第25話 成功
特災隊研究施設。
「昨日の実験について、報告します」
研究員がモニターを操作する。
画面に映し出されたのは、境界穴へ足を入れた隊員の姿だった。
足が向こう側へ触れた瞬間。
境界が大きく揺らぐ。
隊員の身体が引き込まれ、通信が途絶える。
そして、境界穴は消失した。
「探査機とマウスは通過できました」
研究員が続ける。
「しかし、人間が境界へ入った瞬間だけ、異常な反応が発生しています」
「人間のエネルギーが原因か」
「現時点では、その可能性が高いと考えています」
研究員が資料を表示する。
「自然発生した境界穴には、通過できるエネルギー量に限界があります。探査機や小動物程度なら問題ありません。しかし、人間の場合は質量が大きく、その限界を超えてしまう」
「つまり、人間が通過するには……」
「境界そのものの許容量を上げる必要があります」
研究員が次の資料を表示する。
「そこで、アーク鉱を使います」
モニターに黒い鉱石が映し出された。
アーク鉱。
境界に干渉する性質を持つ、特殊な鉱石。
「アーク鉱を利用して境界へエネルギーを供給し、人工的に境界の安定性を高めます」
「それなら、人間も通過できると?」
「理論上は」
研究員が答える。
「ただし、実際に成功するかは分かりません」
「ならば」
責任者が静かに口を開く。
「やるしかない」
研究員たちが動き始めた。
黒いアーク鉱が研究施設へ運び込まれる。
施設中央。
境界が発生する地点を囲むように、複数の装置が設置されていく。
「装置、配置完了」
「アーク鉱、接続します」
「各部、異常ありません」
「準備完了しました」
責任者が頷く。
「始めろ」
電源が入った。
低い駆動音が施設内に響く。
「アーク鉱、反応開始」
モニターの数値が動き始める。
「境界反応、上昇しています」
「続けろ」
「はい」
出力が上がっていく。
何もなかった空間が歪んだ。
やがて、その中心に薄い光が浮かび上がる。
「境界反応、確認!」
光が徐々に広がっていく。
その向こう側に、景色が現れた。
森。
見慣れない植物。
こちらの世界とは明らかに違う風景。
「境界穴、形成!」
「安定しています!」
研究員たちがモニターを見つめる。
責任者が口を開く。
「まずは探査機だ」
「了解」
小型探査機が境界穴へ近づいていく。
そして、そのまま向こう側へ入った。
「通過!」
「通信、正常!」
「映像も問題ありません!」
探査機は向こう側を進み、数分後に戻ってきた。
「帰還しました!」
機体に異常はない。
「次、生体」
マウスが入ったケースが運ばれてくる。
ケースが開かれる。
マウスはしばらく周囲を警戒したあと、境界へ近づいた。
そして――
向こう側へ消えた。
「生命反応、正常」
「境界も安定しています」
数十秒後。
「戻します」
マウスがこちら側へ戻ってくる。
「異常なし!」
研究員が確認する。
問題ない。
「人体実験に移ります」
研究施設の空気が変わった。
一人の隊員が境界穴の前に立つ。
研究員が最終確認を行う。
「生命反応、正常」
「境界、安定しています」
「では、始めます」
隊員が一歩前へ出る。
右手を境界へ入れる。
「反応上昇」
モニターの数値が動く。
「……安定しています」
隊員はそのまま腕を入れる。
何も起こらない。
「次、右足」
右足が向こう側へ入る。
続いて左足。
「両足、通過」
「境界、安定」
隊員がゆっくりと身体を進める。
胸。
肩。
頭。
そして――
全身が向こう側へ出た。
「通過しました!」
研究員たちが声を上げる。
モニターには、向こう側に立つ隊員の姿が映っていた。
「身体状態は?」
『問題ありません』
「異常は?」
『ありません』
「では、戻ってください」
『了解』
隊員が境界穴へ向かう。
一歩。
また一歩。
そして境界へ入る。
「帰還開始」
隊員の身体がこちら側へ戻ってくる。
頭。
肩。
身体。
最後に足。
「帰還!」
「生命反応、正常!」
「身体状態、異常なし!」
研究員がモニターを見る。
「境界穴は……」
誰もが息を止めた。
境界穴は消えていない。
そのまま安定して開いている。
「……閉じません」
責任者が静かに頷いた。
「成功だ」
昨日。
人間は境界を越えた瞬間に飲み込まれた。
しかし今日は違う。
アーク鉱によって境界そのものの許容量を高めたことで、人間が向こう側へ渡り、戻ってきても境界は維持されている。
「人体実験、成功しました」
研究員が報告した。
その日の夜。
特災隊の会議室。
テーブルを挟み、三人が向かい合っていた。
特災隊隊長。
副隊長。
そして、桐生光一。
机の中央に、向こう側の映像が表示されている。
「今回の実験で、人間が安全に境界を越えられることは確認できた」
隊長が口を開く。
「ならば、次の段階に進む」
副隊長が資料をめくる。
「知的生命体との接触ですね」
「ああ」
光一は黙って画面を見ていた。
森の映像。
22話で探査機が記録した、向こう側の世界。
「誰が行くんですか?」
光一が尋ねる。
隊長と副隊長が、同時に光一を見る。
「俺たち三人だ」
「……三人?」
「ああ」
隊長が答える。
「俺と副隊長。それから、お前だ」
光一は少しだけ眉を寄せた。
「俺も?」
「お前を外す理由がない」
副隊長が続ける。
「境界穴に対するお前の反応は、普通の人間とは違う。それに、特異生物を感じ取れるのもお前だけだ」
「向こう側には、特異生物がいる」
隊長が言う。
「何が起きるか分からない以上、お前の力が必要になる」
光一は画面へ視線を戻した。
向こう側。
まだ誰も知らない世界。
そこには、特異生物だけではなく、人間とは異なる知性を持つ存在がいるかもしれない。
「……分かりました」
光一が答える。
「俺も行きます」
隊長が頷いた。
「決まりだ」
副隊長が資料を閉じる。
「出発は、準備が整い次第」
光一はもう一度、モニターを見る。
17年前。
世界と世界は一度、繋がった。
そして今。
人類は自らの意思で、再びその境界を越えようとしていた。




