第三十八話 甘い香り
最後の文章の末尾、ピリオド→句点へ修正しました
都様の願いは直ぐに聞き入れられ、明日にも都様がこちらに来ることが決まった。
(アウェイじゃないけど、やっぱり緊張する……)
材料を揃えて窯の準備を済ませると、次は千歳と一緒に客間や台所を隅々まで掃除する。
障子の木枠の埃を取り、廊下を隅々まで磨き上げる。
「……ふぅ」
千歳も反対側の廊下の水拭きをしてくれている。
「千歳、こっちは終わったよ。そっちは?」
千歳のいる方に向かう。
――と、四つん這いになって掃除している千歳の足首が目に入った。
「ちょっと千歳、怪我してるよ!?」
「……え、怪我ですか?」
千歳が驚いたように、自分の足を見つめる。
「ほら、ここ。擦り傷がたくさん――」
足首からふくらはぎにかけて、深くはないものの擦り傷が無数にある。
「どうしたの? どこかで引っかけたの?」
「掃除をしていて、どこかで引っかけてしまったのでしょうか……でもこの程度なら大丈夫です」
「ダメだよ。ちょっと待ってて」
部屋から救急箱を持ってくる。
と言っても、現代のような薬があるわけではない。
蓬をすりつぶしたものを、布に縫って足に貼る。
「すみません、ゆの様にこのようなことを――」
「うううん、もしかしてどこかに釘とか出てたのかな。都様が来た時、怪我をされたら大変なことに……」
その後、二人がかりでそれらしいものがないか探したものの、結局何も見つからなかった。
***
翌日――。
瀟洒な駕籠が、九頭見邸の前で止まった。
中から都様が現れる。
「本日はようこそお越しくださいました」
「ゆの様、本日はよろしくお願いいたします」
艶やかな着物をまとった都様が、丁寧にお辞儀をする。
(やっぱり今日も美しい……)
「こちらへ、どうぞ」
「はい」
庭を抜け、客間へと招く。
「どうぞ、狭いですがこちらへ」
「失礼いたします」
置かれているものは、芳川邸のものとは全く異なるのだろう。
物珍し気に都様が部屋を眺める。
「今、九頭見様がお越しになりますのでお待ちください」
「えっ……」
「都様がいらっしゃるならご挨拶されたいと」
「!!」
都様は一瞬躊躇いながらも、その表情は嬉しさを隠し切れずにいる。
やがて千歳が九頭見様を連れて客間に姿を現す。
「――都様。本日は遠いところをお越しいただきありがとうございます」
九頭見様が丁寧に頭を下げたのを見て、都様も頭を下げる。
「いえ、そんな……私のわがままを聞き入れていただいて感謝しております」
「ゆのの菓子は天下一品だ。ゆの、都様を頼んだぞ」
「はい」
「では都様、後ほど楽しみにしております」
「後ほどとは……?」
都様が小さな声で尋ねる。
「本日、都様にお作りいただいたお菓子を、九頭見様に召し上がっていただこうかと思っております」
「えっ……」
都様が明らかに動揺している。
二人は相思相愛だ。
だからこそ、都様が心を込めて作られたお菓子を九頭見様にも召し上がっていただきたかった。
「楽しみにしています。では、失礼いたします」
九頭見様が去ると、都様はその後ろ姿が見えなくなるまで、じっと見つめていた。
(都様、九頭見様のこと、本当にお好きなんだな……)
***
その後、台所に移動する。
「九頭見様にお出しするなんて……大丈夫でしょうか?」
「気持ちを込めて作れば大丈夫です」
「気持ちを込めて……」
「はい、それが美味しくなる一番の秘訣です」
「分かりました、頑張ります!」
都様の綺麗な着物が汚れないように、割烹着を着てもらう。
本人はそれを気に入ってくれたみたいだ。
「都様、ではまずこちらで手を洗ってください」
「はい」
「今回作るお菓子の出来上がりはこちらになります」
差し出したのはバナナのパウンドケーキ。
おそらくケーキ作りをしたことのない都様に、まずは出来上がりを確認してもらう。
「美味しそうですね!」
「はい。ぜひ召し上がってみてください」
そう言ってケーキをカットし、都様の目の前に置く。
「いただきます」
都様の感想をじっと待つ。
「美味しいですわ!」
「良かったです」
「これを、私でも作れるのでしょうか?」
「もちろんです。一緒に作りましょう」
「お願いします」
そしてケーキ作りが始まった。
バナナを潰してもらうことから始める。
「完全に潰さなくても大丈夫です。こんな感じでお願いします」
「は、はい」
慣れない手つきながら、その目は真剣そのものだ。
途中で音を上げるかと思っていたが、全くその気配はない。
「この位で十分です。ありがとうございます。では、次はこちらを混ぜていただけますか?」
「これは……」
「生地です。この中にバナナを入れて焼いていきます」
「はい」
一度混ぜる手本を見せてから、都様に生地の入ったボウルと泡立て器を渡す。
都様は慎重な手つきで、生地を混ぜ始めた。
「結構楽しくなってまいりました」
徐々にその手つきが滑らかになっていく。
「初めてとは思えません。あと十回ほど混ぜたら、この型に流して焼いていきましょう」
「この前おっしゃっていた窯、を使うんですね」
「はい。こちらへお越しください」
キッチンの隣にある窯置き場に、都様を連れていく。
「危ないですから、離れてご覧ください。一応焼く過程もご覧いただいた方が良いかと思いまして」
窯から離れたところに都様が立ち、その様子をじっと見守る。
火種を作って窯へ移し、薪をくべる。
生地を流した型を壺に収め、十分に火が回ったところで窯へ入れる。
(我ながら、かなり慣れたな……)
すると背後から拍手の音がする。
「ゆの様、すごい……」
窯の前から立ち上がる。
「ありがとうございます。焼き上がるまで、少し時間がかかりますので一度休憩しましょうか」
「出来上がりが待ち遠しいですわ」
「都様が気持ちを込めて作られたのですから、きっと美味しく焼けますよ」
その時だった。
ふわりと甘い香りが漂い始める。
「これ……! もう香りが!」
「はい、上手くいっている証拠です」
都様が、まるで子供のように目を輝かせる。
(都様って、こんな風な表情もされるんだ……)
その表情にこちらもつい嬉しくなってしまう。
窯の中では、都様が初めて作ったケーキが、ゆっくりと焼き上がっていた。




