第十五話 九頭見様
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『各務宗志・志津失踪事件』と書かれた綴りを手に、藪内の後ろ姿を見送る。
(なんで藪内が……)
「藪内!」
閉ざされた扉から顔を出し、藪内を呼び止める。
が――そこには既に藪内の姿はなかった。
「……っ」
(偶然なわけがない……)
手にした綴りに視線を落とす。
藪内がこれを持っていた理由。
“もしかして、こちらをお探しですか?”
“……どうぞ”
読み取れない表情。
(あいつは、何を知っている……?)
呼び出すこともできる。
だが……
「……」
資料を握りしめる。
今知るべきは、藪内の思惑ではない――両親の行方だ。
ゆっくりと息を吐き、資料に視線を落とした。
***
それから一週間後――。
ケーキ第二弾が例の菓子屋に持ち込まれた。
しかし予約分で完売。
差し入れされた卵を使って追加で用意したものの、それも偶然居合わせた客によって直ぐに売れてしまった。
「もうないの!?」
「次の販売はいつ?」
噂を聞きつけ、人々がひっきりなしにやってくる。
その熱気は、前回をさらに上回るものだった。
(こんな短期間で……すごいな……)
湯呑のケーキが、今以上に求められているのが分かる。
(しかし、湯呑一人でこれ以上対応できるのか……?)
自分に何もできないもどかしさを感じながら、各務は静かに店を後にした。
***
「そんなにですか!?」
「ああ」
湯呑に、空になった皿と今日の売上金を手渡し、店の様子を報告する。
「もっとたくさん作った方が良いですね」
「もっとたくさん、ってこれ以上作れるのか?」
「はい、以前はもっと作っていましたので。材料さえあれば」
「日に日に差し入れが増えている。材料の心配なら全くない」
「それでしたら、ぜひ。喜んでもらえるなら、できるだけそれに応えたいです!」
そう言って屈託のない笑顔を見せる。
「……それなら良いが……決して無理をするな」
「はい!」
気付けば、販売は一週間おきから三日に一度、二日に一度、そしていつしか毎日へと変わっていた。
「最近は遠方からの予約も入っているそうだ」
「すごいですね!」
他人事のような物言いに、つい笑ってしまう。
会話をしながらも、湯呑の手は忙しく動いている。
でもその表情は充足感に溢れていた。
「……湯呑、手伝えることがあれば言ってくれ」
「今でも十分すぎる程です。お忙しいのに、まめに材料を運んできてくださって、各務様がいなかったら、絶対成り立ちません」
「……」
「それにオーブンもあれからまた変えてもらって、一度にたくさん焼けるようにしてくださったおかげで、これまで以上に作れるようになりました」
最近は一度に二十~三十皿分を納めている。
それでも評判が評判を呼び、連日売り切れが続いていた。
「……じゃあ、また来る」
「はい、ありがとうございます!」
湯呑に別れを告げた後、各務は外から作業場の裏口に回った。
***
「……」
今はすっかり跡形もない。
三年以上も前の話だから当然だ。
でも、そこにはかつて両親のものではない複数の足跡、そして駕籠を置いた痕跡があった。
それが唯一の手掛かり。
しかし、それ以上のことは何も分からなかった。
落ちていたものもない。
周囲に民家がないせいで、見かけた者や声を聞いた者もいなかった。
ただ、仕事場に残された捏ねかけの土、床に落ちた筆……それらが、意図しない何かが、両親の身に突然起こったことを伝えていた。
おそらく誰かに連れ去られたのだろう……。
だが、家中を物色した痕跡や、お金や作品が取られた形跡もなかった。
身代金の要求もない。
(お金でも作品でもないとしたら、両親を連れ去った理由は何だ?)
三年以上も渦巻く疑問に、各務はただ静かにその場を去るしかなかった。
***
それまで持ち帰り専門だった菓子屋には、いつの間にか机と椅子が設けられ、その場でケーキが食べられるようになっていた。
それ以来、より店内が混み合っている。
見回りの途中に菓子屋の暖簾をくぐる。
「相変わらずの人気ぶりだな」
「はい、おかげさまで。ここで食べられるようになってから、それを見ていた人から食べたいという声がまた増え――」
にこやかに話していた女将の表情が、突然固まる。
「……どうした?」
後ろを振り向くと、そこにいたのは――
「く、九頭見様!」
「おお、宗真か。すっかり菓子屋が板についているな」
片手を上げ、気さくな笑顔を浮かべて店内に入ってくる。
周囲が一気にざわつく。
「九頭見様、どうしてここへ!?」
慌てて駆け寄る。
従者もなく、ふらっとやって来たその男こそ、この国を治める九頭見天――。
何気なく立ち寄った体だが、思わず目を引かずにはいられない、圧倒的な佇まいと存在感。
その場の空気が一気に変わる。
「噂になっている“ケーキ”というのを私も食べたくなった」
「だからと言って、御一人でこのように……」
「いや、それを食べている皆の感想も直接聞きたいと思ってな」
店内を見回した九頭見様と目が合った女性から甲高い声が上がる。
「申し訳ございません。本日分は既に予約で完売してしま――」
「一口貰っても良いか、お嬢さん」
言い終えるより早く、九頭見様は近くの席でケーキを食べていた女性の手首を軽く引き寄せ、黒文字楊枝に刺さったケーキを口にする。
「きゃ……」
女性が小さく息を呑み、頬を赤らめる。
躊躇いも遠慮もない所作。
だが、あまりに自然な動きに、咎めるという発想すら浮かばない。
そして店内にいる誰もが、息を潜めて九頭見様の反応を見守る。
口に含んだ九頭見様の目が、次第に大きく見開く。
「何だ……これは……」
九頭見様から感嘆の声が漏れる。
「そちらは檸檬のケーキになります」
「舶来物か?」
「いえ、ある女性職人の手作りです」
「これはすごいな、その者に会うことはできるか?」
唐突な質問に、一瞬たじろぐ。
「そ、それは難しいかと。かなり多忙なようですので……」
「でもそなたは会っているのだろう。私が赴いても構わない。会えるように交渉してみてくれ」
「……承知いたしました」
「評判高いのも納得だ。その女性に大変美味しかったと伝えてくれ」
「はっ」
「……皆の者、邪魔をしたな」
それだけ言い残すと、何事もなかったかのように羽織を翻して店を後にする。
女性達は皆、九頭見様の後ろ姿をうっとりとした表情で見送っている。
僅か五分にも満たない時間。
それでもこの場所だけ、他とは異なる時間が流れているようだった。
***
「――というわけなんだが、どうだ?」
その足で、九頭見様が会いたがっている旨を湯呑に伝えていた。
何せ一大事だ。
「九頭見、天様……って、確かこの国で一番偉い方っておっしゃっていた……」
「ああ」
まだここに来て間もない頃に伝えたその名を憶えているようだった。
「……九頭見様という方はどのような方なのですか?」
「非常に聡明で、人望も厚い方だ。上に立つ人間でありながら飄々とされている。良い意味で変に畏まる必要はない」
「……」
湯呑は視線を落とし、小さく息を吐く。
当然の反応だ。
相手はこの国の頂点に立つ人物。
軽々しく決められる話ではない。
「もちろん無理にとは言わない。だが、もし湯呑が会っても良いというのなら、俺も同行する」
「本当ですか!?」
湯呑の表情がぱっと明るくなる。
「ああ。ここに住んでいることが知られれば、湯呑の素性について問われる可能性がある。ならば、こちらから九頭見様の元へ赴いた方が良い」
「九頭見様の元……」
「おそらく、町を抜けた先の九頭見邸で会うことになるだろう。そう遠くはない」
「……何を聞かれるのでしょうか?」
それは自分にも分からない。
「分からないが……だが、何かあればすぐ助け船を出す」
しばらく思案した後、湯呑が頷く。
「……それでしたら、お受けします」
「分かった。そうと決まったなら万全を期す」
安心させるように、力強く頷いた。
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