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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第十二踏 ≪かいぎゅう島≫
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90. ≪氷の海≫を越えた者は

『あの≪氷の海≫を越えてここへやってきたものは、身体を大きくしたり、寿命を永らえたりする。どうしてなのかは、この賢い鮭やにもわからないが、他の種の生きものとも話すことができるのだよ』


「うえええーっっっ?! つまりそれ、俺じゃねえかよーッ!?」



 寒中海中移動のために、すっかりむらさき色になってしまった口をがっこーんと四角く開けて、ポトリーグはぶったまげた!



――あざらしや鳥たちの言葉がわかるのは、そのせいだったのか。いや待て!? それじゃ先人のマラキは、なんで死んじまったのだ!?



『まあ、皆がみんな大きくなったり、永遠の寿命を持つようになると言うわけではないよ。げんに私と一緒にやって来た創始かいぎゅう達は、皆なくなってしまったし』


『個々の都合によって、だいぶ色々変わるよな』



 こぽこぽこぽ、大きな泡のあがる音がした。光る鮭が、水中で溜息をついたらしい。



『ポトリーグ、お前は故郷へ帰るつもりなんだろう? 不死だの大きくなったりだのは、望まないのだろうが』


「いやもう、全ッ然! のぞまないし、要らねぇしっっ」



 ぶいんぶいん、ポトリーグはしぶきを飛ばして、濡れた頭を横に振る。


 すると、おさかいぎゅうと岩島のあいだの水面に、鮭が泳ぎ寄ってきてぷかっと頭を出した。



『そいじゃあ、後ろに生えてる樹に触るなよ。誤飲で不滅になっちまっちゃあ、悔やんでも悔やみきれんからなぁ』


「はあ??」



 ポトリーグとうず、るるとんは、背後の光る樹を振り返った。


 よくよく見れば、それは見慣れた枝葉のかたちをしている。



「あっ、はしばみ・・・・じゃん! これッ」



 かさついた葉の合間、がく・・にくるまれた実も、やはり白っぽく光っている。



『そうだ。人間としちゃ食いたいだろうが、だめだぞ。光る実が口ん中に入ったらさいご、普通・・には戻れなくなるからな』


「……」



 光るはしばみの樹と、水面で輝く鮭のとんがった顔とを、ポトリーグは見比べた。……輝く色が、どちらも白銀……似ている、というか同じ光?? ポトリーグの胸中を、いつか誰かに聞いた物語がふいーとよぎった。語ってくれたのは大おばだったか、あるいは村に来た吟遊詩人バードだったか。不思議な鮭をつまみ食いしたせいで、超常の能力を授かってしまったとある少年の話を……。



「……あんたって、さあ。もしかして、英雄フィンに食われた鮭なのか??」


『ちがーう、別魚だ。知恵の鮭、つう肩書はまあ共通だが。とにかく、そのはしばみには近寄るな。わざわざ≪知恵の実≫を食わなくたって、≪やって来た者≫は色々と妙ちくりんに育つんだからな……。あの蛇の王だって、一体どこまで大きくなるんだよって感じだし』


『見たことがあるのですか? おしゃけさま』



 姉あざらしが、そうっと問うた。



『……やたら俺のこと丁寧に呼ぶな、お姉ちゃん? ……ああ。俺は≪海の下の道≫を行くかいぎゅうによく付き添うから、何べんも見てるよ。あんたみたいな未来のある女の子は、遭わないに越したことはない。不眠症になって、海底で溺れっちまうぞ』



 そんなに巨大で怖くて、夢見が悪いのだろうか。確かに、かいぎゅう成獣をのみこむ・・・・くらいなのだ。悪夢のようにでかいに違いない。


 しかしそんなおぞましい怪物に、老いたかいぎゅう達が自分の身体を、まるで捧げもののように供するなど……。ポトリーグにはどうしても、想像できなかった。



『まあ、そういうわけだからね……。ポトリーグにるる波、うず雄や。どうかこの話と、そして≪海の下の道≫のことは、他のかいぎゅう達には言わないでおくれ。≪黒き島々≫に住む生きもの達にも、教えないでいて欲しい』


「うん……」


『わかりました、長さま。わたし達、この秘密を誰にも言いません……。必ずよけて通るところ、という目印としてだけ≪海の下の道≫を見ますから』



 るる波が、はっきりと真摯に言った。



『そのことを教えて下さって、本当にありがとうございました。秘密は守ります……でもわたし達、このご恩は忘れません』



 長かいぎゅうは、ゆっくりとまばたきをする。まぶたにかくれてから再び現れた、そのまなざしは優しかった。



『そうだね、るる波や。忘れられない限り、私たちは決してなくならない。……気をつけてお行き、みんな。そうしてるる波とうず雄は、≪ひげあざらし島≫へ。ポトリーグは……ヒベルニア、と言ったっけ。元いた場所へ、無事にお帰り』



 これが会合の終わりであり、長かいぎゅうと別れる時なのだと、一行は肌で感じ取る。


 なかば乾きかけ温まった身体で、再びうず雄の背中にしがみつきながら、……ポトリーグはどうしても聞かずにはいられない、と思ったことがある。



おさじいちゃん。最後にいっこだけ、教えてくれるか」


『うん? 何だねポトリーグや』


「……長じいちゃんは、帰ろうとしなかったんか? 前いたところへ」



 長かいぎゅうはもう一度、ゆっくりとまばたきをする。今度は長く、目を閉じていた。



『憶えている景色のことを、思うことはたくさんあるよ。けれど私には、帰る必要はなかった。群れと家族と、一緒にここへたどり着いたからね……』



 まぶたを開けた時。老いたかいぎゅうの目はポトリーグに向けられてはいたが、……しかしポトリーグを見てはいないようだった。どこか他の場所、あるいは別の時代を見つめている。



『その群れは今、私の子孫代々の新世代となってはいるけれど。大切な家族である、と言うことは全く変わらない……。だから私は、ここに生きていられるんだ』


「そっか」


『どこにいるか、ではないんだ。大切なひとと幸せに生きられれば、そこが一番大切な場所なのだと私は思った。だから私は帰らなかったんだよ』



 ほんの一瞬ではあったけれど……。長かいぎゅうの声が少しだけ高く、若くなったように思う。


 長かいぎゅうの言いたい答えを、それでポトリーグは丸ごとわかった気がする。



――このひとはつまり、ここんちに来てよかったんだ。大事な家族が、ずっと一緒だったから。



 そうしてそれは今もおそらく、続いている。そういう家族たちが蛇の王の元へおもむくのを見送るのは、辛そうだが……。


 いいや。それをどう思うかは、たぶん長かいぎゅう自身にしかわからない。きっとそれが、永遠に生きる長の使命なのだろう。


 十四歳の人間の少年ポトリーグには、わからない……。まだわからない、海の謎であり秘密なのだ。



「さいなら、長じいちゃん。……元気でなー?」


『きみもたっしゃでね。きひとの子、ポトリーグや』



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