第三十二話 再会
すっかりと夜も更けていた。
馬に揺られ、治安方へ戻る。
「各務様、一度お休みになられては?」
「いや、先に会議の報告書をまとめる。それより、あの誘拐事件はどうだ、何か進展はあったか?」
「……申し訳ございません。見回りの強化で被害者は増えていませんが、未だ手掛かりが見つからず――」
「そうか……」
他にも多くの案件を抱えている。
もちろん通常業務もある。
やることは山積みだ。
「……各務様、何か手伝えることがございましたらおっしゃってください」
「ああ、ありがとう」
扉が閉まる。
――疲れや眠気がないと言ったら嘘になる。
だが、今は記憶が新しいうちに報告書を仕上げるのが先決だ。
来週で構わないと言われているが、週に一度ある明日の九頭見様への報告会に間に合わせたい。
筆を取ると、議題や進行内容を具に書き記していった。
***
完成した頃には、既に朝を迎えていた。
朝の光を浴びながら、一息つこうと湯呑みを手にする。
「……」
――あの家に住んでいたら、きっと甘い菓子と共に、いつものように迎えてくれるだろう。
一睡もしないで迎えた朝。
書き終えたばかりの報告書をしまうと、静かに司長室を後にした。
***
「おお、宗真か。昨日は良くやってくれた」
「ありがとうございます」
今日は、各司の長が一人ずつ九頭見様に一週間の報告を行う定例日だ。
「こちら報告書になります」
「もう作ったのか!?」
「はい」
九頭見様が報告書に目を通す。
「分かりやすくまとめられている。こちらで進めてくれ」
「承知いたしました」
「――して、例の誘拐事件はどうなった?」
「申し訳ございません、それについてはまだ解決に至っておりません」
「宗真は今回の応対でしばらく忙しくしていた。その間被害がなかったのは幸いだが――決して五人目を許すな」
「はっ」
「……といっても、宗真の身体は一つしかない。疲れも相当なものだろう」
「いえ、それ程では――」
「……元気が出るものがある。少しここで待っていてくれ」
「はっ」
九頭見様が部屋を出て行き、ふと視線を庭へ向ける。
丁寧に手入れされた庭木の向こうで、梅が静かに揺れている。
(美しいな……)
その光景を眺めていると、少しして足音が聞こえる。
九頭見様とは明らかに違う軽やかな足音。
「!?」
廊下の向こうから姿を現したのは湯呑だった。
「湯呑……ゆの!」
「各務様!」
息を弾ませた湯呑が、こちらへ駆け寄ってくる。
遠目で昨日も見かけたのに、とんでもなく久しぶりに感じる。
「どうしてここへ?」
「九頭見様に呼ばれました」
そう言われて、先程九頭見様が言っていた“元気が出るもの”が湯呑であることに気付く。
「各務様、こちら召し上がりませんか?」
部屋に入り、机の上に包みを広げる。
中から現れたのは、見たことのない赤いケーキ。
「これは何というケーキだ?」
「いちごのタルトです」
「タルト……また初めて聞く名だな」
ふんだんに苺が飾り付けられ、その表面は光沢を放っている。
湯呑がお茶を入れてくれる。
場所は異なるが、この光景が何だか懐かしい。
「ぜひ召し上がってみてください」
「ああ、いただく」
口に入れると、甘酸っぱさや甘味、生地の食感が混じり合い、何とも言えない美味しさが広がる。
疲れた身体が一気に癒される。
「――いかがですか?」
「美味い……」
その言葉に湯呑が嬉しそうにはにかむ。
「良かったです」
「疲れが吹き飛ぶな……」
「もう一切れありますので、良かったら召し上がってください」
(やはり湯呑のケーキは絶品だ……)
まともに食事も摂っていなかったせいで、美味しさが身体中に染みわたる感覚だ。
結局二つとも食べ切ってしまう。
「……各務様、昨日は本当にお疲れ様でした」
「それはこちらの台詞だ。湯呑に随分と助けられた」
「とんでもないです」
「いや、湯呑なくしては成り立たなかった。心から感謝する」
それは紛れもない事実だ。
帰りの馬車で、全員が口々に湯呑のことを褒めていた。
「お疲れですよね」
「だが、一つ山場は超えた」
「でも……誘拐事件も追っていらっしゃるんですよね?」
その言葉に驚く。
「どうしてそれを……?」
「世話係の千歳に聞きました。詳しくは知りませんが」
湯呑に隠す必要もないだろう。
「……その通りだ」
「あまり休めていらっしゃらないのでは?」
「今年に入って四人も行方不明になっている。まだ誰一人として見つけられていない」
「何か手掛かりはないのですか?」
「――それもまだだ」
あれから何度も行方不明者の家族の元に通った。
無関係とも思える情報も拾い上げてきた。
――否応なしに、行方を晦ました両親の姿が重なる。
行方不明者の家族の気持ちは自分が誰よりも分かっているつもりだ。
だからこそ――。
「各務様。行方不明の四名の方の情報を教えてもらうことはできますか?」
「!?」
思いがけない言葉に、湯呑を見つめ返す。
「……いきなりどうした?」
「何か少しでも……力になればと」
「……」
その瞳は真っ直ぐで揺らぎがない。
「……本来なら見せるべきものではないが」
湯呑に資料を手渡す。
「ありがとうございます」
受け取った湯呑は、その資料を丁寧に読み始める。
「……性別も年齢も職業もバラバラなんですね」
「ああ」
「四人が知り合いということはないのですか? 本人同士でなくても、家族のうちの誰かが繋がっているなど……」
「それもなかった」
「そうなんですね……」
この事件が解決できずにいる理由は、共通項が見つからないこと。
なぜこの四人なのか、それとも意味などなく無作為に攫われたのか――。
「この四人はその後、どうなったんだろ……」
呟くような湯呑の言葉。
「まだ行方は追えていない」
「いえ、行方ではなく、どうなっているかです」
「どうなっているか……?」
「この四人がもし同一人物に攫われたとして、一緒のところに集められたとしたら、何が起こっていると思いますか?」
「何が起こっているか……?」
――そういう風に考えたことはなかった。
「身代金の要求はないんですよね」
「ああ」
「それならこの四人の共通項を探すよりも“攫ったことで、犯人が何を手に入れられるか”に着目した方が良いかもしれませんね」
「犯人が何を手に入れられるか……?」
そこまで聞いたところで、ふと次の予定が差し迫っていることに気付く。
「……すまない、そろそろ行かなくてはならない」
「こちらこそ、すみません」
慌てて、湯呑が資料を揃えて返す。
「……」
「……」
資料を受け取った後、見つめ合ったまま一瞬黙ってしまう。
「なかなかお会いできませんね」
「……ああ」
別れ際になると、言葉が見つからない。
“……外出が禁じられるわけではない。落ち着いたらまたあの温泉にでも行こう”
“はい!”
実家での最後の夜、湯呑に伝えた言葉を思い出す。
だが、同時に藪内の言葉が浮かんできて、その気持ちを掻き消す。
“――守るものがあると、人は脆くなります。くれぐれもお気をつけください”
「こちらでの生活はどうだ?」
「はい、だいぶ慣れました」
「そうか。コッコは元気か?」
「はい。こちらでも毎日卵を産んでくれます。あと窯も絶好調です!」
「ならば良かった」
それなら安心だ。
立ち上がり、戸の前に向かう。
「各務様、少しは休んでくださいね」
心配そうに見つめる瞳。
「そうだな、だが今日は湯呑に元気をもらった」
思わず口をついて出てしまい、慌てて口を閉ざす。
「えっ?」
「いや、ケーキ、美味かった」
「良かったです。もしまたお越しになることがあれば」
「……ああ」
間近で視線が合う。
名残惜しさを振り払うように、背を向ける。
「……じゃあ、また」
「はい、また……」
***
「……」
門に向かうため九頭見邸の長い廊下を歩いていると、雨が降ってきたことに気付く。
ぽつりぽつりと降り始めた雨が、やがて本降りへと変わっていく。
激しさを増す雨音が、九頭見邸の静寂をゆっくりと覆っていく。
――その雨音に紛れるように、一つの気配が廊下の奥へと消えていった。




