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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第十二踏 ≪かいぎゅう島≫
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88. 長かいぎゅうの宮


――で……、でけぇええーっっ!!



 いったいどのくらい、長く大きいのだろう? 


 鼻だけでゆうにるるとんほどもあるそのかいぎゅうは、荒波にもまれ続けたいわおみたいな身体をしていた。


 表面いたるところに深く刻まれたしわ、そこにふじつぼや巻き貝、いそぎんちゃくがどっさりと貼りついている。


 大きな眼と口をどうにか見分けてから、ポトリーグは言った。



「かいぎゅうのおさじいちゃんに、聖母さまの祝福をッ。ちわーす!」


『はーい、よく来たね。きみがポトリーグ?』



 かいぎゅうは、ふじつぼのこびりついたまぶたを下げ、目を細めて笑ったようだった。低い声だが、朗らかに軽やかな口調である。



『人間は、いつまでも水の中にいては冷えてしまう。そこの小島にお上がり。すてきな若あざらし達も、一緒に』


『は、はいっ。行きましょう、うずちゃん』


『うん、……』



 光る樹の根元にうずは這いのぼり、ポトリーグはその背から下りた。


 その時はじめて気が付いたのだが……震えが、止まらないのである!


 ぴとん。ぴとッ!



 左右にあざらし姉弟が、貼りつくように立つ。ふたりのおにくが放つ熱に励まされて、ポトリーグは深く息をついた。



おさじいちゃん、人間のこと知ってんの?」



 水面に浮かぶ長かいぎゅうの全貌が、なんとなくだがポトリーグに見えてきた。ブレンダン修道院長や修道士たちと乗った船、二本帆柱のウェネテース船ぐらいに大きい。



『ああ。知っているよ』


「どうして……?」


『前にいた世界で、時々見たことがある』



 ポトリーグは、ばちばちばちとまばたきをした。



『若き人間の子、ポトリーグや。私もその昔……あの≪氷の海≫を越えて、ここへたどり着いたものなのだよ』



 がこん、ポトリーグは口を四角く開けた。うず雄とるる波も同様に開けたのだが、いかんせん長いおひげで見えにくい。



『長さまは、≪一番はじめのかいぎゅう≫のひとりなのですよ。はるか彼方の時代、べつの場所からこの地この海へ渡って来られた、創始かいぎゅう群の生き残りなのです』



 ここまで案内してきたおじいちゃんかいぎゅうが、穏やかに言い添えた。このひとも、初めて見た時はなんて大きいのだろうとポトリーグ達はぶったまげたものだが……。長かいぎゅうを前にしては、それほどでもなかったのだなと思えてしまうから不思議だ。



『長さま。自分にはまだ、聞いてはならない話もあると思いますので……。先に湾へ帰りますね。るる波さんにうず雄さん、もう帰り道は大丈夫でしょう?』


『はい』


『では。もし何かあったら、大きく呼んでくださいよ』



 おじいちゃんかいぎゅうが水面下に消えると、長かいぎゅうはうなづいた。さざ波が立つ。



『長さまは、そんな昔に遠くから泳いでいらしたのですか?』



 静まり返った中で問うたのは、るる波である。



『そうなのだ、美しきあざらしのお嬢さん。私と……私の群れのいたところは、空の下に白い大地の見える海だった。そこの空と海とは、ポトリーグの瞳と同じ色をしていたよ』



 うず雄がポトリーグの顔を見る。



あおかったのん、そこの空?』


『そう。けれどある時、私と私の群れは追われて、逃げることになった。昼に夜をついで泳いでいた時、夜空に緑色の光が満ちて、それが私たちのいる水の中にも差し込んだ。ずっとその中を進んでいって、次に海上に頭を出したとき――』



 そこに広がる空は緑色だったのだ、と長かいぎゅうは言う。



『後ろには、びっしりと島のような氷がそびえていた。いま、我々が話の中に≪氷の海≫と呼ぶところだね』



 自分のくぐり抜けてきた過程によく似ている、とポトリーグは思う。



「火柱の、ずっきゅん・ばっきゅんは見なかったんかい?」


『うむ! 私もそんなの見たことないのだ。きみの話をまたぎきした時、何だそりゃと思ったのだけど。いったいどんなのだね??』



 うず雄やるる波もそうだったが、皆ここの部分はすこぶる食いつきがいい。


 ポトリーグが改めてその様子を語ると、老かいぎゅうは感心したのか、ふお~と鼻づらを揺らした。ざううん、とまた水面に波が立つ。



「まあ、たまたま俺たちが通った時だけ、派手に火柱が出てたのかもしんないけどー」


『だろうねぇ。私らかいぎゅうはびびり屋だから、そんな風に恐ろしく海が荒ぶっていたら、渡って来れなかったろうよ。ははは』



 老いた長かいぎゅうは、朗らかに言った。



『あのう、長さま。わたし達も、蛇たちが怖いんです。なのでポトリーグを≪氷の海≫へ連れてゆくのに、蛇たちのすみかを最大限に迂回したくて』



 穏やかに、るる波が本題を切り出した。



『ですからどうか、蛇の島の場所を教えていただけませんか?』


『お願いします。ポトリーグを無事に、群れに戻したいのんです』



 姉に続き、うず雄が一生懸命に頼み込んでくれている。


 ぴとー、ポトリーグはうず雄により近く貼りついた。おにくがぬくい。



『ああ、いいとも。……君たちの足もとを、よくごらん』



 長かいぎゅうに言われ、ポトリーグとあざらし姉弟は視線を落とした。



『ふつうの岩場や地面とは、ちがうのだ。わかるかね?』


「えー? だなあ、光る樹ってふつうじゃねえけど~」


『ふふ、樹は樹でまた異なるがね。岩地の形をよくごらん、ポトリーグや』



 ポトリーグは目を凝らす。隣のうず雄のおにくが、もようんと波打った。



そろって・・・・ない? これ』


「あ~? ……あ、本当だ! なんで六角形なんだ!?」


『……ろっかてい……? なあにそれ、ポトリーグ』



 ポトリーグはしゃがみ込み、るる波のお腹すぐ下の岩地に走る、割れ目を指でなぞってみせた。



「こういう、角の六つある形をそう呼ぶんだ」


『あらら。……言われてみれば、同じ形がぴっちり組み合わさって、かたまっているわね!?』


『ふしぎ~~』



 そう。ポトリーグの鍋くらいの大きさの六角形の石が、蜂の巣みたいに隙間なく並んで、地面になっているのである!



『ここの洞窟ぜんたいが、その同じ形の石柱でできている』



 長かいぎゅうは、ついと頭を上に向けた。


 その視線の先を追うと、確かにぼんやりと見える洞窟の壁という壁は……うねり寄り集まるように上に向かう、細い石の柱でできているらしい。


 全てが六角の石柱でできている、と言うことなのだろうか?



『奇妙だけれども、この石の柱のうねりはここから、≪蛇の島≫まで続いているのだよ。それこそ、海底を貫く通り道のようにね』


『えっ? それじゃあ――』


『ここの宮から石の柱の道を通ってゆけば、半日弱のその先に蛇たちの島がある。≪氷の海≫のてまえにある、蛇の王の宮へと通じているんだ』



 長かいぎゅうの言葉に、ポトリーグとあざらし姉弟は顔を見合わせた。



『わかりました。……ではわたし達は、その道を大きく避けて南へ向かいます!』


「ありがとう、長じいちゃん。でもそれ、他のひとには言っちゃいけないんだよな?」



 ポトリーグが先回りして言うと、長かいぎゅうはゆっくりまばたきをした。



『……そう。いずれのかいぎゅうも、最後にはそこへ旅立つことになるのだけどね』



 謎めいた長の言葉に、ポトリーグは小首をかしげた。巨大な長かいぎゅうは、とても悲しそうに見える。



「……どういうことなんだ、それ? 長じいちゃん。かいぎゅう達が、≪蛇の島≫へ行くっつうこと?」


『うううーん……』



 長い長い、ためらいのうなり声。そこにひょいと、高らかな別の声がはさまってきた。



『良いんでないのか~? たまには俺以外のやつに吐き出したってよう。ひげあざらしは遠くから来てんだから、ほとんど関係ないし』



 あれ、とポトリーグおよびあざらし姉弟は目をむく。


 案内してきたおじいちゃんかいぎゅうは帰ってしまって、洞窟には自分たちと長かいぎゅうしかいないはずなのに? なぜ、別の男性の声が……どこから聞こえてきたのだろう?



『ついでに言や、人間の小僧は善玉だぞ。鉄鍋で俺をすくっときながら、放しやがった。すくって救うの二重らせんで、生命が繋がったい』


『そうだねぇ。鮭や』



 ぱしゃん!


 長かいぎゅうのすぐ前の水面に、何かが跳ねた――。樹とはまた別の、光源が現れる。



『しゃ・け――ッッッ』



 瞬間、るる波の野生本能が一挙に燃えさかる!


 それを察知したポトリーグもまた本能的に、姉あざらしのおにくに両腕で抱きついた!



「るるっち! 今はだめっぽい気がすんぞ、おさえろッ」


『ふっっっは――ッッ。……失礼、すぅはあ……』



 すんでのところで理性を取り戻した姉あざらし、……しかしまだ顔の輪郭が濃ゆい……!



『よしよし、よく我慢したなお姉ちゃん。今食われちまっちゃあ、戻って来るのに時間がかかっちまうしよう。まどろっこしくて仕方ねんだから、ちっとこらえてくんなよ? ここんち長かいぎゅうの、友達だちのよしみでな』


『……しゃけが光って、しかもしゃべっているわ。何がどうなっているの……』



 茫然として、るる波はつぶやく……。


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