第5話 柊花よりすっごいの……したげるね?
朝のホームルームが終わった後の休憩時間。
普段通りの、変わらない教室。
俺は一人自分の席に着き、ボーッと外の景色を眺めていた。
「…………」
景色を見ていると言っても、意識は視線の先に無い。
すべては唇にあった。
自分の唇に触れた、柔らかい感触。
柊花のものと、俺のものが触れ合ったのだ。
「……何なんだ、この状況は……」
ため息交じりに手を額に当て、俺は軽く天井を仰ぐ。
柊花だけじゃない。
様子がおかしくなったのは捺花と春花もなのだ。
キスした時、自室にいたのは確かに俺と柊花だけだったが、今の二人には言いようのない不安が募る。
どこかで俺を監視していたのではないか、というそんな不安。
そんなこと、物理的にあり得ないとは思うのだが……。
「……ゆーうしんっ……」
心臓が止まり散らかすかと思った。
耳元で聴き覚えのある声で囁かれ、俺は光速の如く振り返る。
「……いひひっ。やほっ。一人で何ボーッとしてんの?」
そこにいたのは捺花だった。
イタズラに笑みを浮かべ、俺を見下ろしているのだが……何というか、素直にやっぱりこいつは可愛いと思った。
洗練された容姿は本当に随一だ。
昔からずっと傍にいる幼馴染だが、そりゃあ一橋君も惚れるはず。
ケバケバしいわけでもないギャルっぽい見た目が、捺花の容姿をさらに輝かせている気がする。
思わず言いそうになってしまった。
捺花は可愛いな、と。
いきなり声を掛けられてビックリはしたが。
「捺花……もう……びっくりした……。声掛けるなら正面から話し掛けてくれよ……ビビるって」
脱力するような仕草をして、俺は椅子の背もたれにもたれかかって見せる。
捺花はクスクス笑って、面白そうにしていた。
「ビビってくれたならよかった。作戦成功」
「何の作戦だよ……ビビらせないでください……」
お願いします、と言う俺だが捺花はそれを無視して話題を変えてくる。
「そういえばさ、勇信? 後で柊花と春花が勇信のとこ行くって言ってたよ?」
「え、何で?」
ちなみにだが、俺はこの三姉妹とクラスが別だ。
一年生のクラスは全部で六つある。
柊花も、春花も、捺花も、皆バラバラだった。
「何でって、そりゃシンプルに勇信に会いたいだけじゃない? 私もそういうクチだし」
「そういうクチなんですか。随分とまあ、事故以降俺のこと良くしてくれるな」
さりげなく放ったセリフだが、これがちょっと良くなかったらしい。
捺花の瞳から若干光が消えた。
でも、口元は笑ってる。
事故以降見せるようになった、危ない表情ってやつだ。
「だって、言ったじゃん? あの事故があって、私は勇信の大切さに気付いた、って」
言いながら、机の上に出していた俺の手に触れてくる捺花。
思わずその手を引きそうになるが、捺花の力は強く、それもできなかった。
彼女から目だけを逸らし、俺は若干挙動不審で辺りを見回しながら返す。
「捺加……あの……ここ学校だから……クラスメイトの視線もあるし……」
「触れるなって言いたいの? 今日の朝、柊花とは二人きりでベタベタしてたのに?」
ドキッとする。
そこに触れられると、今の俺はどうしようもなくなる。
思わず唇を軽く噛んでしまった。
柊花と交わしたキス。
その感触を隠そうと、本能がそうさせたのだ。
「ごめんね、勇信。私、二人が部屋の中で何してたのか、ぜーんぶ知ってるの」
「えっ……!?」
衝撃発言だった。
やっぱり……じゃない。
いや、なぜだ。どうやって知ったのか。
「どうやって知ったの、って顔してるね? にひひっ……勇信……可愛い……」
言って、俺の頰に手をやってくる。
近い。
距離が、あまりにも近い。
学校で、公衆の面前でとっていいような距離感ではない。
「な、捺花……っ……」
周りの人に怪しまれるからやめて。
そう続けようとしていた矢先のことだ。
おい、と。
俺たちに声を掛けてくる男子が一人。
「屋島さん、ちょ、ちょっといいかな?」
声の主は一橋君だった。
捺花に告白したイケメン。
彼の周りには何人かの友人もついてる。
全然一人じゃなかった。
めちゃくちゃ気まずい展開だ。
「……何かな? 今私、勇信と話してたんだけど?」
表情こそ笑みを浮かべたものだが、その声音からはっきりとわかる。
不機嫌な時の捺花だ。
俺との会話を邪魔されて、捺花は機嫌を損ねていた。
それでも、一橋君は負けずに続けてくる。
「よかったら……どこか別のところへ行かない? 前の告白の返事……聞かせて欲しいな、と思って」
彼の周りにいた友人は、一橋君のことを後ろからペシペシ叩いて茶化している。
でも、何人かは『今じゃないだろ』みたいな顔をしていた。
間違いない。
今じゃない。
いや、俺からすればベストなタイミングなんて無いのだが、とにかく今それを聞こうとするのは悪手だ。
どう見ても捺花は苛立っている。
「告白の返事なら、今ここでするね? ごめんなさい。私、一橋君とは付き合えない」
周辺にいたクラスメイトたちがざわつく。
あの一橋君が振られた。
そのシーンを直接目の当たりにしたのだから、無理もない。
俺も思わず息を呑んだ。
息を呑んで、次の瞬間、俺は体の熱を一気に上げることになる。
「私が好きなのはこの人。勇信ただ一人だから」
「えっ!?」
反射的に出た俺の頓狂な声。
それに続いて、クラスメイトたち、一橋君の友達たちが声を殺すようにして驚く。
一橋君は悔しそうに目を見開き、やがてぎこちなく笑った。
「そ、そっか……。なんとなくそんな気はしてたけど、そ、そうなんだね?」
「ごめんね? 本当に大切なものって、失いそうになって初めて気付くの」
いや、深いこと言ってる場合ではないが。
「行こ、勇信? 私も、勇信ともっと色々話したいと思ってたの」
「ちょっ、お、おいっ! 引っ張るなって! 話すだけならここでもできるだろ?」
周りを気にしながら言う俺だが、そんなことは聞いてもらえるはずがない。
捺花は俺のことを引っ張り、グイグイと教室の外へ出してきた。
「な、捺花っ! 授業ももうすぐ始まるぞ!?」
「いいよ。関係ない」
「関係はあるだろ? 学校にいながら授業を放棄するって、そんなの先生にバレたりでもしたら……!」
刹那。
俺のセリフを遮るかのように、捺花はズイっと顔を近寄せてきた。
キスされる。
思わずそう考えて、反射的に後退する。
すると、捺花の表情が一気に暗くなり、
「……柊花の独り占めには絶対させない」
光の消失した瞳を細めて笑う捺花。
唇の隙間から見えた舌をチラッと出し、
「……隙を見て、柊花よりすっごいのしたげるね……?」
背筋がゾクゾクするような、そんな声音。
俺はつい声を裏返らせて反応する。
それを見た捺花はクスクス笑い、俺の耳元で囁いてきた。
「勇信、空き教室行こっか」
今から?
疑問符を浮かべるが、それを口に出すことはできない。
動きの早くなった心臓を落ち着けるのに必死で、捺花に引かれた手もそのままにするしかなかった。
彼女に引っ張られて、俺はキスされに行く。
気持ちは、捕食者に食われる草食動物の気分。
でも、本当のところ俺は……。
「……えへへっ……」
病みの窺える彼女に魅了されていた。
ドキドキと期待と、不安。
心はぐちゃぐちゃだった。




