83. ポトリーグとあざらし姉弟、かいぎゅうにびびる
『るるちゃんに、うずちゃんに、ポトリーグ、だねー。あたしは、ねね風だよ。よろしくねー』
巨大な頭を海面に出してぷかぷかと浮きながら、その≪かいぎゅう≫の女の子は言った。
ポトリーグは目を凝らして、水面下の身体を見る……本当に、でかい。
話し方はごくごく若く幼くて、人間で言うところの五つ六つの子どもと思える。しかし身体の大きさが、ゆうにるる波の四倍はあるのだ。
かいぎゅう。海の牛、なのだが……。幼獣でこの大きさ、牛どころじゃねえのでは、とポトリーグは圧倒されまくっていた。
しかしねね風自身は、いたってのんびりしている。
『向こうの方の浅瀬にねぇ、みんな住んでるの。あたし達お客さん大好きだし、遊びにおいでよー』
『いいの? ねねちゃん。お邪魔でないかしら』
『うん。おばあちゃんたちにも、ポトリーグ歌ってあげてー』
その大きさゆえに、びくついて問うたるる波に、ねね風はもんわりとうなづいている。
『こっちー。ついてきて』
そう言うと、ねね風はたぷんと海中にもぐった。そのまま水面すれすれを泳いでいく。
一行は後を追った……。あざらしと異なり、かいぎゅうは主に潜水したままで進むもののようだ。
うず雄とるる波は、少々とまどった様子だった。水上に頭を出して時々振り返り、ポトリーグを見ながら泳ぐ。
確かに≪かいぎゅう≫は、ものすごい大きさの生きものである……。けれどこれまでに聞いた話、≪かたばみ四つ子島≫のつのめどりや、≪しゃけ泉島≫のかつおどり兄貴たちは、かれらが賢くていいひとらと言っていた。
ねね風に悪さは感じない。よってポトリーグは、あざらし姉弟に平静を装った顔でうなづいて見せつつ、白樫の櫂をぐいぐい漕いでいった……。
だいぶ東へ来たあたりで崖がとぎれ、低い岩棚に移り変わってゆく。
ぷかっと頭を出して、ねね風が言った。
『ここの湾に、みんなで住んでるのー』
「岩棚んとこか?」
『ちがうよー、海のなか。あたしたち、陸には上がれないもん』
「え、そうなんかい?」
海の豹たるあざらしとは、だいぶ勝手が違うのだろうか。海の牛と言うからには、地上にも駆けるものかも、と思っていたのだが……。
『はあい』
その時ねね風とは別に、ぷかっと浮いてきた頭がある。
もわーんと波が湧きたって、ポトリーグと小舟は揺れた。
『あっ。みんな、あたしのおばあちゃんと、お母ちゃんだよー』
『はあーい』
ぷか! ぷかぷかぷか、ぷか!
『叔父ちゃんと、いとこのお姉ちゃんと、そのだんなさんも来たよー』
『はあーい』
『はあーい』
『はあーい』
のっぺりした平和な顔……。しかしみな、一様にでかい。
ねね風が子どもであることを、今はっきりポトリーグは理解した。成獣かいぎゅうは、うず雄とるる波とポトリーグの小舟をたてに並べたよりも、さらに長くてでっかいらしい。立派な雄牛の、三倍以上はある!
もりもりと小山のような体の後ろには、形だけ魚のようなひれがくっついているようだ。どのかいぎゅうも巨大すぎて、全貌なんてしっかりとは見渡せないのだが。
ポトリーグの皮の小舟とあざらし姉弟は、いまやそういう壮大なかいぎゅうの群れに取り囲まれていた。
「……こんちはー! ポトリーグっす。かいぎゅうさんちに、聖母さまの祝福をー、……」
ぐるーっと四方を見回しながら、ポトリーグはびびりつつ挨拶をした。語尾が震えてしまう。
何ということだ。取り巻く顔はすでに海上に、二重の環をなしている。
ぶおーん! もわーん!!
その外側わっかを成したかいぎゅうたちからは、くぐもったうなり声が聞こえてくる。
『あれはねえ、分家のおじいちゃんたちと、はとこなんだけどー。ポトリーグの言うこと、わかんないって。でも、いらっしゃーい、って』
「え……?」
かいぎゅうの全てと、話が通じるわけではないようだ。
『いらっしゃい。あざらしさんも、よく来たね。ここまでみえる方は、めずらしいよ~』
ふがほごした声で、小舟近くに浮かぶかいぎゅうが言う。
これまた、ものすごく大きい……。その身体は、しわしわのくちゃくちゃだ。おじいちゃんなのであろう。
『ええと、……わたし達は、ですね……!!』
毅然とした態度で話そうとはしているが、小舟すぐ脇のるる波は言葉を詰まらせている。うず雄にいたっては、姉の後ろで茫然と委縮しているようだった。
あざらし姉弟が極度に緊張しているのは、ポトリーグにも伝わってきている。そういうポトリーグだって、本当はかなり、けっこう……むちゃくちゃ怖いのである、実は!!
身体のでかさは≪いさな≫並み、そういうのが十数体と群れをなして、ぐるりと自分たちを取り囲んでいるのだ。おっかなくないわけがない。
巨大なるものへの畏怖、原始の恐怖はどうしようもなかった。
『……』
ポトリーグは手をのばして、黙り込んでしまったるる波のひげを握る。
――――♪波に抱かれ 海を騎くあなた
どうしてなのかは、わからない。
けれどポトリーグは、歌い始めた……。いや、歌がポトリーグの口から、すすんで生まれ出てきたのである。
――――♪永遠にかわらぬ ぬくもりを
恐るおそる、かすれた調子で始まった歌は、しだいに大きくなってゆく。
そう、ちょうど微風をとらえて膨らみ始めた、帆のように!
――――♪この胸のなかに 灯し
歌がポトリーグの身体に、そのまわりの大気にみち満ちた。
胸につっかえていた緊張、そしてるる波とうず雄を捕えていた恐怖が……どこかに、溶けて消える。
――――♪私はともにゆく 尊きあなたと
マラキの歌、その一節を終えた瞬間。ポトリーグは確かなる熱を感じていた。
自分の中に、すぐ傍らにいるあざらし姉弟の中に、そうして小舟を取り巻いている巨大なかいぎゅう達の笑顔の中に。
かいぎゅう達はみな、老いも若いもわらっていた……いいや? かれらはひょっとしたら、初めっから笑って寄って来ていたのかもしれない。かれら独特の笑顔が、ポトリーグとるる波、うず雄にしっかり判別できるようになったと言うだけで。
『すてき』
『すてき』
『すてきに、すてき』
もそもそもそ……。でっかい顔いっぱいに、かいぎゅう達は喜んでいる。
『ねー! みんな、いいでしょう? ポトリーグのお歌!!』
ねね風がそう言った時に、でっかいしわしわおじいちゃんがうなづいた。ゆっくりとした動作なのは、できる波でポトリーグの小舟が揺れないよう配慮してくれているのだろうか。
『ほんとだねぇ、小っちゃいねねちゃんや。ときにポトリーグ君、きみは≪にんげん≫と言ったが……。もしかして、陸の生きものなのかな?』
「うん。そうなんだ」
もう怖気づくことなく、ポトリーグは答えた。
『そうかい。じゃあ、もうちっと小湾の奥の方へ行こうかね? 風が静かになるから。わしと皆に、きみらの話を聞かしておくれ。いいかね、あざらしさん?』
『ええ……喜んで!』
いつもの、しっかり者のお姉さん調に戻ったるる波が、しゃっきりと答えている。
『こっちだようー』
かいぎゅう群に囲まれて、ポトリーグの小舟とあざらし姉弟は、ゆっくり小湾の内側へと進んでいった。




