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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第十三踏 ≪蛇の島≫
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94/101

94. 蛇の王、あらわる

 ポトリーグがこれまで見たうち、一番大きな生きものは、文句なしにおさかいぎゅうのじいちゃんであった。


 全貌がよくわからなかった≪いさな≫よりも、はるかに巨大だったと確信できる。


 ブレンダン修道院長と修道士の兄さん達とで乗り込んだ、あのウェネテース帆船と同じくらいに大きくいかつ・・・かったのだから。


 しかしその最大記録が、こうも早くに塗り替えられてしまうとは……。ポトリーグは信じられない思いで唇を噛み、目の前に出現したものを仰ぎ見ている。


 巨大なおさかいぎゅうと同等……いや、長さならこちらが大幅に上回っている。巨大にして長大すぎる怪物が、波間からすういとなめらかに頭を出したのだ!


 鮭の光に照らされて、その怪物の身体表面を覆う硬そうなうろこが光っている。


 北アルモリカの港湾都市、アレートを囲っていた堅牢な石壁が、そのまま海中でうねっているかのような錯覚をポトリーグは覚えた。


 城壁みたいな身体をくゆらせ、巨大な蛇はポトリーグの小舟とあざらし姉弟、その真下の海深くにいるねねぐいに、通せんぼをしているのだ。


 白銀の鮭の輝きに、大蛇の巨体は何色にも反射する。青っぽくも白っぽくもなり、時折あかがね・・・・のように鈍く輝いては、暗くなった。長すぎる鎌首をもたげ、じっとポトリーグを見下ろしてくる瞳だけが、赤く燃えるようである。赤と赤で、不吉にあかい巨大な双眸。


 その赫いまなざしにさらされ、わなわなと震えそうになる両足を、ぎゅうっと舟底に踏みしめる。


 ポトリーグは白樫のかいを足もとに置き、鉄鍋の取っ手を握りしめた。低く囁く。



「――るるっち。ねねっち連れて、左手へ行け! うずっち、俺らは右手へ全力だ。おしゃけさまはどっちでもいいけど、何んとか目くらましっぽく泳げねえか!?」


『えっ』『のん?』『ああ~??』



 るるとん、うず、そして光る鮭。


 やはり低い三つのささやき声が、驚く。



図体ずうたいでっかい分、あいつとろい・・・んじゃねえのか。三手に分かれて行こう、でもって向こう側にいるはずのかいぎゅう群とこで合流だ!」


『わかったわ!』



 すばやく姉あざらしが答えた、その時である。



『待て、と言うに。せっかく来たのだ、話してゆかぬか? 人間よ』



 つめたい声が再び腹底にひびいて、ポトリーグの身体をぞくりと震わせる。



『獲って食うために、仔かいぎゅうを連れてこさせたわけではない。お前をここへおびき寄せるための、おとりに過ぎなんだ』



 空耳ではない。おぞましい声は、はっきり眼前の巨大な蛇の口から漏れ出ている!!



『お前のことも、食おうとして呼んだのではない。ただ会って、話がしたかったのだ。名は何という? 人間の子よ』


「……こちとら急いでんだっ。俺はあんたに用はねえ! 食う気ないなら、とっととそこんとこ、どきゃあがれッ」



 これまで十四年の人生中、一番の危機を前にして、しかしポトリーグは啖呵たんかを切った。圧倒的な恐怖を前に……いまいち、声に力が入らないが!!



『話をしたらどいてやろう。この蛇の王シルワ・ケルヌアに対して、お前は何者だ?』



 怪物のあかい目は、まっすぐポトリーグを見ている。


 と、その瞬間。ふしゅうううう、とつむじ風のような息を吐いて、巨大な蛇はふるふると頭を回した。


 海面が沸き立ったかのように、しぶきが上がる。


 怪物のまわりの水中には、多くの中小蛇たちが潜んでいたようだ。そいつらはしゅうしゅうと騒がしく息をしながら、さざ波さながらに海面すれすれをうねり泳ぐ。やがて≪蛇の島≫の方へと去って行った。



『今のは、ごく一部の近衛このえだが……。わたしの配下は、≪黒き島々≫の各地にひそんでいる。北端の島に突然あらわれた時から、お前のことを見張らせていたのだ』


「なんだとうッ!?」



 淡々と言う怪物の言葉が、ひやりとポトリーグの胸中に刺さった。つまりポトリーグは初めから今まで、蛇たちに見張られていたということなのか。



『ずいぶんと、わたしの子たちを殺したそうじゃないか? まあ、卵なぞ無限に産めるからね。いっこうにかまわないのだが』


「……」



 ポトリーグはどうにか息をしつつ、怪物をにらみ返す。胸の内では≪やどりぎ島≫にいた、あの白蛇のことを思いだしていた。



――あいつの言ってた、≪王さま≫……。おさかいぎゅうのじいちゃんと、約束をしときながら破ったやつが、こいつか!!



 ポトリーグは震えを抑えるために、深く息をついた。わざと低く、ゆっくりと言う。



「じゃあ、そいつら子分どもから聞いてわかってんだろ。俺はあんたら蛇を、滅ぼす力を持ってんだ。あんたがそこをどかねぇんなら、力づくで通らさしてもらうぞ?」


『いいなあ、はったりと言うのは』



 蛇の王は、……もしかして笑ったのだろうか?



『だから、通すと言っているだろう。お前が何者で、どこから来てどこへ行くつもりなのかを、聞かせてくれれば』


「本当だな、こら? 約束ほご・・にしたら、ばちが当たんぞッ」



 今、ポトリーグの小舟カラハのそばには、うず雄が寄り添うようにして立ち泳ぎをしている。少し後ろの方にるる波も頭を出して、息をのんでいるらしい。仔かいぎゅう・ねねぐいの姿は見えないが、姉あざらしの真下、ずっと深いところにいるのは確かだ。


 あざらし姉弟にも、蛇の王の言葉はしっかり理解できるようだった……長かいぎゅうの時と同様に。


 鮭の白銀の光に照らされる、小舟のまわりにかたまった一行。その中心で、ポトリーグは渾身の勇気をふりしぼり怒鳴った。



「――俺は、ヒベルニアから来たッ。シャナキール修道院の、ポトリーグだ!!」



 ポトリーグのあお眼光がんを受け止めている蛇のあかい目が、ぴくりと引きつる。



「ちなみにここんち、≪黒き島々≫では。ひと呼んで、鍋聖人ポトリーグじゃあッ!! これから≪氷の海≫を越えて、故郷ヒベルニアへ帰るとこでぇッッ」




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