第19話 エリシア
「エリシア、遅い!」
冒険者ギルドに入った瞬間、受付から声が飛んできた。
「遅くないよ。まだ時間あるでしょ?」
エリシアは少し不満そうに言いながら、受付カウンターまで歩いていく。
「もう依頼は来てるからね。ほら」
受付嬢が一枚の依頼書を差し出した。
「どれどれ……」
エリシアは依頼書を受け取る。
「近くの森で魔物の討伐。一匹?」
「そう。森の入り口付近で灰色狼が目撃されたみたい」
「それなら大丈夫そう」
エリシアは依頼書に目を通す。
報酬も悪くない。
「じゃあ、これ受ける」
「相変わらず決めるの早いわね」
「簡単そうだし」
依頼書を受付へ戻す。
「はい、受理したわ。気をつけてね」
「はーい」
エリシアはギルドを出ようとする。
「……あ、エリシア」
「ん?」
「今日もその服?」
受付嬢の視線がエリシアの服へ向いた。
動きやすいように仕立てられた冒険者用の服。
その上には軽い防具。
腰には剣。
足元にはブーツ。
一見すると、普通の冒険者の装備だった。
「可愛いでしょ?」
エリシアは嬉しそうに袖を見せる。
「まあ……可愛いけど」
「でしょ?」
「冒険者なのに、服にはこだわるわよね」
「冒険者だからって、おしゃれしちゃいけない決まりなんてないでしょ?」
「それはそうだけど」
「それに、ちゃんと動きやすいから大丈夫」
エリシアはくるりとその場で一回転してみせる。
「ほら」
「はいはい。分かったから、早く依頼に行ってきなさい」
「行ってきまーす」
笑いながら、エリシアはギルドを出た。
◇
町の大通りを歩く。
朝の町は、多くの人で賑わっていた。
「おはよう」
「エリシア、おはよう!」
顔見知りの店主に声をかけられ、エリシアも手を振り返す。
しばらく歩いていると、前から荷物を積んだ荷車がやってきた。
馬は繋がれていない。
荷車の底に取り付けられた小さな魔法石が、淡い光を放っている。
その光に反応するように魔導具が動き、車輪がゆっくりと回っていた。
「便利だよね、あれ」
エリシアは荷車を眺めながら呟いた。
魔法石。
魔物を倒したとき、その体内から取り出される結晶。
冒険者にとっては報酬の一つだ。
しかし、この世界で魔法石が使われるのは、冒険者だけではない。
町の街灯にも。
家の明かりにも。
水を汲み上げる魔導具にも。
料理に使う魔導具にも。
そして、今の荷車のような動力にも。
魔法石は、人々の暮らしを支える身近な資源だった。
だから魔物を討伐する冒険者は、町の安全を守るだけではない。
魔法石を手に入れるという意味でも、重要な存在だった。
「今日の魔法石、いくらになるかな」
エリシアはまだ何も手に入れていないのに、もう報酬のことを考えていた。
「新しいブーツ……」
少し考える。
「いや、服も欲しい」
さらに考える。
「アクセサリーも……」
エリシアは小さく笑った。
「頑張ろ」
そのまま町を抜け、森へ向かった。
◇
森の中。
エリシアはゆっくりと歩いていた。
周囲を警戒しながら、足元の状態にも目を配る。
枝の折れ方。
草の倒れ方。
地面に残った足跡。
冒険者として何年も活動してきた彼女には、そういった小さな変化を見つける習慣が身についていた。
「……いた」
エリシアが立ち止まる。
少し先の茂み。
葉が揺れた。
次の瞬間――
灰色の狼が飛び出してきた。
「っ!」
エリシアは横へ飛ぶ。
狼の牙が、さっきまで彼女がいた場所を通り過ぎる。
着地と同時に剣を抜く。
狼が振り返る。
もう一度、飛びかかってきた。
「遅い!」
身体を低くする。
そのまま懐へ入り込み、剣を振った。
一撃。
狼は地面に倒れた。
エリシアは周囲を確認する。
他に気配はない。
「一匹だけか」
剣を振って血を払い、鞘へ戻す。
息もほとんど乱れていなかった。
「思ったより簡単だったな」
倒れた魔物へ近づく。
すると、魔物の身体から淡い光が浮かび上がった。
光は少しずつ集まり、小さな結晶へと形を変えていく。
やがて地面に落ちたのは、青白く輝く小さな魔法石だった。
「おっ」
エリシアは拾い上げる。
手のひらの上で、魔法石が淡く輝いている。
「これなら、今日の服代くらいにはなるかな」
エリシアは満足そうに笑った。
魔法石を小さな袋へ入れる。
「よし、帰ろ」
◇
夕方。
冒険者ギルドへ戻ると、受付嬢が顔を上げた。
「おかえり。早かったわね」
「一匹だけだったから」
「ちゃんと確認した?」
「もちろん」
エリシアは討伐の報告をして、魔法石を提出する。
確認が終わると、依頼の報酬が渡された。
「はい。今回の報酬」
「ありがとう」
エリシアは受け取ったお金を数える。
「……うん」
「何?」
「これなら買える」
「何を?」
「服」
「やっぱり」
受付嬢が呆れたように笑う。
「魔法石を売ったお金、全部使わないでよ?」
「分かってるって」
エリシアは笑った。
「でも、少しくらいならいいでしょ」
「まあ、それくらいならね」
ギルドを出る。
外はすでに夕暮れだった。
通りには、魔法石を利用した街灯が一つ、また一つと灯り始めている。
淡い光が町を照らしていく。
昼間とは違う、静かな町の景色。
「綺麗……」
エリシアは足を止め、街灯を見上げた。
そして――
「そうだ」
昼間に見つけた服屋を思い出した。
「まだ閉まってないよね?」
エリシアは小走りで通りを進んでいく。
◇
「これ、可愛い……」
店の中。
エリシアは一着の服を手に取っていた。
冒険者用ではない、普段着。
少しだけ高い。
けれど、気に入った。
「うーん……」
財布を見る。
服を見る。
もう一度財布を見る。
「……買っちゃお」
エリシアは服を抱えた。
冒険者として魔物と戦う。
依頼をこなす。
魔法石を手に入れる。
そして、好きな服を買う。
それが今のエリシアの日常だった。
店を出た頃には、すっかり夜になっていた。
エリシアは買ったばかりの服が入った袋を眺め、満足そうに笑う。
そのとき、胸元にあるペンダントが目に入った。
幼い頃から身につけているもの。
母からもらった、たった一つの形見。
エリシアはペンダントを指先でそっと触れた。
「……お母さん」
小さく呟く。
それ以上は何も言わなかった。
ペンダントを服の中へ戻す。
「帰ろ」
エリシアは歩き出した。
魔法石の灯りに照らされた町を、ゆっくりと歩いていく。
今日もまた、いつもと変わらない一日が終わろうとしていた。




