第十六話 訪問
九頭見邸への訪問当日――。
「……大丈夫でしょうか?」
「ああ」
この日のために新調した着物を身に纏った湯呑が、不安げな表情を浮かべる。
「似合っている」
「……あ、ありがとうございます」
緊張の面持ちで、湯呑が小さく頭を下げる。
その横で、自分は卓袱台の上に並べられたケーキを食べ終えたところだ。
「……ケーキはいかがですか?」
「見た目も食感も味も全て異なっているが、どれも本当に美味い」
“九頭見様に持っていく前に、一度召し上がっていただけますか?”と言われ、用意されていたのは、全て趣が異なる五種類のケーキ。
主役は果物。
桃に葡萄、柿に柚子、そして無花果――それぞれが目にも鮮やかだ。
これは間違いなく九頭見様にも喜ばれるだろう。
「良かったです……」
湯呑が安心したように胸を撫で下ろす。
「……よし、そろそろ行くか」
「はい」
とは言うものの、湯呑の表情は相変わらず硬い。
「問題ない。隣についている」
「……はい!」
***
九頭見邸を訪れるのは一週間に一度。
各部署の長の会議、そして、その後酒宴を行う行き慣れた場所。
だが、同じ邸内にある私邸に赴くのは自分にとっても初めてだ。
豪華絢爛な客間に通され、湯呑と共に九頭見様が現れるのを待つ。
「……昨日伝えた通りに話せば問題ない」
「はい」
緊張が解けない湯呑に声をかける。
少しして近づいてくる足音に、慌てて居ずまいを正す。
隣の湯呑も同じように背筋を伸ばす。
「申し訳ない、待たせた」
湯呑と共に深く頭を下げる。
「良い良い、そんな畏まらずとも。ここは私邸だ。仕事ではない」
その言葉に顔を上げる。
「よく来てくれた」
湯呑を見た九頭見様が、僅かに目を見張る。
「おぉ、このような可愛らしい女性があの美味しい菓子を」
相変わらずの調子――だが、初めて九頭見様に会う湯呑は、明らかに圧倒されているのが分かる。
「ゆの、九頭見様にお土産を」
「は……はい」
湯呑がケーキを入れた包みを差し出す。
「こ、こちら作ってまいりました。よろしければお召し上がりください」
あまりにも緊張している湯呑に、九頭見が豪快に笑う。
「……宗真にどう吹き込まれたか知らないが、私はそんなに怖い人間ではない」
「いえ、そ、そんなことは……」
たじろぐ湯呑に、九頭見がぐっと顔を近づける。
「!!」
「実際のところ、宗真に何を吹き込まれた?」
「えっ?」
「く、九頭見様!」
思わず間に入ってしまう。
「――冗談だ」
九頭見は笑いながら腰を下ろし、紐で結ばれた包みを丁寧に開いた。
「これは……美しいな」
「ありがとうございます」
九頭見様が再び、湯呑に視線を向ける。
「……ところで、そなた名は?」
「“ゆの”と申します」
「ゆの、か……見た目だけでなく、名も美しいな。漢字はどう書く?」
「平仮名で“ゆの”と書きます」
昨日練習した通りだ。
ここで間違っても“小笠原夢乃”や“湯呑”などと答えれば大変なことになる。
「ゆのはどこの出身なのか?」
「統央のはずれです。先日、町に出てまいりました」
「そうか。して、この宗真との関係は? まさか宗真の恋人とか?」
「いえ、遠戚で……」
「なんだ、つまらないな」
「え?」
九頭見様が脇息に肘を凭れかける。
「宗真は見ての通り、なかなかの男前だ。だが、女性には随分と疎くてな」
「九頭見様、今は私の話など――」
つい、また割り込んでしまう。
「落ち着け、宗真。私は心配をしているのだ。女性からの数多の誘いも断り、女性の噂を全く聞かない……ゆの、そなた遠戚なら何か言ってやってくれ」
「え、あ……」
湯呑が困惑しているのが分かる。
ちょうどその時、襖が開き、お茶が運ばれてくる。
(……助かった……)
隣で湯呑もほっと息をついていた。
***
湯呑のケーキを食べ終えた九頭見様が、お茶を口にする。
「ゆの……そなた天才だな」
「いえ、そんな……」
「どこでこの菓子の作り方を学んだ?」
「独学です」
想定内の質問だ。
「すごいな。これなら毎日食べたい」
「ありがとうございます」
湯呑が丁寧に頭を下げる。
「言っておくが、社交辞令などではない。ゆの、そなたここで働かないか?」
「えっ!?」
湯呑と言葉が重なる。
「九頭見家専属の菓子職人として……どうだ?」
完全に想定外の台詞に、ただただ呆気にとられる。
――この問いに自分が答えるのもおかしい。
隣に座る湯呑の横顔を見守るように見つめることしかできない。
「……ありがとうございます。でも、申し訳ございません。お断りします」
「!?」
驚く自分をよそに、湯呑は丁重に頭を下げる。
「……理由を聞かせてほしい」
やや驚いた表情で湯呑を見つめている。
「このお菓子を作るには窯が必要です」
「窯?」
「はい、世界に一つしかない、代わりのない窯です」
「!」
「なので……申し訳ございません」
「そうか……ならば、残念だが仕方あるまい」
迷うことなく言い切った湯呑の言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「ならば、せめて材料を贈らせてほしい」
「えっ?」
「小麦粉、牛酪、上白糖……果物も最高級の品を用意する。どうだ?」
「!」
言葉が並べられる程に、湯呑の瞳が輝きを増す。
「……ゆの、九頭見様もそうおっしゃっている。ありがたくお受けしては?」
湯呑が驚いたように自分を見上げる。
「……では、それでしたら……」
二人を見ていた九頭見が、ふっと息を吐く。
「そうと決まったら、直ぐに用意させよう。宗真に届けさせる」
「ありがとうございます」
湯呑は九頭見様に深々とお辞儀した後、自分にも向かってお辞儀した。
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