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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第九踏 ≪やどりぎ島≫
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65/101

65. ひとり、置いてきぼり

 ・ ・ ・ ・ ・



 次の日の朝は、なんだか陰鬱だった。


 一応明けはしたものの、どこまでも灰色の空が広がっている。昨日の強い風が行ってしまった後、それまで引っ込んでいた湿気が、うようよとはびこり出したのだろうか。



「うーん」



 重い頭を振りながら、ポトリーグは火を起こした。


 ねむったことは眠ったけれど、うるさい風の音に邪魔され続けて、寝方が浅かったらしい。微妙に疲れを引きずってしまって、ぼんやりするのである。


 昨夜のかれい汁の残りを飲み、りんごとはしばみを食べ終えたが、うずとるるとんはまだ帰らない。


 朝、小舟カラハの天幕からもそもそ這い出た時に、あざらし姉弟の姿はそこになかった。すでに漁に出ていったのだろう、としかポトリーグは思わない。


 ……しかしいつもよりだいぶ、戻るのが遅くはないだろうか?



――海で何か、あったんじゃねえだろうなあ?



 海で居眠り中に溺れたあざらしの話を、ポトリーグは思い出した。ポトリーグ同様、うず雄とるる波も風のせいでよく眠れなかったのかもしれない。そういうふらつく頭と身体で漁に出る、ついうつらうつらと眠りかけて……。



「いや~、そらねえだろ。うずっちとるるっち、一緒におぼれるってことはぁ」



 もしゃもしゃ、黒い巻き毛を揺らして頭を振ったが、ポトリーグはやはり不安を払いきれない。



「遅ぇなあ、もう。どうしちまったんだろう」



 不安は次第に、苛立ちへと変化していった。


 別に急ぐわけではないが、ふたりの姿が長く見えないことに慣れていない。おかしい。



『――おはよう』



 ぽつねんと小舟の脇に座っていたポトリーグは、はっとして振り返る。


 女性の声だが、るる波ではない。……昨日の≪なが虫≫の声だ!



「おはよう。どこにいんの?」


『岩の陰ですよ。なんだか慌てているわね? 何かあったの?』


「うん、……実は今朝っから、連れのふたりがどこにも見えねんだ」



 不安にかられてしまったポトリーグは、姿の見えない相手に向かってしゃべった。



「ひょっとして、見かけなかったか? みみずのお姉ちゃん」


『……お連れは、どういう姿をしているの?』


「黒いあざらしなんだ。でっかいのと小柄なのと、ふたりともひげが長ぇの」



 説明しつつ、ポトリーグは無力を感じる。話したってむだだ、みみずが海に出たあざらしの行方を知るわけがないのに、と自分自身に突っ込む。


 しかし女性の声は、はっと息を飲んだ風だった。



『……見ましたよ!』


「えっ!?」


『わたしは今朝早く、ここの裏手にある岩の高みにのぼっていたの。大きなのと少し小さいのと、あざらしが二頭連れだって波間を泳いでいくのを、たしかに見ましたよ。この辺では珍しいから、ずうっと見ていたのだけれど……。あれが、あなたのお連れだったの?』


「それだ! お姉ちゃん、あざらしはどっちへ行ったんだ?」


『……それが、そのう……』



 口ごもるような調子の女声に、ポトリーグはつい強く言ってしまう。



「教えてくれってば!」


『……沖の方へ、行ってしまったわ。ずうっと西へ……。それで、見えなくなったの』



 ポトリーグは言葉を失い、ぽかんとする。


 うず雄とるる波が……西へ? 沖へ消えた??


 自分を置いてきぼりにして、どこか遠くへ行ってしまった……?



「まさか。そんな、あほな」



 ぎゅうう、とポトリーグは毛織り修道衣のえりのあたりを、両手に握った。



「うずっちとるるっちは、俺と一緒に≪氷の海≫へ行ってくれるって……!!」


『かわいそうに。見捨てられてしまったのね、あなたは』



 女声が近くなる。



「……そんな。なんで、どうして……」



 ポトリーグはむしょうに怖くなった。混乱が、疲れた心と身体とを襲う。


 あざらし姉弟が……。何かの事情があったとしても、自分に何も言わずに行ってしまうだなんて。そんなことが、あるのだろうか?



『生きものの心は、くるくる変わるもの。それこそお天気のようにね……。もしかしたら、何かとても怖いものを見て、逃げざるを得なかったのかもしれない』


「怖いもの?」


『ええ。誰にでも怖いものはあるのだから、それを理由にお連れを恨んではいけないわ。あなたにだって、何か怖いものはあるでしょう?』


「……」



 こわいもの……。ある。今実際にポトリーグは、こわい・・・と感じている。何が?


 ……一人おいて行かれたこと。うず雄とるる波が、いなくなってしまったことが……怖い!!



『でもね、心配はいらないのよ。わたしは全ての怖いものから守ってくれる、すばらしい王さまを知っているの。あなたをその王さまのところへ、連れて行ってあげるわ』



 ポトリーグは唇を噛んで、聞いていた。


 みみずの声は心地よく、たえまなくポトリーグの耳に流れ込んでくる。そこから優しいものの中に取り込まれていくような、不思議な感覚に陥りかけていた。


 うず雄とるる波が自分を置いて行ってしまったという、その信じたくない事柄から心をそむけられるような……。そういうよすがが、欲しい。



「王さまって。みみずの王様かい」


『ふふふ、わたしは≪なが虫≫だって言ったでしょう。みみずじゃありませんよ。どれ、そろそろ姿を見せましょうかね。驚いたり、怖がったりしないでね?』


「うん」


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