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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第十三踏 ≪蛇の島≫
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97. 支配されるか、喰われるか

 ぶーっっっ!!


 唇をすぼめて、ポトリーグは盛大にきたない音を立てた。


 いわゆる、口おならと称されるやつである!



「ばか言ってんじゃねぇや! 通ってこれた道を、帰れないっつう話があるかよッ。あったまよかったローマ人だって、そんな妙ちきりんな一方通行の道路、つくってねえしッ」



 いじめっ子というものが、とにかく回る口先にて真実現実を都合よくゆがめ、こちらをがっかりさせて喜ぶことを、ポトリーグはよく知っている。


 図体ずうたいがでかくても、蛇はそういうたぐいの小者・・なのだ。相手にしなきゃいい、……そう胸の中で自分に言い聞かせる。



『信じたくはないだろうね。けれどこれは、本当のことなのだ。ポトリーグ』



 しかし蛇は、相変わらず優しい口調でそう言う。そしてふいっと、寂しげにため息をついた。



『わたしだって、帰りたいのだ。ヒベルニア、緑の島、エリウの地に。暖かかったあの故郷に。……そういうわたしが、帰っていないのだぞ? これはもう、本当に帰れない・・・・から、でしかないではないか!!』



 蛇の声がどんどん湿っぽくなっていって、最後のあたりは悲痛に叫ぶようだった。



『帰りたい。帰りたい、帰りたい! あのエリウの地に、わたしは戻りたい! それなのに道はどこにも通じていない、エリウの地へ帰るとびらはどこにも開いていない。このかなしみを抱えて、わたしは一体いつまで生きるのだ? 永遠に故郷を思う罰を叩きつけた、あの人間の男に! 呪いあれ!!』



 ぐ、る……。


 はっ、と気がついてポトリーグは後ろを振り返り見た。


 蛇の王の巨大な長い身体は、さっきまで城壁のごとく一行の前に立ちはだかっていたのに……。それが今は、海の中からそそり立つ包囲の土塁のように、ポトリーグの小舟カラハとあざらし姉弟の周りの水を、まるく巡っている。


 蛇の王はとぐろを巻いて、一行を閉じ込めたのだ。


 皮の小舟を運ぶはずの波と風とは、もう届かない……。とらわれた!!



『……ポトリーグ。わたしにそっくりなお前を、わたしは殺したりなどしたくない。ヒベルニアに、人間のいる地に二度と戻れないという絶望に押しつぶされてゆくお前を、わたしは友としたいのだ』



 蛇の頭が、また近づいて来た。


 ポトリーグは、舟底にあった鉄鍋の取っ手を右手に握りしめる。



『だからポトリーグよ。お前に選ばせてやろう……。わたしを傷つける、そのいまわしき鉄のうつわをどこかにてて、わたしとの盟約のもとに生きないか。故郷に戻ることのできない絶望を背負い、この過酷な異界にて孤独と飢えに苦しむのは辛いことだぞ? しかしわたしを盟友とすれば、お前はひとりではなくなる』


「何をどうでもお断りだ。話きいたら、通すって約束だったろうが!!」


『せっかちなやつだな、もう。わたしは今、えらばせて・・・・・やると言ったのだ。もう一つの選択肢をちゃんと聞け。……わたしはお前を、別の方法で故郷へ返してやることができる』


「……?」


『わたしは、言葉の通じるものやあわいを越えてきた同士を、すすんで食べはしない。しかし、食べることはできる』



 蛇の口調は再び、優しくなっていた。しかしその裏に、とてつもない冷たさがにじんでいる――底無しに、危ない!!



『これからポトリーグが味わうことになる、ながながい苦しみ。それをわたしは、一瞬のうちに終わらせることができる。お前の若い肉体はわたしの血肉にけて滅びるが、魂だけは再び故郷へ戻る。そうして暖かく人に満ちたヒベルニアに、ポトリーグは生まれ変わるのだよ!』



 ポトリーグの口の中が、かわいてきた。



『……とまあ、そういう非常に楽な・・方法もある、ということだ。話はこれで終わり……。さあポトリーグ、選ぶがいい』



 元どおり。目先の生きものを支配・・するつもりで見るそのまなざしを、蛇の王はポトリーグに向けた――。文字通り、高いところから見下している。



『強大なるこのわたし。いにしえの時代より永遠とわの生命を紡いでいるこのわたしが、お前の望む未来を与えてやろう。ポトリーグよ』



 ぶぶぶ……!!


 うなり声が聞こえる。うずとるるとんが、牙をむき出し歯を食いしばっていた。


 威嚇ではない。ふたりとも怒っているのである、蛇の王に対して。その低いうなり声に力を得て、ポトリーグもどなった。



『本性だしやがったな!? 要するに俺のこと、使うか食うかってことじゃねえか。てめえの世話にゃ、なんねえよッッ』


『わたし達もポトリーグも、あんたの話いやいや聞いてやったじゃない。とっとと包囲を解きなさいよッ。自分からした約束を破ると、どういう目にあうかわかってるのッ!?』



 るる波が、今まで聞いた中で一番きつい調子で言った。ぎんぎん高い声に、恐怖はもうない。



『そうだそうだ。ついでにかいぎゅうとの盟約をやぶった、その落とし前もつけろっつうのん』



 うず雄も言った……。もっさりしているが、けっこう辛辣!



「蛇の王、シルワ・ケルヌア! 自分より弱いやつらを選んで・・・、いじめてきたてめえなんかに。えらそうなこと言われる筋合い、俺ぁまるでねえぞ!」



 一度聞いただけだったが、ポトリーグは禍々まがまがしい印象をもつ蛇の王の名をちゃんと憶えて、呼んでやった。あまり口には出したくなかったが。


 しかし呼ばれた蛇の王は、やや不愉快そうに眼をすぼめる。



『……えらそうに言っているのは、どちらだ? お前たち人間どもこそ、まさに弱い存在を選び抜いて利用することで、存続し栄えているではないか。かいぎゅうのおさに、お前は会ったのだろう。あのひとがなぜ≪氷の海≫を渡るはめになったのか、その理由を聞いていないのか?』



 何となく気を引かれはしたが、ポトリーグはしかと・・・することにした。蛇の王はそれを見て、さらに続ける。



『……そう言えば、ヒベルニアから北に向かって泳いだ時。人間が灰色あざらしを捕まえて、よってたかってなぶり殺しているのを、何度も見かけたなあー? 肉を食うのかね、それも毛皮をはいで身にまとうためかな……』



 ポトリーグは息を止めた。目をやらなくても、うず雄とるる波が小舟の脇でやはり同様に、息を飲んでいるのがわかる。



「……それは、俺じゃない。俺はあざらしを食ったことも、着たこともない」


『ああ、だろうね。ポトリーグは友達を食ったりはしないだろう、ほんとの飢えを知るまでは』


「たとえ飢えたってなぁ、俺は――」



 上げた声がかすれてしまった。うず雄を初めて見た時のことが、なぜかありありと思いだされる。



『どうして頭を振ったんだ、ポトリーグ? ……とにかく。他のものが騒ぎ立てるほどに、わたしとわたしの眷属はよこしまではない。全ての生きるものは、多かれ少なかれ冷酷に無情でなければ存在できない、それだけのことさ。あざらしども、お前らこれまでに何千何万の稚魚を食うた? 何も知らぬうら若いいのちを喰らい、くそ・・に変えてひり出すのは、よこしまではないと思うかね?』



 蛇の王はゆっくりと、ポトリーグ、るる波、うず雄を見る。



『われわれはすべて異なるが、同じでもある。お前たちとわたしは根っこにおいて同じもの……。ただ、より強く大きなものが、弱く小さいものを使い食うというだけ。共に生きるとは、そういうことだ』



 蛇の王の身体の環はいよいよせばまって、小舟にくっつくように浮くうず雄とるる波のまわりを取り囲む。太い胴には漁網がとりからまったように見えるが、これは蛇の身を覆う強固なうろこだった。



『さあ選べ、ポトリーグ。鉄のうつわを捨てるのだ、そして選びなさい。≪あわいを越えてきた者≫として、わたしのしもべになるか? それとも一瞬で、悩みなき温かな死の中に送ってやろうか』



 圧倒的に巨大な怪物の顔がいま、小舟カラハの上のポトリーグとあざらし姉弟のすぐ前に迫った――。

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