79. さよならまで、あとちょっと
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かつおどり兄貴たちのおすすめ通り、≪しゃけ泉島≫の西海岸から南側へまわりこんだ一帯に、美しい浜があった。
せり出した岩棚が、実にあざらし向け物件である。
ポトリーグが乗り上げ、小舟をひっくり返したのを見届けると、あざらし姉弟はそそくさと海に戻っていった。と言うかるる波が鼻息を荒くふかし、率先してしゃけ漁に向かったのである。
『しゃけーッッ』
好きなものに向かって突っ走れ……違った、突きおよげ。
かつおどりの兄貴たちも、蛇はここのところ見ていないし特に危険はない、と言っていた。安心して水と食べ物を探せそうである。
「さーて、俺も。何かうまいもん見つけよっと」
とねりこ杖を手に、鉄鍋を肩にひっさげて、ポトリーグは島の内陸部に向かって歩く。
だいぶ空気が冷たい。
海上で風に吹かれている時よりはずっとましで、温いとすら思える。しかし距離を進むたび、陸地上での温度がどんどん下がっている、と言うことにポトリーグは気づいていた。
しばらく歩いてから振り返ってみる。浜続きにのぼってきた砂丘は、けっこうな高さがあった。
ひっくり返した黒い小舟と夜営地が見える。
夕陽に明るく照らされ始めた海原が、おだやかに輝く――――その先の水平線に、もりっとした影が薄く見えた。
「おっ。あれか、≪かいぎゅう島≫ってやつ」
今、空はずいぶん晴れ渡ってきていた。かつおどり兄貴たちの言った通り、その島影がみえているのである。
――あれが、≪黒き島々≫の南端かあ。
そう思った途端、ポトリーグの胸の奥がずきり、とした。
あそこを越えれば、その先にあるのは≪氷の海≫。ブレンダン修道院長の一行とはぐれた地点がある。
そこへ……。振り出し地点に戻れさえすれば、ポトリーグは故郷ヒベルニアへ帰ることができるのだ。
「……」
細長い≪かいぎゅう島≫の島影を見つめながら、ポトリーグは唇を噛んだ。
――どうしてそこで、悲しくなるんだよ?? 俺。
不思議だった。ポトリーグはひたすら、ヒベルニアへ帰ることを願っていたのに。
今になって――かなしいのである。ずうっとついてきてくれた、うず雄とるる波に別れを告げるのが。
ポトリーグが≪氷の海≫へと渡るのを見届けたら、あざらし姉弟はうちへ帰るのだ。北へ北へ、≪ひげあざらし島≫へ。
ポトリーグもうず雄もるる波も、元いたところへ戻る……けれど、別々に。
当たり前のこと。
そう決めて、わかりきっていたことなのに。
ポトリーグはもしゃもしゃ黒い巻き毛を風になびかせ、うつむいた。
自分ではもちろん気づいていないが、生気そのままに蒼い輝きを放つ双眸が、いま暗く翳りを帯びている。
くるり。
海とその向こうの≪かいぎゅう島≫に背を向けて、再びポトリーグは歩き出す。
転々と渡り歩いたうちの親戚たちも、最期をみとった大おばも、シャナキール修道院の修道士たちも、それぞれにいい人たちだった。皆、ポトリーグに優しくしてくれた、と思っている。
……けれど誰もが、ポトリーグからはなれて行った。
そこまで考えて、ポトリーグはふと気づく。そう、これまで彼と一緒にいた人びととは、そうやってさよならするのが当たり前だった。
だからこそこの間、白蛇に丸め込まれそうになった時も……。うっかりやすやすと、信じかけてしまったのだ。うず雄とるる波もまた、ポトリーグから離れ、去って行ったのだと。
それはただの白蛇のまやかしで、あざらし姉弟はちゃんとポトリーグの前に戻ってきてくれた。しかしこのふたりとも、やはりいつかは別れなくてはならない。
その日その時は確実に、ポトリーグの前に近づいてきている。
「……さよならまで、あとちょっと……かぁ」
あまり目には見えなくても、晩秋は確かに深まっている。冬が迫っているのだ。
踏み分ける草の乾き方にそれを感じつつ、ポトリーグはとねりこ杖を持つ右手を、そして左手のひらを握りしめた。
うず雄とるる波の、じゃらじゃらした長いひげ。しなやかなそれらをにぎると、ポトリーグはなぜか心底おちつく。
あの安堵の感触を手のなかに握ることができるのは、あとほんのちょっとの間だけ……。
そう思うと、たまらなく寂しくなる。
ポトリーグにさかなを食べさせ、雨風や寒さから守り、……そしていつまでも、ひたすらポトリーグのそばにいてくれるあざらし姉弟。
ここまで長く密に、自分のそばに【いてくれた】ひとを、ポトリーグは他に知らない。
ふう、小さくため息をつく。
うず雄とるる波。ふたりと別れるのが、あんまり惜しいとポトリーグは思った。
これまで生きてきたうちで、いちばん。




