表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/30

第十七話 スカウト


“社交辞令などではない。ゆの、そなたここで働かないか? 九頭見家専属の菓子職人として……どうだ?”

“ありがとうございます。でも、お断りします”

“……理由を聞かせてほしい”

“このお菓子を作るには窯が必要です”

“窯?”

“はい、世界に一つしかない、代わりのない窯です。なので……申し訳ございません”



布団の中で寝返りを打つ。


(驚いたな……)


あの九頭見様の前で、あのように迷わずに言い切るとは――。


目を閉じる。


――だが、なかなか眠りは訪れなかった。



***



翌日――。


九頭見様から預かった材料を、早速、湯呑の元に届ける。


「すごい量ですね」

「ああ」


小麦粉に牛酪(バター)、上白糖、見たことのない材料。

そして見たこともない程、大きく瑞々(みずみず)しい果物の数々。

これらを前に、湯呑の目はみるみるうちに輝いていく。


「……前使っていた材料と似ているのか?」

「はい、かなり」


その瞳は、隠しきれない程に輝いていた。


「……それなら楽しみだな」

「各務様、本当にありがとうございます!」

「また夜来れたら寄っても良いか?」

「もちろんです。その頃にはケーキができていると思うので、ぜひ召し上がってください」

「楽しみにしている」


これらの材料を使って、ケーキ作りをしている姿を見たい気持ちは山々だ。

だが、仕事がある。


後ろ髪を引かれる想いで、各務は家を後にした。



***



司長室の扉が叩かれる。


「……ご多忙のところ大変恐縮ではございますが、各務司長、少々宜しいでしょうか」


一字一句(たが)わぬ、いつもと同じ台詞。

小さく息を吐く。


「……どうぞ」


部屋に入って来たのは藪内。

資料庫で会った、あの日以来だ。


「こちらのご確認をお願いいたします」

「ああ」


報告書に目を通す。


「……こちらで進めてくれ」

「承知いたしました」


そう言った後も藪内はその場を離れない。


「――どうした?」

「各務司長も隅に置けませんな」

「?」

「まさか、ご結婚されるとは――」


筆を止める。


「……何の話だ」

「昨日、九頭見邸で各務様が女性といるところをお見かけしましたので、ご結婚のご報告かと」


小さな溜め息をつく。


「……あの者は遠戚だ」

「そうなのですね」


幾分、つまらなさそうに藪内が相槌を打つ。


「……報告は以上か?」


何か言いたげに視線を投げかける藪内を、真っ直ぐに見つめる。


「……はい、失礼いたしました」


藪内は一礼し、静かに部屋を後にした。



***



日が傾く頃、湯呑の家へ訪れる。

戸口の前で足を止め、戸を叩いた。


直ぐに内側から足音がして、戸が開く。


「……各務様!」


顔を出した湯呑の表情は、いつも以上に明るい。

その瞬間、ふわりと甘い香りが流れ込んできた。


思わず視線が奥へ向く。


「完成したのか?」

「はい! ぜひ召し上がってください!」


弾む声に促されるように中へ入る。


「こちらでお待ちください」


見れば縁側には座布団が敷かれている。


「今持ってきますね」


軽い足取りで湯呑が台所に向かう。

庭ではコッコが餌をついばんでいる。


「……お待たせしました!」


目の前にケーキとお茶が並べられる。


「……これは……」


溜め息に近い声が漏れる。

これまで見てきたケーキとは、明らかに違う。


色も形も、そして――漂う気配さえ。


「そちらは葡萄のショートケーキ、そちらが林檎のパイ、そしてこちらがモンブラン。栗を使ったケーキです」

「ショートケーキ……パイ……モンブラン?」

「はい、いずれもケーキの種類です。ぜひ召し上がってみてください」


ケーキの種類と言われても、これまでとは別の何かであることだけは分かる。

見た目も美しく芸術的だ。


まず、手前にあった白いケーキに手を伸ばす。

全体が柔らかそうな白いもので覆われ、上には透き通るような紫の葡萄が飾られている。

断面にも葡萄と白いものが覗いている。


一口、口に運ぶ。


「!?」


思考が止まる。

舌に触れた瞬間、ほどけるように崩れる。

軽い、というよりも消えていく。


(……何だ、これは……)


全く口にしたことのない食感。


次に林檎のパイ、最後にモンブラン。

次々に手を伸ばしていく。


これまでのケーキも間違いなく美味しかった。

でも今回のケーキは――。


「いかがでしょうか?」


気付けば完食していた。

何と言えば良いのか、言葉が見つからない。


「……前いた場所で、湯呑はこのようなケーキを作っていたのか?」

「はい」

「……」


あっさりと頷く湯呑。


(凄すぎる……これが本来の……)


その姿がいつも以上に眩しく見える。


「湯呑、九頭見様にお持ちしよう」

「気に入ってもらえるでしょうか?」

「当然だ」


それを聞いた湯呑が、ほっと溜め息をつく。


「……どうした?」

「だって各務様、一度も美味しいと言ってくださらなかったので……」

「あ……」


“美味しい”と言っていなかったことに初めて気付く。


「申し訳ない。美味しいを遥かに超えていて、言葉にするのを忘れていた」

「!」


改めて湯呑に向き直る。


「湯呑、美味かった。ご馳走様」


湯呑が照れ臭そうな顔をする。


「また作ってくれるか?」

「はい、もちろんです!」



***



「……これは永久保存できないのか?」

「えっ?」


湯呑と声が重なる。


持参したケーキを口にした九頭見様が真顔で尋ねる。


「日持ちがしないものですので……」

「やはり、ゆの。そなたを当家専属の菓子職人に召し抱えたい。報酬はいくらでも弾む」

「先日お伝えしました通り、窯がないとできませんので……」

「それは移設できないのか? いや、その窯を作った職人も共に召し抱えよう。どこの者だ」

「……」


隣に座る湯呑と顔を見合わせる。


「……九頭見様」


湯呑に代わり、回答する。


「その職人は大変気難しく……万が一機嫌を損ねれば、その窯を壊してしまうかもしれません」

「それは困るな……ならば、ゆの。通うという形ならどうだ?」


九頭見様も諦めてはいない。


ここは自分が答えるべきではないだろう。

湯呑に視線を向ける。


「……少し考えさせてください」

「良い返事を期待している」


九頭見様がにっこりと笑った。



***



“良い返事を期待している”


九頭見様の言葉を背に、邸宅を後にする。

外はすっかり陽が落ちていた。


馬に乗り込み、家路を急ぐ。


「……大丈夫だったか?」

「はい。緊張しましたが、喜んでもらえて」


九頭見様からもらった材料を前に、みるみるうちに輝いた湯呑の瞳――。



“ならば、ゆの。通うという形ならどうだ?”

“……少し考えさせてください”



「湯呑」

「はい」


自分の前に座る湯呑が、少し首をこちらに向ける。


「本心はどうだ?」

「……え?」

「九頭見家専属の菓子職人になる話だ」

「……」


長い沈黙が流れた後、しばらくして静かにこう言った。


「分かりません。自分がどうしたいのか、まだ……」


その瞬間、夜の風が舞い上がった。



※毎週水曜・日曜を目安に投稿してまいります※


お読みいただき、またブックマークや評価をしてくださった皆さま、本当にありがとうございます。とても励みになっています。

これからも丁寧に書いてまいりますので、今後の更新も見守っていただけたら嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ