残されている。


 エリシアは、リンク石を握り締めた。


「……行かなければ」


 グレンが顔をしかめる。


「どこへ?」


「境界の向こう側です」


「簡単に言うな。さっき、戻れなくなるかもしれないって話をしていたばかりだろ」


「分かっています」


 エリシアは、まっすぐにウォッチャーを見た。


「でも、ここで何も知らないまま帰ることはできません」


 研究員が、黒い結晶を見つめた。


「向こう側へ渡る方法は、この施設に残されているはずです」


「なら、探しましょう」


 エリシアは立ち上がった。


 まだ身体に力が戻っていない。


 それでも、足を止めるつもりはなかった。


「境界がなぜ生まれたのか。なぜ、こちら側へ魔物が流れ込んだのか。そして、ウォッチャーたちは何を守っているのか」


 エリシアは、手の中のリンク石を見た。


「全部、向こう側に答えがあるはずです」


 ウォッチャーは、何も言わなかった。


 ただ、地下室の壁に刻まれた記号が、ひとつずつ輝き始めた。


 その光は、階段の先へ続いている。


 まるで、次に進むべき場所を示しているようだった。


 エリシアたちは、光の道を見つめた。


 そして、誰も知らない世界へ続く、境界の奥へ向かって歩き始めた。

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