85. かいぎゅうたちのいるところ
かいぎゅう達の集う浅瀬の湾の奥には、小さな砂浜があった。
岩棚の合間にあるそのこんぶだらけの浜に、ポトリーグは皮の小舟で乗り上げる。
うず雄とるる波はそのまま、沖の方へ魚を獲りに行った。
『どっちみち、ここにはしっかり逗留して、多めに食べためしてから出発するつもりだったしね。ポトリーグも内陸の方で何か見つけたら、たくさん食べておくのよ』
出かける前にるる波は、きまじめな様子でそう言って行った。
「前線に出る前の、最後の丘砦って感じだもんなー」
ここから先は、補給ができないのである。休める陸地があるかどうかも、さだかではない。
ポトリーグは理解しつつも、あまり気負わずにいたい、と思う。
気合を入れてしまったら、それこそ逆にびびってしまう気がしたからだ。
≪黒き島々≫を出て、いよいよ≪氷の海≫に向かうと言う、その最後の航海に。
うず雄とるる波と別れて、トゥーレにいるだろうブレンダン修道院長たちを、一人で探さねばならない。
ぶん、ぶぶん!
もしゃもしゃした黒い巻き毛の頭を振って、ポトリーグは引っくり返した小舟のそばから立ち上がった。
とねりこの杖を右手に、ひもを結わえた鉄鍋を肩にさげて。
さかさか風をきって、ポトリーグは草の生えない灰色の砂浜を横切り、歩いてゆく……。
≪かいぎゅう島≫の周りの海は、こんぶだらけでもしゃもしゃしているようだが、陸地の方はだいぶひなびた風景が広がっていた。
海岸から丘を越えたところに、樹々の集まりがあるにはある。けれど背丈の低い灌木が中心で、ひん曲がった松の老木がところどころにあるだけだった。
それでも淡い緑の空の下に、広がる野は美しいのである。
『水場かい? それ、そこの茂みの先にある丘のてっぺんに、泉があるよ』
時々頭上を行き過ぎるべにはしがらすに、ポトリーグは声をかけ続けて歩いた。ようやく口をきいてくれた若者が、そう教える。
松の枝にとまったべにはしがらすは、もりもりっとしたお腹のあたりの羽毛を脚でかきつつ、ポトリーグにこうも話した。
『俺たちはねぇ、もうじき北の方へ引っ越すんだよ。ひと回りかふた回りしたら、冬が来るんだからね。その前に、アイレーへ移っちゃうんだ。皆その準備で忙しいもんだからさ、君の呼びかけもなかなか聞き取れなかったのかもね』
べにはしがらす達が素気ない一族、というわけではないらしい。
「アイレーって。北にあるっつう、でっかい島のこと?」
そんな遠くまで飛ぶんかい、と素直に感心してポトリーグは聞いた。
『いいや。アイレーは島ではないよ。北の方へむけて、どこまでも広がっている陸地なんだ。そういうでっかい所は島でなくって、≪大陸≫と言うらしいね。前に、かいぎゅうさんに聞いたんだけど』
アイレーを知る若いべにはしがらすに、続けてポトリーグはたずねる。
「……そこんち。俺みたいな生きものがいないかい? 人間、つうんだけど」
『うーん、見たことないなあ。毛深い四つ足の生きものは多いんだけど、君みたいに二本足で歩くのは全然いないよ。と言っても、俺たちは海岸の近くで過ごすばっかりだから……。ずうっと内陸のほうへ行けば、また違う生きものがいるかもしれないけどね』
べにはしがらすの若者によくよくお礼を言って別れ、ポトリーグは丘の上を目指し始める。
――アイレー……。アイレー大陸、なんかなぁ。そんなの、どこでも聞いたことねえなぁ……?
その名を聞いたのは、ここ≪黒き島々≫にたどり着いて以降だ。修道士の兄さん達はよく地理について話し合っていたし、シャナキール修道院には遠路はるばる様々な場所から人が集まって来ていたから、誰かが話していてもよさそうだった。けれどポトリーグは、≪アイレー≫なんて、まるで聞いたことがない。いや、それを言うなら≪黒き島々≫についても、話している修道士はいなかったけれど。
岩と砂まじりの地面を踏みふみ、ポトリーグはやがてなだらかな丘の頂上にいたる。
べにはしがらすの教えてくれた通りに、大きな泉が岩の間に湧いていた。しかし、水たまりの奥が何やら深い。
重なり合う岩が陰をつくって、底の方は暗く見えなかった。
「……深いなー? 泉かこれ? 沼なんじゃねえの」
しかしほたて殻にすくってみた水は、にごらずに清い。鉄鍋を傾けかけて、ポトリーグはふと前の島のことを思い出した。
「水、汲むぞうー! さかな、入んなよ~~?」
大きく言ってから、じゃぶんと鍋を水につける。楽に水を得たポトリーグは、立ち上がりかけて……あれっ、と思う。
「えええ? ……野りんご??」
かなりびっくりした。何もないと思っていた岩陰が斜面になっていて、そこに小さなりんごの樹が佇んでいるのだ!
泉のほとりに鍋を置いて、ポトリーグは樹に歩み寄った。
ひょろっとのっぽのポトリーグと、同じくらいの背丈。まだ若い樹だった。
その細い身体いっぱいに、小さなりんごの実がくっついているのである。
鮮やかな緑の実は、だいぶ青みが強い。陽光にあたって照り返すつややかな表面は、ちらちらと銀の輝きを放つようだった。
鶏卵よりも小さなその実を、一つもいでポトリーグはかじる。
「ふがッッ」
あまりの甘さに、ポトリーグは思わず食べながら言ってしまった!
緑色でもしっかりと熟れている。ひょっとして別の果物なのか、と疑いかけたが……。それは奇妙でも小さくても、確かに野りんごの実なのだった。
今までに採った野りんごを食べ尽くすところだったから、ポトリーグは嬉しくなる。
あみ袋の中にたくさん入れても、りんごの樹にはたわわに実が残って、まだまだ重そうだった。
――これ。≪氷の海≫を越えるのに、持ってけねえかな……。いいや、凍ってだめになっちまうかな。
「ま、それならそれで、仕方ねっかー。るるっちうずっちと山分けして、……ねねっちにもやろうかなぁ!」
ひゅうう、と吹き抜ける風が……。つめたかった。
「うおう」
ポトリーグは肩をすくめると、そそくさと袋の口をきゅうと縛り、野りんごの樹に祝福を贈る。
そのまま鍋と袋、入手したものを持ち上げて、少年はすたすたと丘を下って行った。




