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第三十五話 願い


※ 7/1より、毎週水曜日0:20更新予定です


洗い物をしているところに千歳がやってくる。


「ゆの様、例のお着物、お仕立てが完了したそうです」


(あの時の……)



“明日、仕立て屋が来る。ちょうど良い、そなたの分も作らせよう”


“……ゆのは、色や柄など、どのような着物が好みだ?”


“よし、ならばこれで頼む”



(どんな着物になったんだろう……)


千歳に連れられ、九頭見様の元に向かう。


「あちらのお部屋でお待ちです。では失礼いたします」

「ありがとう」


千歳が去り、九頭見様のお付きの方が中へ案内してくれる。


「九頭見様、ゆの様がお越しになりました」

「ああ、通してくれ」

「……失礼いたします」


(あ……)


入ってすぐ、出来上がった着物が広げて掛けられている。

それは――光に透けて、まるで輝いているように見えた。


(綺麗……)


「なかなか良いだろう」

「はい!」


白い蝶があしらわれた淡い水色の着物。

それに合わせた銀色の帯にも蝶が施されている。


「早速だが着てみてくれ」

「えっ!?」

「最初に見せる男が私では不満か?」

「えっ、いえ……そういうわけでは」


(何か時々すごいこと言うな……)


隣の小さな部屋で着替えをする。

目の前の鏡に映った自分は、何かいつもと違う。


「九頭見様、お待たせしました」


立ったまま本を読んでいた九頭見様がこちらを見つめる。


「可愛いな。思った通り、いや思った以上だ」

「!!」


そんな言葉をストレートに言われると、何だか恥ずかしい。


「あ、ありがとうございます」

「どうだ、感想は?」

「すごく綺麗で気に入りました」

「やはりその色にして正解だったな」

「はい!」

「言っておくが、私から貰ったからと大切にしまっておくのではなく、普段から気にせず着てくれ」

「え……」


思いがけない言葉に、九頭見様を見上げる。


とても気軽に袖を通せるような着物には見えない。

着物に全然詳しくはないけれど、肌触りも違うし、九頭見様が作らせたものだ、絶対高いに決まっている。


「着物は見る分にも確かに美しいが、(あるじ)に着られてこそ美しさが増し、存在する意味をもつ」

「!!」


……きっと、九頭見様ならではの気遣いだ。

恐れ多くてなかなか着なさそうな私を想って――。


九頭見様らしい言葉に胸の奥が温かくなる。


「ありがとうございます! 大切に着ます!」



***



芳川邸――。


雨上がりの庭には、しっとりとした静けさが広がっている。


チョキン。


小刻みの良い音を立て、都の花鋏(はなばさみ)牡丹(ぼたん)の茎を切る。


父の部屋に活けるための牡丹だ。

昨夜降った雨のせいで、花弁(はなびら)にも葉にも水滴が宿り、美しさも一入(ひとしお)だ。


手には桃色の大きな牡丹が三本。


(この位かな……)


立ち上がろうとしたちょうどその時、廊下の向こうから話し声が聞こえてくる。


「……では、伊織様も最近は特にお忙しいのですね」

「ええ。でも昨日、九頭見家に納品いたしましたので、これからは芳川様の着物に専念いたします」


九頭見家と芳川家、両家に出入りしている仕立て屋・伊織と女官達の声だ。

何となく出て行きづらくなり、そのまましゃがみ込む。


「伊織様はいつも一枚を仕上げてから、次に取りかかられますものね」

「ええ、今回は特に二枚ご注文をいただいておりましたので、こちらに来るのも少し遅くなってしまいました」

「さすが、九頭見様。同時に二枚も新調なされるだなんて」

「誕生日会が近いからかしら?」


女官達がキャッキャッと盛り上がる。


「一枚は女性用の着物ですが」


(えっ……)


女官達の反応も同じだ。


「ええっ、どなた宛のものなのですか?」

「もしかして都お嬢様に贈られるおつもりじゃ――」


明らかに女官が色めき立つ。


「いえ。私は初めてお見かけした御方でしたが、その方に贈られるものでした。確か名前は――ゆの、とおっしゃる方だったかと」


(!?)


伊織と女官達は自分の姿に気付くことなく、廊下を曲がって通り過ぎていく。


(ゆの……ってあの……?)


そう。


あの日……外交宴席のお見送りが終わった後に九頭見様が真っ先に向かったのは、父でもなく、各務様でもなく、自分でもなかった。


あの日の光景が蘇る。


「……」


手にしていた牡丹から一粒の雫がぽたりと落ちる。

牡丹の茎を持つその指先は、微かに震えていた。



***



父の部屋に、切り立ての牡丹が瑞々しく香る。

最後の牡丹を挿し終えた時、背後から声がかけられた。


「――都か。こんなところに」

「父上」


そこには父・吉左衛門(きちざえもん)の姿があった。

活け終わった牡丹を見て、父が目を細める。


「おお、これは見事だ……」

「父上の好きな牡丹を活けました」


娘が活けた牡丹を眺める父の表情は柔らかい。


頭を巡るのは、先程の伊織と女官達の会話――。

意を決して、父に声をかける。


「……父上」

「どうした?」

「一つお願いがございます」


娘の珍しい言葉に、父が驚いた顔でこちらを見つめる。


「願い? 何でも言ってみよ」

「……先日、九頭見邸でいただきましたあのお菓子、またいただけたらと思うのですが……」

「ああ、あの舶来物の珍しい菓子のことか」

「はい」

「確かに美味だったな……」

「九頭見様にお願いしてあの職人を芳川邸に招くことはできますでしょうか」


娘の視線に、父は深く頷く。


「ちょうど明日九頭見様にお会いする。一度話してみよう」

「よろしくお願いいたします、父上」


父が去った後、都は静かに息を吐く。


廊下に出た芳川もまた、菓子職人・ゆののことを思い返していた。



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