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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第十三踏 ≪蛇の島≫
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99. もう泳げない。姉あざらしを越えてゆけ

 ・ ・ ・ ・ ・


『るるちゃん! るるちゃん、るるちゃんっ。あああ、どうしよう……』



 ポトリーグの小舟カラハにぴったりと寄り添い、苦しそうに息を継ぐ姉の脇で、うずはうろたえる。


 蛇の王の仕掛けた罠を打ち破り、その沈む巨体の作り出した渦をどうにか逃れて、湾の外へ脱出できた一行だった。


 しかし無傷では、済まなかったのである。


 海の底へ逃げのびる蛇の王が、去り際に放った尾の一撃。


 巨大な鞭のようなしなり・・・は、風を切ってポトリーグと小舟を打ちかけた。


 その時、舟の横腹を力まかせに押し出し、姉あざらしは全力で沖をへ泳ぐよう弟に叫んだ――。同時に蛇の王の尾が、るるとんの右の後脚をもぎ取ってしまったのだ。


 水の中から背で小舟を押し、弟とポトリーグとともに渦から逃れようと泳いでいる間は、痛みなんて感じなかったのだとるる波は言う。



「るるっち……。るるっちは舟に乗せらんねえ。けど俺が支えてるからよ、うずっち! とにかく≪かいぎゅう島≫まで、引っ返そうッ」



 星明りに、るる波が力なく上げて見せた後脚からは、血が流れ出ている。


 姉あざらしはもう、泳ぎ進むことができない。



『だめよ、ポトリーグ。蛇どもがこれから、どう出るかわからないわ……。今のうちに、≪氷の海≫へ行きなさい』



 苦痛に耐えながら、るる波は言った。



『≪かいぎゅう島≫へ引き返す時間はない。うずちゃんと二人で、南へ行くのよ』


『るるちゃんは、どうするのん!! 泳げなくなっちゃったのに!』


「そうだ! るるっち置いて行けるわけ、ねえだろ!? おら、行くぞっ」



 ポトリーグは身を乗り出して、るる波の頭を抱きしめようとした。


 でも、……とっかかりどころがない、抱きしめるしかできない。


 舟はうず雄に引いてもらうとして、どうやって支えていけばいいのだ。


 その間にも、るる波の脚からは血が流れ、生命が逃げてゆくのに!



「うううっっ、 ……るるっちぃ!!」



 焦りと苛立ち、無力感にぶちのめされて、ポトリーグはうめいた。


 涙が噴き出てしまって、るる波のひげに落ちる。



『大丈夫。≪ひげあざらし島≫のるる波お姉ちゃんが、こんなところでへたばるわけはないわ。絶対どうにかして生きのびるから、あなたはやるべきことをやり切るの。あなたの群れに帰るのよ、ポトリーグ』



 るる波の声はやさしくて力強いのに、……ポトリーグは悲しくってたまらない。


 こんな風にるる波と別れるのは、いやだ!



「けど、よう……!」


『おおーい。かいぎゅうの娘を連れてきたぞ!』



 その時、ふいと周りが明るくなった。と同時に小舟の脇にずぼり、と浮いて出たものがある。



『ああ、ねねちゃん……!』



 蛇の王が一行を囲い始めた時、るる波は光る鮭に頼んで、ずっと真下についてきたねねぐいを、さらに海の底深くに潜らせていたのである。


 光る鮭とともに蛇の壁を越えていた仔かいぎゅうは、≪海の下の道≫に根気よくへばりついて、蛇の渦にもびくともしなかった!



『あたし、るるちゃんをおんぶできる!』



 怖いものから解放された仔かいぎゅうは、健気に言った。



『湾の外側でうろうろしとる、他のかいぎゅう達ともじきに合流できる。かれらと一緒に、るる波は≪かいぎゅう島≫へ戻すから大丈夫だ。お前はうず雄とともに行け、ポトリーグ』


「……」



 まだまだ胸が、びりびりに張り裂けそうに痛い。


 けれど他に、どうしようもない。


 さいごにポトリーグは、るる波の頭を抱きしめて、ひげもじゃにぶちゅうと接吻した。



「ありがとう。俺はるるっちが大好きだ、ぜってぇ達者でいてくれよ」


『ふふん。あなたこそ、元気におうちへ帰るのよ? わたしの末弟、ポトリーグ』



 ねね風の背中にのたのたと乗り上げて、るる波はポトリーグとうず雄にうなづく。



『うずちゃん。ポトリーグを頼んだわよ!』


『うん。がんばる』


『あなた達なら。わたしの誇るあなた達ふたりなら、必ずやり遂げられるからね!』



 うず雄が潜水した。ポトリーグと小舟が、ぐいっと進んでゆく。



「おしゃけさま! ねねっち! るるっちを、頼んだぞおっっ」


『まかしとけー』


『気をつけてねえ、ポトリーグー!』



 後ろは振り返れない。それでも胸の中のうずまく混沌……別れのつらさをどうにかしたくて、ポトリーグは帆を操りながら叫びそうになった。


 しかし、もっといいやり方が自分にあることを、思いだす。



「――――♪波に抱かれ 海をくあなた


 永遠とわにかわらぬ ぬくもりを


 この胸のなかに とも


 私はともにゆく とうときあなたと」



『いいど。ポトリーグ』



 歌ひとかたまりのあいま、波間に顔を出してうず雄が言った。



『どんどん、南むけ行くど』


「おう、うずっちっ」



 夜の海をふたりは進んだ。


 宙に満天の星々がまたたき、かれらの行く道を波の上に照らし出している。


 うず雄の感覚は行くべき南を確かにとらえ、ポトリーグは暗い風をしっかりと帆につかまえていた。


 水の流れと風にのって、ふたりは南へ走る。


 南へ。


 南へ、この旅の始まったところへ。この旅を、終わらせるために。



「♪私はあなたと ともに


 永遠とわにかがやく ほほえみを


 なみだを集めた 海にむけ


 私とともに あなたはる――――」





――そう。わたしはあなた達についているわよ、旅が終わるまでね!



 ふたりの姿は闇の海、南の方角に見えなくなっていった。


 しかし風にのって送られてきたポトリーグの歌をひげに受け止めて、るる波は少しだけ激痛を忘れる。



『……みんな、向こうの方にいるんだよね? 泳いでいくよ、おしゃけさま』


『うむ、そうしてくれ。ねねぐいや』


『るるちゃん、ぼーぼが痛いの、かわいそう……』



 仔かいぎゅうは、るる波のくっついた背中だけを海面に出してもぐり、すういと進み始める。



『大丈夫か、るる波』



 光る鮭が、そこに並泳してゆく。



『ええ。おんぶしてもらうなんて、……赤ちゃんの時以来よ』



 しかもおぶってくれているのは、ほぼ赤ん坊みたいな仔かいぎゅうなのだ……。自分の四倍ほど大きいけれど、とるる波は薄れゆく意識の中で笑った。



『るる波』


『……』



 血を失い過ぎていた。それに≪かいぎゅう島≫にたどり着けたところで、もう漁はできない。だから生き延びられるかどうかは、わからない。泳げなくなったあざらしがどうなるのかを、るる波はよく知っている。



――神さま。大おばちゃんが言っていたっけ……。この世のすべてを作ったとか言う、えらいひと……。聞こえているなら、どうかわたしの最後のたのみを引き受けて。大事な弟ふたりを、無事に旅の終わりに導いてあげてね……。



 まわりは夜の暗闇、そこに差し入る鮭の明るさが、ふうと弱くなってゆく。


 るる波は強烈な眠気をおぼえた。まぶたが、頭が、重い……。



『るる波ッ。おい、るる波っ』



 耳元でぎゃんぎゃん呼び立てられて、るる波は薄くまぶたを持ち上げた。


 姉あざらしは、ねね風の背中に突っ伏していたのだが。その目と鼻づらのすぐ先に銀色の鮭がのびて、口をぱくぱくさせている。



『おしゃけさま……?』


『しっかりしろッ。目を覚ませ! 口を開けて、俺を食えッ』


『……なにを言ってるの?』



 言葉のわかる友達を食べるなんて。ポトリーグとの旅を助けてくれた、≪知恵の鮭≫を食べるなんて。できるわけがない……とふらふらする頭の中で、それでもるる波は理性をたもつ。……ぐうー、……お腹すいた……かしら??



『お前にはまだまだ、やることがある。ひげあざらし・るる波は、ここで死んではいかんのだ! ほれ口をあけろッ』


『……いやだわー、いつか見た夢の続きかしら……。口を開けて泳ぐだけで、しゃけが飛び込んでくるすてきな海の夢…… ふ、ごっっ』



 ぼんやり笑ったるる波の口。


 豊かなひげの隙間をめがけて、鮭は銀に光る身体をおどらせた……。



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