第十九話 選択
(最近の各務様って……)
材料もこまめに持ってきてくれる。
作ったケーキを菓子店へ運んでくれる。
相変わらず優しい。
(でも――)
以前と……どことなく違う気がする。
言葉にするのは難しいけれど、何か心ここにあらずと言うか――。
(当然だよね……)
最初のうちは一週間に一度運んでもらっていたのを、今は毎日。
他の人に頼むことも、私自身が運ぶこともできない。
全て各務様に背負わせてしまっている。
(忙しい立場のはずなのに……)
各務様に負担をかけたくない。
生活費くらい自分で稼ぎたい。
そう思って始めたことなのに。
なのに、結局前よりも……。
心が痛い。
異世界で生きるために必要な自立。
――頭の中に、あの時の九頭見様の台詞が蘇る。
“ゆの。そなたを当家専属の菓子職人に召し抱えたい。報酬はいくらでも弾む”
“良い返事を期待している”
「……」
あれからまだ返事をしていない。
(九頭見様のためにも、各務様のためにも、いい加減決めなきゃ……)
***
夕刻――。
馬が近づく音が聞こえ、慌てて玄関に向かう。
「湯呑。売上金を持ってきた。今日も完売だ」
「いつもありがとうございます」
以前よりずっしりと重くなった売上金の袋と、空の皿を受け取る。
「……各務様」
「どうした?」
「あの、九頭見様の件ですが……」
「ああ、腹は括ったか?」
「えっ……」
“じっくり考えれば良い”と言っていた各務様が初めて口にした、これまでとは異なる台詞。
(”腹は括ったか“って、九頭見邸に行く前提の言葉じゃ……)
急な変わりように動揺する。
自分を落ち着かせるように、逆に尋ねてみる。
「……各務様はどう思われますか?」
各務様の瞳がほんの一瞬揺れたのは、気のせいだろうか。
「そうだな……九頭見様の元であれば、今より遥かに恵まれた環境で菓子作りに専念できる」
「!」
「もし、湯呑が九頭見邸に行くというならば、窯についてはどうにかする。心配無用だ」
「……」
淡々とした表情。
(……私、何を期待していたんだろう?)
このままここに居ればいい、今まで通りここでケーキを作ればいい。
そう言ってくれる気がしていた。
勝手に。
無理に笑顔を作ってみる。
でも、自分でもなぜか分からない。
押し潰されるように胸が痛い。
(各務様は、私がここにいることを望んでいない……)
「……そう、ですよね……」
それ以上は何も言えなかった。
***
背中を見送りながら、胸の奥がざわつく。
“……九頭見様の元であれば、今より遥かに恵まれた環境で菓子作りに専念できる”
“もし、湯呑が九頭見邸に行くというならば、窯についてはどうにかする。心配無用だ”
――優しい言葉で背中を押されている。
九頭見邸に行けば、恵まれた環境や材料に囲まれてケーキ作りができる。
各務様にこれ以上の迷惑をかけずに済む。
迷う必要なんてない。
(なのに……)
今さら躊躇っている。
――それは、分かっているから。
一度九頭見邸に行けば、多分ここには戻れなくなると――。
各務様の実家であり、私が夢で描いた理想の店。
曖昧で、不安定で、何の保証のない場所。
それでもここは各務様が来てくれて。
コッコもいて。
窯もあって……。
温かくて、異世界で唯一の居場所。
涙が零れる。
(……私、どうしたいんだろう?)
これ以上、迷惑をかけたくない。
それなら九頭見邸に行けばいい。
なのに、いざとなるとここを離れたくないって……。
(私、めちゃくちゃじゃん……)
そこまで思ってふと気付く。
「……あ!!」
一人なのに大きな声が出てしまう。
とんでもない事実に気付く。
(私、そういや帰ること考えてない――!!)
そうだ。
完全に忘れていた。
いつからだろう?
朝目覚めて変わらない景色でも、落胆することがなくなったのは。
この世界を当たり前のように受け入れるようになったのは……。
日々、ケーキ作りに勤しんで。
やりがいを感じて。
知らないうちに、元いた場所に早く帰りたい――そう思わなくなっていた。
(本来いるべき場所を忘れ始めているなんて……)
和室に行き、しまっていた小花柄の布団を見つめる。
そう、ここから全てが始まった。
冷たい地面。
不思議そうに覗き込む顔。
時代劇のセットのような世界。
スウェット姿で外で寝ていた私。
私がいるべき場所は、各務様の実家でも、九頭見邸でもない――元の世界だ。
(帰ろう)
帰る方法で思いつくのはただ一つ。
小花柄の布団。
真っ黒のスウェット。
ポケットにぬいぐるみ・コッコ。
町のど真ん中で寝る。
何となくあの場所は覚えている。
(――あの時のシチュエーションを、再現するしかない)
***
湯呑の家を後にした各務が、馬上で後ろを振り向く。
(……これでいい)
自分を納得させるように頷く。
これ以上、近くに置くわけにはいかない。
守るためには。
(あとは湯呑が決めることだ……)
微かな風が、衣を揺らして過ぎていった。
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