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第二十四話 同じ月


(ちゃんと謝って分かってもらおう)


――確かに失礼だ。


緊張のためとはいえ、作ってくれた膳を前に、たくさんお茶を飲んだのは事実だ。

その姿が、流し込むように見えてしまったなら謝らないといけない。


遠くから足音と共に、川幡(かわはた)副料理長が部屋にやってくる。


「お疲れさ――」

「これが例の予定表だ。この丸が付いている箇所が宴席や来客用の菓子を用意する日だ。数字が必要な個数になる」


言葉を遮るように差し出された紙を覗き込む。

思いの外、作る機会はたくさんありそうだ。


「……ありがとうございます」

「では」


来て一分も経たないうちに去ろうとする川幡副料理長を慌てて止める。


「川幡副料理長、少しお時間よろしいでしょうか」

「……」



***



キッチンの隣の客間で、川幡副料理長と向かい合って座る。

お茶を出したものの、手を付けてくれる気配はない。


「昨日は申し訳ございませんでした。せっかく作っていただいた膳を――」

「その話なら昨日もう済んだはずだ」


一瞬、押し黙ってしまう。


「完全に私が悪かったと反省しております」

「……」


その言葉に返事はない。


「あの……これまでどういうお菓子を作っていらっしゃったのですか?」


その言葉に川幡副料理長が小さく息を吐く。


「……そなたが作る菓子とは真逆だ」

「え……」

「九頭見様より直接の御指名をいただき、これ程までの環境を与えられている。私のような一料理人の話など、参考になるとは思えない」

「そんなことはありません! お客様の好みなども把握したいですし、これまでの宴席でどのような菓子を出していたか知りたいです」

「私は前任者より、そのようなことを聞いたことはないが」

「えっ……?」

「自分の思惑で、他人の時間を奪うな」

「!!」


それだけ言うと川幡副料理長は立ち上がり、声をかける間もなく襖が閉ざされる。

――それはまるで心の拒絶。


「……」


“自分の思惑で、他人の時間を奪うな”


そう言われてしまえば、何も返せない。



“お客様の好みなども把握したいですし、これまでの宴席でどのような菓子を出していたか知りたいです”


“私は前任者より、そのようなことを聞いたことはないが”



現代でパティシエをしていた頃のことを思い出す。


(確かにそういうタイプの先輩もいた。でも今は見て学ぶ相手もいないし……)


その時、客間の襖の向こうから声がする。


「……ゆの様、よろしいでしょうか?」


現れたのは千歳。


「すみません、声が聞こえてしまったもので……。九頭見邸で催される宴席やお客様についてなど、全てを把握しているわけではございませんが、私の分かる範囲でお伝えいたします」

「千歳……ありがとう!」



***



書類に目を通しながら、各務は筆を走らせていた。

静かな司長室に、紙を(めく)る音だけが響く。


「ご多忙のところ大変恐縮ではございますが、各務司長、少々宜しいでしょうか」


心の平穏を破る、例の声――。


「……どうぞ」


部屋に入ってきたのはもちろん藪内だ。


「――こちら、本日の巡回報告です」

「ご苦労」


差し出された書類を受け取り、一通り目を通す。


配置、巡回経路、特記事項――。


「……異常はないようだな」

「はい、特に問題はございません」


簡潔な言葉が返される。

視線を落としたまま、各務は次の書類へと手を伸ばす――が、藪内はその場を離れない。


「他に何かあるのか?」

「……いえ、業務に関しては何もございません」


藪内のその言葉に顔を上げる。


「……どういう意味だ?」


藪内の言葉に流されたくはないが、聞き返さずにはいられない。


「各務司長は、随分と変わられたなと思いまして」

「……」


不意に落とされた言葉に、筆を置く。


「何の話だ?」


見上げると、藪内は穏やかそうな表情を浮かべていた。


「各務司長は、以前はもう少し……ご自身のことだけを考えておられたように思います」

「……」


責めているのか、(あざけ)っているのか読めない声色。


「……何が言いたい?」

「人間らしくなられたなと」

「……」

「……あの女性が現れて以来」

「!」


一瞬、呼吸が止まる。


「では、失礼いたします」


動揺を抑え込むように、震える手で書類の端を握る。


しかし部屋を出る直前、再び藪内の視線が各務に向けられた。


「――守るものがあると、人は(もろ)くなります」

「……!」


振り向いた藪内と、視線がぶつかる。


「くれぐれもお気をつけください。では、失礼いたします」


その言葉と共に、扉が音を立てて閉ざされる。


「……」



“各務司長は、以前はもう少し……ご自身のことだけを考えておられたように思います”


“人間らしくなられたなと……あの女性が現れて以来”



「……」


書類を置くと、窓辺に向かう。

木枠を持ち上げると、冷たい風が一気に流れ込んだ。


(湯呑を九頭見邸に預けたのは正解だった……でも)


空に輝く白い満月を見つめる。


藪内が最後に放った言葉が耳を離れない。



“――守るものがあると、人は脆くなります。くれぐれもお気をつけください”



(……しばらくは、湯呑を訪ねない方が良いかもしれないな)



***



千歳からのレクチャーが終わり、布団に倒れ込む。


(ボールペンがあったらいいのに……)


教えてもらった内容を、紙を半分にして糸で綴じたメモ帳のようなものに、小筆で書いたものの……


(うぅ、読みづらい……)


現代では当たり前にあったものが、あんなに便利だったのだと思い知らされる。


(でも、千歳には本当に感謝……)



“九頭見邸で催される宴席やお客様についてなど、全てを把握しているわけではございませんが、私の分かる範囲でお伝えいたします”



そう言いながらも、一つひとつ丁寧に教えてくれた。


(もうすっかり暗くなっちゃったな……)


メモ帳を布団の脇に置くと、縁側に出る。

コッコは既に鳥小屋の高い場所で眠っている。


(月、綺麗……)


空を見上げると煌々(こうこう)と光る満月。


……まだ、九頭見邸に来てたった二日なのに、色々な事があった。


(抹茶のテリーヌとガトーショコラ、各務様にも食べてほしかったな……)


前なら作ったケーキを一番に食べてもらっていたのに。


(……また、来てくれるといいな)


そう思いながら、空を見上げる。


互いに、同じ月を見ているとも知らずに――。



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