第四十一話 転機
司長室に戻り、皿を鍵付きの棚に戻す。
(結局、本質には触れられず終いだったな……)
“しょっちゅう買い足すわけではございませんが、購入の際は九頭見家御用達の商人より買い付けております”
“代々使用しているところからしか購入しないということか?”
“はい”
“私的に購入したものを使用するといったことは?”
“そのようなことはございません”
“その問いはどのような意図ですか? 料理方にも守秘義務がございます。治安司長として正式な捜査のためというのでしたら、正式な書面をもって、正式な手続きをお踏みください”
(……その通りだ)
気が急いてしまった。
私情を挟んではならない立場なのに――。
「……ご多忙のところ大変恐縮ではございますが、各務司長、少々宜しいでしょうか」
「!!」
その言葉にはっと我に返る。
「……どうぞ」
声の主は、当然ながら藪内だ。
「――こちら、本日の巡回報告です」
「ご苦労」
「……いかがされましたか?」
「?」
「いつもならその場で報告書をご覧になるはずなのに。心ここにあらずと言いますか……何か悩み事ですか?」
「いや……」
「もっとも、司長の立場ともあれば、お悩みも尽きないことでしょう」
「……」
「しかも各務司長はどなたのことも信頼されていない」
「!!」
藪内が淡々と言葉を続ける。
「それゆえ、誰にも相談されずに独自に事件を追っていらっしゃる――違いますか?」
「……」
何かを言い返そうとするが、言葉が出てこない。
「我々には町全体の巡回の強化、行方不明者の家族や周辺の聞き取り、彼らの警備の強化……どれも無難な指示しかされていません」
「……」
その通りだ。
「私はそんな各務司長に大変失望しています。このままでは第五、第六の事件がいつ起こってもおかしくないのではないかと――」
「それは……」
「もはや、各務司長は治安司をまとめる器ではないのかと疑念さえ抱いております」
「!!」
藪内から放たれた言葉に、可能な限り冷静を装う。
「そなたの意見は分かった。少し一人にさせてくれ」
「……そうやって、また人を遠ざけるのですね」
いつもと異なる声。
向けられた視線は憐憫にも似た色が宿っていた。
「……では、そなたはどういう者が治安司長に相応しいと思う?」
目の前には、自信に満ち溢れた顔。
本来であれば治安司長になるのは、この男のはずだった。
「決まっているではありませんか。各務司長しかいないのでは?」
「え……」
思わず声が出る。
「たった今、そなたは私が治安司をまとめる器ではない、失望したと言っていたではないか」
「――治安方には何名の治安司がいるかご存じですか?」
藪内の質問の趣旨が分からない。
「……三百余だ」
「ええ、仰る通りです。そして、この大組織の中心に立つのが各務司長、あなたです」
「……?」
「しかし各務司長も人間だ。二十四時間、三百六十五日、常に神経を張りつめ、持ち込まれる業務を一人でこなすのは不可能だ。いくら優秀な人間でも一人では相当効率が悪い」
「……」
「にもかかわらず、あなたは誰も頼らない」
「……」
その声色に、皮肉めいたものは感じられなかった。
「各務司長が優秀であることは、治安方の誰もが知っています。ですが、司長とは一人で事件を解決する者ではありません」
「……」
「あなたはそれで満足かもしれない。頼れない部下を使うより自分が動いた方が楽だと思っているかもしれない。しかし、それは三百もの人間の秘めた能力や活躍の場を奪っていることになります」
「!!」
「三百の人間を束ねているのでしょう? でしたら、三百人分の力を引き出すのがあなたの仕事では? それをしないのは単に各務司長、あなたの職務怠慢です!」
「……」
藪内の視線と正面からぶつかる。
「……藪内」
「はい」
「そなたの言うとおりだ」
「えっ……」
あっさりと自分の言葉を認めた上司を、藪内は驚きの表情で見つめる。
「司長という職に就いて以来、私に物申すものが誰もいなくなった。そなたの進言に感謝する」
頭を下げる各務の態度は、藪内にとってあまりに予想外のものだった。
「私はただ……ただ、無能な上司の下で共倒れになるのは御免だと言っているだけです」
そう言った後、藪内が気まずそうに顔を背ける。
「感謝している」
「!!」
再び交わった視線は、先程とは異なるものだった。
「失礼いたしました」
廊下に出た藪内の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
閉じた扉の前で深々と一礼すると、静かにその場を後にした。
***
藪内が去り、司長室に静寂が戻る。
“各務司長はどなたのことも信頼されていない。それゆえ、誰にも相談されずに独自に事件を追っていらっしゃる――違いますか?”
“私はそんな各務司長に大変失望しています。このままでは第五、第六の事件がいつ起こってもおかしくないのではないかと――“
“もはや、各務司長は治安司をまとめる器ではないのかと疑念さえ抱いております”
“……そうやって、また人を遠ざけるのですね”
“頼れない部下を使うより自分が動いた方が楽だと思っているかもしれない。しかし、それは三百もの人間の秘めた能力や活躍の場を奪っていることになります。三百の人間を束ねているのでしょう? でしたら、三百人分の力を引き出すのがあなたの仕事では? それをしないのは単に各務司長、あなたの職務怠慢です!”
昼間、川幡副料理長に言われた言葉も思い出す。
(……まだまだだな)
司長という立場に就いて一年余り。
前代未聞、異例の出世だ。
誰よりも働いた。
誰よりも責任を背負った。
誰よりも結果を出してきた。
――そのつもりだった。
だがいつの間にか、”自分がやらなくてはいけない“――そう思い込んでいたのかもしれない。
三百余の治安司を率いている。
それならば――
(まずは、話を聞くところからか)
毎日町を巡回し、行方不明者の周囲に接触しているのは彼らだ。
机の上に積まれた報告書へ視線を向ける。
毎日報告書は上げてくれている。
でも、文字だけでは伝わらないものもあるはずだ。
三百余の治安司。
その誰一人として欠けて良い者などいない。
窓の外に広がる町を見つめながら、各務は静かに息を吐いた。
(――治安司全員で、この町を――)




