第二十話 覚悟
準備は整った。
小花柄の布団の上に白い布を掛けて巻く。
真っ黒のスウェットを着た上に着物を重ねる。
ポケットにはぬいぐるみ・コッコ。
あの場所に行くのはあの日以来だ。
夜、完全に日が落ちてから、星明かりを頼りに町へ向かう道をひたすら歩く。
遥か遠くに見える町。
徒歩で行ける距離だが、布団があるせいで結構大変だ。
コッコにはいつもよりたくさんの餌と水をあげてきた。
お礼を言ってきた。
部屋も掃除した。
明日になれば各務様が来て、置き手紙に気付いてくれるだろう。
――帰れるかなんて分からない。
でも、これしか方法が思いつかない。
きっとまた同じ状況で寝て目覚めれば、元の世界に戻れる。
あの日、寝ていて目が覚めたら突然、この世界に転移していたように――そう信じるしかない。
何度も持ち替えながら、えっちらおっちらと布団を運ぶ。
(真っ暗で良かった……)
***
やがて町に辿り着く。
誰一人いない。
治安方の見回りの気配もない。
陽が昇る前に、どうにか戻っていてほしい。
戻れなかったら、また完全に変人扱いだ。
一か八かに賭けるしかない。
白い布を外し、布団を敷く。
着物を脱いでスウェット姿になる。
ぬいぐるみ・コッコがポケットにあることを確認する。
強く願いながら布団に入る。
(お願い……! 帰らせて!!)
長距離を歩いた疲れからか、知らない間にすぐ眠りについた。
***
「……湯呑、おい、湯呑」
「……ん……」
遠くで誰かの声がする。
「湯呑、起きろ」
「!?」
聞き慣れた声にガバっと身体を起こす。
目の前には各務様。
遠くの空が少しずつ明るくなっている。
(変わって、ない……)
どこかでそんな気もしていた。
でも、帰れる気持ちの方が大きかった。
思わず俯く。
「……どう、して……ここが……?」
置き手紙に場所は書いていないのに。
ここにいることを、まるで知っているみたいに。
「……!!」
何も言わないまま、各務様が静かに身体を引き寄せる。
「か、各務様!?」
各務様は何も喋らない。
そのままじっと抱き締められる。
各務様の温もりが、身体にじんわりと流れてくる。
「……くしゅん!」
朝の寒さに思わずくしゃみが出る。
身体を離した各務様と目が合って、思わず笑ってしまう。
「す、すみません……」
「……夜が明ける前に帰るぞ」
「えっ?」
「このままだとしょっ引かれる。初日の繰り返しをしたいのか?」
思わず首をぶんぶんと横に振る。
「早く乗れ」
各務様は布団を巻き上げ、馬に結わえると、いつものように引っ張って馬に乗せてくれる。
「寒くないか?」
「大丈夫です」
スウェットの上に着物を重ね、背中に各務様の温もりを感じながら、明けきらない道を駆け抜けた。
***
夜明け前に家に辿り着く。
各務様がそのまま台所で朝食を作ってくれる。
その間に着物に着替える。
少しすると、美味しそうな匂いが部屋を満たす。
「できたぞ」
「ありがとうございます」
机の上には卵を使った雑炊が二つ。
机に置いたはずの手紙は見当たらない。
(読んできてくれたんだ……)
「……何か、初日に見た光景だな」
「確かに……そうですね」
そうだ、あの日も……異世界にきた日の朝、各務様がお粥を作ってくれた。
その時と違うのは、各務様も一緒に食べるということ。
「……いただきます」
手を合わせていただく。
ショックな気持ちを打ち消すように、雑炊を口にする。
「美味しい……」
「……」
(あ……)
急に溢れてきた涙を慌てて拭う。
でも、また次から次へと――。
「湯呑、これも再現するか?」
「えっ!?」
そのまま、私の頭を各務様の肩に預けさせる。
(あの時と、こんなことまで一緒……)
涙が頬を伝う。
しばらく経っても、その涙が止まることはなかった――。
***
「……どうしてあの場所にいると分かったのですか?」
手紙には今までのお礼、今日からケーキが作れなくなることのお詫びなど、最低限のことしか書かなかった。
(なのに、なぜ……?)
「考えればすぐ分かる。外出できない湯呑が、それでも行く場所と言えば……それに布団もなくなっていたしな」
「……」
ぐうの音も出ない。
「……湯呑」
「はい」
「俺のせいであんなことしたんだろう?」
「……」
「俺が言葉足らずだった。申し訳ない」
そう言って各務様が頭を下げる。
「やめてください! 違います、各務様のせいではありません。私……元の場所に帰ることを忘れかけていました。それは多分、ここに居ることが楽しくなっていたからです。やりがいも感じて。全部各務様のおかげです」
「それは――」
「普通なら一日でも早く帰るためにどうにかしようって思うはずです。なのに、そう思わずにずっときちゃって……そのせいで各務様に迷惑をかけて……」
「それは違う!」
各務様の声がはっきりと否定する。
「違う……そうではない。俺が……」
その表情は苦しそうだ。
「……湯呑。改めてお願いがある。ここにいる間は九頭見邸へ行ってくれないか?」
視線と視線がぶつかる。
「それは……どうして、ですか……?」
「昨日伝えた通り、九頭見様の元であれば、今より恵まれた環境で菓子作りに専念できる。それに――」
(それに……?)
次の言葉を待つ。
「湯呑を危険に晒したくない」
「危険……? どういう意味ですか?」
思いがけない言葉。
(ここにいることで危険があるってどういうこと……?)
各務様が、藪内という男性が私の素性を探っていることを話してくれる。
「湯呑がここに一人で住んでいることが知られれば、危害が及ぶかもしれない。ここから離れるのは負担になると思うが……九頭見邸へ行ってほしい」
懇願するような各務様の瞳。
「……分かりました」
そう答えたものの、正直、胸の中をモヤモヤしたものが渦巻く。
「……それならそうと、どうしておっしゃってくださらなかったのですか?」
「湯呑の言う通りだ。本当に申し訳なかった」
「……」
そう言われれば、これ以上何も言えない。
「分かりました。九頭見様に九頭見邸で働かせていただきたいとお伝えください」
その言葉に各務様が深く頭を下げた。
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