第十四話 兆し
甘い香りが、店の外まで漂っていた。
暖簾をくぐると、いつも以上に多くの客で賑わっている。
「各務様!」
女将が自分の姿を見つけるなり駆け寄ってくる。
「――あの菓子は売れたか?」
「ええ、それはもうあっという間に」
湯呑が作ったケーキが並べられていた場所には、”完売”の立て札と、空になった皿――それが、全てを物語っていた。
「早いな」
「どういう味か想像がつかなかったので、一つは細かく切って試食という形で配ったんです。そうしたら、その後は取り合いに……結局数が足りず、半分に切って売ったほどです」
「そんなにか……」
(予想はしていたが、初日からここまでとは……)
「各務様!」
店内にいた客の一人が、各務に声をかける。
「本当に美味しいので、その職人さんにもっと作ってくれるようにお願いできないでしょうか?」
「私も食べたい!」
「俺も家族に食わせたい!」
その場にいた人々が、一様に声を上げる。
(すごい人気だな……)
「そういうわけで、明日にでももっとたくさん持ってきてもらうよう、その職人さんに頼めないかしら」
女将のお願いに、直ぐには頷けない。
いくら何でも明日は無理だろう。
「おそらく次は一週間後だ」
「えー!」
店のあちこちから残念がる声が響く。
「申し訳ない。その者しか作れない菓子なんだ。手間もかかる。楽しみに待っていてくれ」
「じゃあ、予約!」
「俺も!」
「私も!」
次々と上がる声を背に、各務は空になった皿と、女将から受け取った売上金の布袋をもって、足早に店を後にする。
(湯呑、喜ぶだろうな……)
去り際、もう一度店の方を振り返った。
***
「えっ……本当ですか!?」
「ああ」
今しがた持ってきた皿と、売上金の入った布袋を湯呑に渡す。
「すごい……夢の中にいるみたい……」
声が震えている。
「明日にでも欲しいと言われたが、卵のこともある。とりあえず一週間後に持って行くと伝えてある」
「ありがとうございます!」
湯呑は目を閉じて、売上金が入った布袋を胸の前でぎゅっと抱えている。
(すごいな……)
知らない世界で、自分の足で立とうとしている。
計り知れない不安を乗り越えて。
その姿が眩しく映る。
(なのに俺は……)
***
湯呑に別れを告げ、家を出る。
馬の背に揺られながら、空を見上げた。
雲一つない、澄み切った青空。
――両親がいなくなったあの日も、似た空だった。
採土から戻ると、そこにいるはずの両親の姿はなかった。
捏ねかけの土。
床に落ちた筆。
“父上……!”母上……!”
しかし、家中どこを探してもいない。
作業を放り出してどこかに行くとは考えにくい。
嫌な予感が胸の奥に広がっていく。
だが、夜になっても両親は戻ってこなかった。
そして翌朝になっても――。
***
やがて見慣れた門が視界に入ってきた。
治安方の門。
「各務様、お帰りなさいませ」
門番達が頭を下げる。
馬を降り、門番に手綱を預ける。
「変わったことはないか?」
「はい、特にございません」
――三年前のあの日。
まだ朝霧の残る中、息を切らしながらこの門に駆け込んだ。
“父上と母上が、戻らないんです!”
声が掠れていたのを覚えている。
門番の顔も。
”落ち着け”と言って差し出された水の冷たさも。
……三年以上も前のことなのに、やけに鮮明だ。
“……どうした、何があった?“
“両親が昨日から――”
その後の言葉が続かない。
「いない」という事実、「なぜ」という疑問が頭を渦巻く。
(俺がしっかりしていれば……)
もちろん自分でも方々を探した。
……だが、何の進展もないまま、無情にも時が流れた。
”申し訳ないが、捜索は打ち切りだ“
“え!?”
“これ以上の手掛かりが出てこない。何かあれば連絡する”
そう言って背を向けて去っていった治安司達。
拳を握り締める。
――仕方がないかもしれない。
だが、時が経てば経つ程、探すのは困難になる。
“絶対に両親を見つけ出す“
そう決意したものの、陶器職人からの転身は決して楽なものではなかった。
それでも両親を探し出すため、選んだ道だ。
血反吐を吐く想いで努力し、治安司になった。
(それなのに、あの日から何も……)
”異世界に来てからの私、あまりに各務様に頼り過ぎです。だから生活費くらいは自分でどうにかしたいなって思って……だから、お菓子作りしようと思い立ちました”
”私、異世界に来てから、各務様にたくさん助けてもらいました。だから今度は、私が各務様を応援させてください”
(……何をしている、俺は)
あの日、誓ったはずなのに。
その足は、真っ直ぐに資料庫へと向けられていた。
***
「……?」
薄暗い資料庫に足を踏み入れると、そこには先客がいた。
「……ああ、これはこれは各務司長」
「!」
いたのは藪内だった。
「もしかして、こちらをお探しですか?」
そう言って渡された綴りの表紙には、『各務宗志・志津失踪事件』と書かれている。
「!」
鋭く視線を向ける。
「……どうぞ」
薄暗く、その表情は読み取れない。
資料を手渡した藪内が、脇をすり抜けるように部屋を去る。
扉が音を立てて閉まる。
(なんで藪内が……)
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