第十七話 スカウト
“社交辞令などではない。ゆの、そなたここで働かないか? 九頭見家専属の菓子職人として……どうだ?”
“ありがとうございます。でも、お断りします”
“……理由を聞かせてほしい”
“このお菓子を作るには窯が必要です”
“窯?”
“はい、世界に一つしかない、代わりのない窯です。なので……申し訳ございません”
布団の中で寝返りを打つ。
(驚いたな……)
あの九頭見様の前で、あのように迷わずに言い切るとは――。
目を閉じる。
――だが、なかなか眠りは訪れなかった。
***
翌日――。
九頭見様から預かった材料を、早速、湯呑の元に届ける。
「すごい量ですね」
「ああ」
小麦粉に牛酪、上白糖、見たことのない材料。
そして見たこともない程、大きく瑞々しい果物の数々。
これらを前に、湯呑の目はみるみるうちに輝いていく。
「……前使っていた材料と似ているのか?」
「はい、かなり」
その瞳は、隠しきれない程に輝いていた。
「……それなら楽しみだな」
「各務様、本当にありがとうございます!」
「また夜来れたら寄っても良いか?」
「もちろんです。その頃にはケーキができていると思うので、ぜひ召し上がってください」
「楽しみにしている」
これらの材料を使って、ケーキ作りをしている姿を見たい気持ちは山々だ。
だが、仕事がある。
後ろ髪を引かれる想いで、各務は家を後にした。
***
司長室の扉が叩かれる。
「……ご多忙のところ大変恐縮ではございますが、各務司長、少々宜しいでしょうか」
一字一句違わぬ、いつもと同じ台詞。
小さく息を吐く。
「……どうぞ」
部屋に入って来たのは藪内。
資料庫で会った、あの日以来だ。
「こちらのご確認をお願いいたします」
「ああ」
報告書に目を通す。
「……こちらで進めてくれ」
「承知いたしました」
そう言った後も藪内はその場を離れない。
「――どうした?」
「各務司長も隅に置けませんな」
「?」
「まさか、ご結婚されるとは――」
筆を止める。
「……何の話だ」
「昨日、九頭見邸で各務様が女性といるところをお見かけしましたので、ご結婚のご報告かと」
小さな溜め息をつく。
「……あの者は遠戚だ」
「そうなのですね」
幾分、つまらなさそうに藪内が相槌を打つ。
「……報告は以上か?」
何か言いたげに視線を投げかける藪内を、真っ直ぐに見つめる。
「……はい、失礼いたしました」
藪内は一礼し、静かに部屋を後にした。
***
日が傾く頃、湯呑の家へ訪れる。
戸口の前で足を止め、戸を叩いた。
直ぐに内側から足音がして、戸が開く。
「……各務様!」
顔を出した湯呑の表情は、いつも以上に明るい。
その瞬間、ふわりと甘い香りが流れ込んできた。
思わず視線が奥へ向く。
「完成したのか?」
「はい! ぜひ召し上がってください!」
弾む声に促されるように中へ入る。
「こちらでお待ちください」
見れば縁側には座布団が敷かれている。
「今持ってきますね」
軽い足取りで湯呑が台所に向かう。
庭ではコッコが餌をついばんでいる。
「……お待たせしました!」
目の前にケーキとお茶が並べられる。
「……これは……」
溜め息に近い声が漏れる。
これまで見てきたケーキとは、明らかに違う。
色も形も、そして――漂う気配さえ。
「そちらは葡萄のショートケーキ、そちらが林檎のパイ、そしてこちらがモンブラン。栗を使ったケーキです」
「ショートケーキ……パイ……モンブラン?」
「はい、いずれもケーキの種類です。ぜひ召し上がってみてください」
ケーキの種類と言われても、これまでとは別の何かであることだけは分かる。
見た目も美しく芸術的だ。
まず、手前にあった白いケーキに手を伸ばす。
全体が柔らかそうな白いもので覆われ、上には透き通るような紫の葡萄が飾られている。
断面にも葡萄と白いものが覗いている。
一口、口に運ぶ。
「!?」
思考が止まる。
舌に触れた瞬間、ほどけるように崩れる。
軽い、というよりも消えていく。
(……何だ、これは……)
全く口にしたことのない食感。
次に林檎のパイ、最後にモンブラン。
次々に手を伸ばしていく。
これまでのケーキも間違いなく美味しかった。
でも今回のケーキは――。
「いかがでしょうか?」
気付けば完食していた。
何と言えば良いのか、言葉が見つからない。
「……前いた場所で、湯呑はこのようなケーキを作っていたのか?」
「はい」
「……」
あっさりと頷く湯呑。
(凄すぎる……これが本来の……)
その姿がいつも以上に眩しく見える。
「湯呑、九頭見様にお持ちしよう」
「気に入ってもらえるでしょうか?」
「当然だ」
それを聞いた湯呑が、ほっと溜め息をつく。
「……どうした?」
「だって各務様、一度も美味しいと言ってくださらなかったので……」
「あ……」
“美味しい”と言っていなかったことに初めて気付く。
「申し訳ない。美味しいを遥かに超えていて、言葉にするのを忘れていた」
「!」
改めて湯呑に向き直る。
「湯呑、美味かった。ご馳走様」
湯呑が照れ臭そうな顔をする。
「また作ってくれるか?」
「はい、もちろんです!」
***
「……これは永久保存できないのか?」
「えっ?」
湯呑と声が重なる。
持参したケーキを口にした九頭見様が真顔で尋ねる。
「日持ちがしないものですので……」
「やはり、ゆの。そなたを当家専属の菓子職人に召し抱えたい。報酬はいくらでも弾む」
「先日お伝えしました通り、窯がないとできませんので……」
「それは移設できないのか? いや、その窯を作った職人も共に召し抱えよう。どこの者だ」
「……」
隣に座る湯呑と顔を見合わせる。
「……九頭見様」
湯呑に代わり、回答する。
「その職人は大変気難しく……万が一機嫌を損ねれば、その窯を壊してしまうかもしれません」
「それは困るな……ならば、ゆの。通うという形ならどうだ?」
九頭見様も諦めてはいない。
ここは自分が答えるべきではないだろう。
湯呑に視線を向ける。
「……少し考えさせてください」
「良い返事を期待している」
九頭見様がにっこりと笑った。
***
“良い返事を期待している”
九頭見様の言葉を背に、邸宅を後にする。
外はすっかり陽が落ちていた。
馬に乗り込み、家路を急ぐ。
「……大丈夫だったか?」
「はい。緊張しましたが、喜んでもらえて」
九頭見様からもらった材料を前に、みるみるうちに輝いた湯呑の瞳――。
“ならば、ゆの。通うという形ならどうだ?”
“……少し考えさせてください”
「湯呑」
「はい」
自分の前に座る湯呑が、少し首をこちらに向ける。
「本心はどうだ?」
「……え?」
「九頭見家専属の菓子職人になる話だ」
「……」
長い沈黙が流れた後、しばらくして静かにこう言った。
「分かりません。自分がどうしたいのか、まだ……」
その瞬間、夜の風が舞い上がった。
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