第三十一話 褒美
客人達を乗せた馬車が正門を後にし、夜の静けさが戻る。
夜風に揺れる梅の花を見つめながら、息をつく。
各務様も通訳兼治安司長として、馬車に同乗して行ってしまった。
(きっとお疲れだろうな……)
これまでのようにケーキをプレゼントしたいところだが、今はそれも叶わない。
空を見上げると、ちらほらと星が瞬いている。
(……でも、とりあえず終わった……)
あまりに長かった一日がようやく終わろうとしていた。
思わず息を吐く。
「……ゆの」
「!?」
見るとそこには、にっこりと微笑む九頭見様の姿。
「く、九頭見様!」
「ゆの、今日は良くやってくれた」
「あ、ありがとうございます」
九頭見様からの直々のお礼に、慌てて頭を下げる。
「そなたには褒美をやらねばな」
「えっ?」
「欲しいものを考えておくと良い」
「いえ、私はそんな……」
「遠慮は無用だ……そういえば明日、仕立て屋が来る。ちょうど良い、そなたの分も作らせよう」
「え、そんな……」
「またこのような場があるかもしれないからな。それとも他に欲しいものがあるのか?」
「いえ、そういうわけでは――」
「じゃあ決まりだな。明日の午後、時間を空けておいてくれ」
それだけ言い残すと、九頭見様はくるりと背を向け、芳川親子の元へと行ってしまった。
「……」
(いいのかな、着物なんて。絶対高そう……)
***
梅が咲き誇る庭を眺めながら、自室へと戻る。
先程までの賑やかさが嘘のようだ。
宴席会場だった庭は役目を終え、しんと静まり返っていた。
「ゆの様、お帰りなさいませ」
「遅くなってごめん……もしかして片付け――」
「済みましたので、お茶を入れますね」
「ありがとう」
客間に腰を下ろす。
今日ちゃんと座ったのは、これが初めてかもしれない。
「ゆの様、本当にお疲れ様でした」
「ありがとう」
温かな緑茶が差し出される。
「千歳も座って。千歳のおかげで今日乗り切れたんだから」
「……では、失礼します」
客間から臨む庭先にも梅が見える。
「……お客様は、もう皆お帰りで?」
「はい。各務様は同行されたようですが」
「そうですか」
「……」
(あ、そうだ。千歳にさっきの着物の話、聞いてみよう)
「さっき九頭見様から今日の褒美に着物をくれるって言われたの」
「着物、ですか……」
「うん。ちょうど仕立て屋さんが明日来るとかで。でも、仕立ててもらうなんて……受けちゃっていいのかな。お給料も貰っているのに」
千歳が庭に視線を向けたまま、話し始める。
「九頭見様が仕立て屋を呼ばれることは珍しくありません」
「うん」
「ですが、九頭見家以外の人間――ましてや女性の着物の仕立てを依頼するのは、私が知りうる範囲では聞いたことがありません」
「え……」
「きっと、九頭見様が今回のゆの様のご活躍を特別にご評価されたのだと思います」
「でも、そこまで大したことはしてないけど……」
「ゆの様がどう思われようとも、九頭見様は高く評価されたということです。都様にもそのようなことはしたことがないかと」
「えっ、都様……?」
突然、都様の名前が出てきたことに驚く。
「都様ご存じですよね? 芳川様のご令嬢の」
「うん」
「都様は、九頭見様の婚約者候補の中で最有力と言われていらっしゃいます」
「そうなんだ……」
(だからあの時――)
九頭見邸に来たばかりの頃。
最初の宴席の終わりに見た、二人きりのあのシーンを思い出す。
(確かに美男美女ですごくお似合い……)
今回の外交宴席に同席されていたのも、そういうことなのかもしれない。
「今後また外国からお客様をお招きになることがあれば、ゆの様は必ず呼ばれるのでは? それも込めての下賜かもしれませんね」
(うっ……)
学校の授業は嫌いだったけれど、洋画を見るのが好きで何となく覚えた英語。
(こんなことなら、もう少し勉強しておけば良かった……)
***
翌日――。
九頭見邸の一角では、採寸が行われていた。
(現代でもオーダーメイドなんてしたことがないのに……)
身体のあちこちに次々とメジャーを当てられ、只々されるがままだ。
一通り採寸が終わった頃、九頭見様が現れる。
「ゆの、どうだ?」
「九頭見様! 本当にありがとうございます」
「ゆのは、どのような着物が好みか?」
「え……」
急に言われてもすぐ出てこない。
そもそも着物なんてほとんど着たことなどないのだ。
「伊織、見本を」
「はっ」
様々な色や柄の布が、畳一面に広げられる。
九頭見様がそれらを、私の肩に次々と当てていく。
「これも良いな……いや、こちらか?」
姿見の前で、九頭見様が水色に白い花が描かれた布地を当てる。
濃いめの水色と、シフォンがかかったような薄い水色。
下の方には、白い小さな蝶が空を飛んでいるように描かれている。
「お嬢様には、こちらの淡い色の方がお似合いかと」
「ならばこれで頼む」
「はっ」
仕立て屋が去った後、九頭見様と二人きりになる。
「……ん? 何だこれは?」
「……あっ!!」
振り向くと、九頭見様が畳に転がったぬいぐるみ・コッコを手にしている。
(やばい……帯から落ちちゃったんだ……)
「そ、それは――」
「……随分と年季が入っているな」
九頭見様がまじまじとコッコを見つめている。
(うぅ、恥ずかしすぎる……)
「小さい時から持っているもので――」
慌てて受け取ろうとするが、九頭見様はコッコを見つめたまま離さない。
「宴席ではあれほど堂々としていたのに、このような物を持ち歩くのだな」
「うっ……」
顔が熱くなる。
「御守りのようなものか?」
「そ、そうです……」
まさか子供の頃から寝る時は一緒で、異世界に転移した時に着ていたスウェットのポケットに入っていて――なんて言えるはずがない。
「ならば御利益がありそうだな」
「そ、それは……」
「次、私も大きな席ではこれを借りるとしようか」
「ええっ!?」
驚く私を見て、九頭見様が愉快そうに笑う。
「冗談だ」
そう言いながら、コッコが返される。
「……ゆのは面白いな」
「そんな……」
「昨日のゆのを見ていると、何でも器用にこなせる人間に見えたが……」
「そんなことありません! 昨日は本当に必死で……」
「あれ程までの菓子を作り、英語を話し、子供をもてなし、宴席を収めたかと思えば、懐には鶏のぬいぐるみを忍ばせている」
「うぅ……忘れてください……」
「無理だな」
クックッと喉の奥で笑う声が響く。
九頭見様のこんな表情を見るのは初めてだ。
「ゆのが来てから、この屋敷は退屈しないな」
「えっ……」
その言葉に思わず目を瞬いてしまう。
「これからも頼りにしている」
「こ、こちらこそよろしくお願いいたします!」
春の風が吹き込み、髪がふわりと舞い上がった。
九頭見様を見送った後、ふと気付く。
自分が異世界に来て、随分経ってしまったことに。
異世界にいることが当たり前になってしまったことに――。




