↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/29

第29話 クロノス


「……今も、境界とつながっているんです」


 エリシアの言葉が、地下施設の静寂に落ちた。


 黒い結晶は、台座の上で淡い光を放っている。


 先ほどまで見えていた記録の映像は、すでに消えていた。


 それでも、エリシアの中には、あの光景が残っていた。


 崩壊する境界。


 その前に立つ白い影たち。


 そして、装置が繰り返していた言葉。


 ――接続先、未確定。


「つながっている、というのは?」


 グレンが、結晶から目を離さずに尋ねた。


「わからない。でも……この結晶は、何かを探しているような気がする」


「何かを?」


「うん。さっきから、ずっと」


 エリシアは、台座に近づいた。


 黒い結晶の表面を、淡い光がゆっくりと走っている。


 その光は、まるで何かを探すように、結晶の中を移動していた。


 エリシアは、無意識に手を伸ばしかける。


「待て」


 グレンが制止した。


「まだ何が起きるかわからない」


「……でも、今ならわかる気がする」


「何が?」


「この結晶が、何を見せようとしているのか」


 エリシアは、伸ばしかけた手を見つめた。


 今まで、自分の魔法は単純なものだと思っていた。


 スロウ《減速》。


 アクセル《加速》。


 相手の動きを遅くし、自分の動きを速くする。


 それが、自分の固有魔法だと。


 けれど、先ほど結晶に触れたとき。


 自分の周囲に流れる時間が、はっきりと感じられた。


 まるで、世界の流れそのものに触れているような感覚。


 あれは、ただの速度操作ではなかった。


「……少しだけ、触れてみる」


「エリシア」


「大丈夫。今度は、何が起きているのか確かめたい」


 グレンは、しばらくエリシアを見つめていた。


 やがて、静かに息を吐く。


「……無理はするな」


 エリシアは頷いた。


 そして、ゆっくりと手を伸ばした。


 指先が、黒い結晶に触れる。


 その瞬間。


 冷たい感覚が、指先から這い上がってきた。


「……っ」


 音が消えた。


 風が止まった。


 グレンの手が、空中で止まっている。


 エリシアは、目を見開いた。


「……え?」


 自分だけが、動いている。


 いや。


 違う。


 世界が止まったのではない。


 自分だけが、世界の時間から外れている。


 そう感じた。


 空中に浮かんでいた埃が、ほとんど動いていない。


 グレンの髪も、衣服も。


 すべてが、限りなく遅くなっている。


 エリシアは、ゆっくりと手を動かした。


 自分の動きだけが、普段と変わらない。


「……これが、私の魔法?」


 今まで、魔法を使うときは、相手の動きを遅くすることだけを考えていた。


 けれど。


 今は違う。


 自分の周囲に流れる時間。


 その流れそのものが、感じ取れる。


 エリシアは、結晶へ視線を戻した。


 黒い表面に、薄い光の線が走っている。


 線は、ゆっくりと輪を描き始めた。


 やがて、その輪の中心に、景色が浮かび上がった。


 森。


 白い木々。


 そして、崩れかけた石造建築物。


 エリシアは息を呑んだ。


 それは、先ほど見た記録の続きだった。


 映像の中で、白い影たちが建物の中央に集まっている。


 彼らの前には、黒い結晶が浮かんでいた。


 ひとりが手をかざす。


 すると、空間にいくつもの光の線が走った。


 線は絡み合い、巨大な輪を形作る。


 その中心に、黒い結晶が浮かんでいる。


 しかし。


 輪は、安定しなかった。


 激しく揺れ、周囲の石壁が崩れていく。


 白い影たちが、次々と装置へ手を伸ばす。


 何かを止めようとしている。


「……境界の崩壊を、止めようとしてる」


 エリシアは呟いた。


 映像の中で、ひとりの白い影が、黒い結晶へ手を伸ばした。


 その瞬間。


 景色が、大きく揺れた。


 エリシアの胸に、強い圧迫感が走る。


「……っ!」


 輪の向こう側が、真っ黒になった。


 次に浮かび上がったのは、古い文字だった。


 けれど、なぜか意味だけは理解できた。


 接続先:未確定


 文字が消える。


 続いて、別の文字が浮かび上がった。


 時間軸:一致


 エリシアの呼吸が止まった。


「……時間軸?」


 その言葉を口にした瞬間。


 輪の向こう側に、別の景色が浮かび上がった。


 森ではない。


 石造建築物でもない。


 見たことのない場所。


 白い壁。


 見慣れない形の道具。


 そして、何かを映し出す薄い板。


 そこに、一瞬だけ文字が浮かんだ。


 接続先:確認中


 エリシアは、目を凝らした。


 けれど、文字はすぐに消えてしまった。


 代わりに、黒い輪の中心に、ひとつの光が生まれた。


 光は、ゆっくりと広がっていく。


 その向こうに、誰かの姿が見えた。


 人間のような姿。


 けれど、顔は見えない。


 その人物が、こちらへ手を伸ばした。


 エリシアの指先が、わずかに動く。


 触れてはいけない。


 そう思った。


 けれど。


 なぜか、触れなければならない気がした。


 エリシアは、ゆっくりと手を伸ばした。


 指先が、光に触れる。


 その瞬間。


 頭の中に、声が響いた。


 ――記録を確認。


 エリシアの背筋が凍る。


 ――時間軸、一致。


 ――接続先、確定。


「……っ!」


 光が、激しく揺れた。


 エリシアは、思わず手を引いた。


 世界が、動き出す。


「――エリシア!」


 グレンの声が響いた。


 エリシアは、勢いよく後ろへ倒れ込んだ。


 グレンが慌てて支える。


「大丈夫か!」


「……うん」


 エリシアは、息を整えながら頷いた。


 黒い結晶は、先ほどまでの光を失っている。


 地下施設には、再び静寂が戻っていた。


「何が見えた?」


 グレンが尋ねる。


 エリシアは、すぐには答えられなかった。


 見えたものを、どう説明すればいいのかわからない。


 森。


 白い影。


 崩壊する境界。


 そして、見たことのない場所。


「……この結晶は、過去の記録を見せているだけじゃない」


「どういうことだ?」


「今の境界を……探してる」


 グレンが眉をひそめた。


「今の境界?」


「うん。記録の中に、接続先を探しているような表示があった」


「接続先……」


 グレンは、黒い結晶へ視線を向けた。


「つまり、この装置は……」


「過去の境界を記録するだけじゃなくて」


 エリシアは、ゆっくりと言葉を続けた。


「今、どこかにある境界と、つながろうとしている」


 グレンは、しばらく黙っていた。


 やがて、台座へ近づき、結晶の周囲を調べ始める。


「……魔力の流れが変わっている」


「どういうこと?」


「さっきまでは、装置の内部に残っていた魔力が循環しているだけだった。だが今は……」


 グレンが、結晶の下に刻まれた文字を指差した。


「外部へ向かって、流れができている」


 エリシアは、結晶を見つめた。


 黒い表面に、ほんの一瞬だけ光が走る。


 そこに、短い文字が浮かんだ。


 接続先:未確定


 エリシアの胸が、ざわついた。


「……まだ、つながってない?」


「おそらくな」


 グレンは、慎重に頷いた。


「だが、何かを探しているのは間違いない」


 エリシアは、自分の手を見つめた。


 さっき感じた、あの感覚。


 時間の流れ。


 世界の動き。


 そして、自分だけが、その流れに触れられた感覚。


「……私の魔法」


 エリシアが、ぽつりと呟いた。


「今まで、速度を変えていると思ってた」


 グレンが顔を向ける。


「でも、違う」


 エリシアは、ゆっくりと顔を上げた。


「私が変えていたのは……時間そのものなのかもしれない」


 グレンは、しばらくエリシアを見つめていた。


「……時間干渉」


 その言葉が、地下施設に響く。


 エリシアは、静かに頷いた。


「まだ、確信はないけど」


「いや」


 グレンは、黒い結晶へ視線を戻した。


「今の現象を見れば、少なくとも単純な速度操作では説明できない」


 エリシアは、もう一度、自分の手を見た。


 スロウ《減速》。


 アクセル《加速》。


 今まで使ってきた魔法。


 それらは、間違いなく自分の力だった。


 けれど。


 その力の正体を、まだ知らなかっただけなのかもしれない。


「……もっと、知りたい」


 エリシアが呟く。


「この魔法が何なのか。どうして、この結晶が私に反応したのか」


 グレンは、台座から離れた。


「ならば、まずはこの施設の記録を調べる必要がある」


「記録?」


「装置が何を目的に作られたのか。誰が使っていたのか。そして、なぜ境界が崩壊したのか」


 エリシアは、頷いた。


 そのとき。


 地下施設の奥から、小さな音が聞こえた。


 カチリ。


 グレンが振り返る。


「……今の音は?」


 エリシアも、暗闇の奥へ視線を向けた。


 そこには、先ほどまで何もなかった。


 しかし。


 壁の一部が、ゆっくりと開いていく。


 石が動く音。


 長い間、閉ざされていたものが、目を覚ますような音だった。


「……隠し部屋?」


 グレンが呟く。


 石壁の向こうには、細い通路が続いていた。


 その奥から、淡い光が漏れている。


 エリシアは、ゆっくりと歩み寄った。


 通路の壁には、古い文字が刻まれている。


 グレンが、文字を読み取ろうと目を凝らした。


「……これは」


「何?」


「記録の続きだ」


 グレンは、壁に刻まれた文字を指でなぞった。


「境界の崩壊後、この施設は閉鎖された。だが、装置だけは停止しなかった」


 エリシアは、息を呑んだ。


「停止しなかった?」


「ああ。記録には、こうある」


 グレンが、ゆっくりと読み上げる。


「――接続先を失った境界は、時間の流れを探し続ける」


 エリシアの胸が、強く鳴った。


「……時間の流れを?」


 グレンは、さらに先を読む。


「――同じ時間軸に存在する境界を検知した場合、装置は自動的に接続を試みる」


 エリシアは、黒い結晶を振り返った。


 先ほどの映像。


 時間軸:一致。


 その文字が、頭の中に浮かぶ。


「……じゃあ、さっきの反応は」


「この装置が、何かを検知した可能性がある」


 グレンの声が低くなる。


「何かって?」


「……それは、まだわからない」


 通路の奥で、光が一度だけ明滅した。


 エリシアは、ゆっくりと歩き出した。


「行こう」


「エリシア?」


「この先に、何かある」


 グレンが、少しだけ迷った。


 しかし、やがて頷いた。


「……慎重に進むぞ」


 二人は、細い通路へ足を踏み入れた。


 壁に刻まれた文字が、淡い光を放っている。


 その奥には、小さな部屋があった。


 中央に置かれているのは、黒い結晶ではない。


 白い石で作られた、古い台座。


 その上に、ひとつの薄い板が置かれていた。


 エリシアが近づくと、板の表面に光が走った。


 文字が浮かび上がる。


 記録番号:未登録


 続いて、別の文字。


 接続試行:継続中


 エリシアは、息を止めた。


「……まだ、続いてる」


 グレンが板を調べる。


「この装置は、黒い結晶と連動しているようだ」


「じゃあ、さっきの結晶は……」


「接続を試みるための装置。そして、こちらはその記録を残すためのものかもしれない」


 エリシアは、板の表面に手を伸ばした。


 触れる直前。


 文字が、ひとつだけ変わった。


 接続先:エリシア


 エリシアの目が見開かれる。


「……私?」


 グレンも、その文字を見つめた。


 しかし、すぐに板の光が消えた。


 部屋には、静寂だけが残った。


「……どういう意味なんだろう」


 エリシアが呟く。


 グレンは、すぐには答えなかった。


「まだ、判断できない」


「うん」


 エリシアは、板を見つめた。


 自分の名前が表示された。


 それが何を意味するのか。


 なぜ、この装置が自分を接続先として認識したのか。


 わからない。


 けれど。


 ひとつだけ、はっきりしていることがあった。


 この施設は、まだ終わっていない。


 境界も。


 そして、自分の魔法も。


 エリシアは、ゆっくりと拳を握った。


「……もっと、知る必要がある」


 グレンが頷く。


「ああ。だが、今日はここまでにしよう。装置が再び動き出した以上、無理に触れるのは危険だ」


 エリシアは、最後にもう一度、白い台座を見た。


 その表面に、ほんの一瞬だけ光が走る。


 記録、継続。


 そして。


 接続試行、継続中。


 エリシアは、静かに息を吐いた。


 自分の魔法が何なのか。


 なぜ、境界とつながったのか。


 そして、二つの世界がなぜ分かれたのか。


 まだ、何もわからない。


 けれど。


 今までとは違う。


 ただ謎を追うのではなく。


 自分自身の力もまた、この謎の中心にある。


 エリシアは、通路の奥を見つめた。


「……次は、私の魔法を調べよう」


 グレンが、わずかに笑った。


「それがいい。境界の謎を解くには、お前自身の力を理解することも必要だろう」


 二人は、来た道を戻り始めた。


 その背後で。


 白い台座が、もう一度だけ淡く光った。


 誰も気づかないまま。


 地下施設の奥で、何かが静かに動き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。