63. 風吹くやどりぎの森
その後もいくつかの小さな巌を西に東に過ぎ越しながら、ポトリーグの小舟とうず雄、るる波は順調に南へと進んだ。
しかし午後なかば。明るかった緑の空に、灰色の雲がかぶさり始める。
南、目指す方向からの風がやや強くなった。
『ここまで追い風で、だいぶ進めたしね。無理をせず、次の島で宿りましょう。ポトリーグにうずちゃん』
『東のほうに、島ひとつあるのん』
ポトリーグには、まだ目視できない。しかしるる波とうず雄は、次の停泊地を、しっかりとそのおにくで察知しているようだった。
やがて前方に見えてきた島は、木の椀をふたつ並べて伏せたような形をしていた。ゆるやかな丘陵である。
こちら北に向かって、両腕をさしのべるように湾がひらいていた。
「おう、ここんちは楽々のり上げられそうだ!」
≪マラキのいた島≫がごつごつ巌の難所だっただけに、ポトリーグは岩棚の合間の浜を見て安堵する。
「俺ひとりでも、ばっちり接岸できる。うずっちとるるっちは、このまま魚とりに行ってくれよー」
『そう? じゃあ遠慮なく、たべてくるわ。また後でね! ポトリーグ』
『何がとれるかなーあ』
あざらし姉弟と別れ、ポトリーグはひとり砂浜に乗り上げた。
見通しのよい浜である。あらかじめ海上から目星をつけておいた岩棚の端っこへ行って、ポトリーグは皮の小舟をひっくり返し置いた。
ひゅう……。
風の通り抜けていく音がした。ざざん、と打つ波音と風ばかりが、浜に満ちている。
ポトリーグはぐるりと見渡してみたが、鳥の姿は見えなかった。
――この風じゃあ、おちおち飛んでらんねぇよな。鳥んちも、今日はよっぽど早じまいじゃねえの。
るる波は、雨になるとは言っていなかったが……。吹きすさんでくる風を避けて、火を起こすのが少々めんどうだろうか、とポトリーグは思う。
それでも水を探しに行っておこう、と鉄鍋を肩にかけ、とねりこ杖を右手に持つ。
もりもりと盛り上がったゆるい丘ふたつの間に、いくらか樹々がかたまり生えている。そこに水があるという気がして、ポトリーグは歩き始めた。
ひゅう……。
しゅう……。
「?」
吹きすさぶ風に、何か奇妙な別の音がまぎれた気がした。しかし振り返っても、ポトリーグの目に異様なものは見当たらない。
「気のせいか」
言って、ポトリーグは歩き出した。
かさかさ、枯れかけた浜ひいらぎの花が、白っぽい砂の上に青紫の点々を浮き出させている。
・ ・ ・
かさ、こそ……。
ポトリーグは林の中を歩いて行った。さほど背高くはないが、旧い樫の樹が多い。
黄土色の葉っぱはもうだいぶ落ちていて、ポトリーグの革ぞうりの下で落ち葉の厚みがふかふかと弾んだ。その中で時々、足裏にかたい感触がぶつかる。
――どんぐりは、食うのに手間がかかるんだよな~。
ずっと小さい頃だったが、当時ポトリーグが身を寄せていた山のふもとの親戚宅で、樫のどんぐりを食べた記憶があった。
常食としていたわけではなくて、からす麦の不出来が続いた時の代替手段だったのだが。水にさらして乾かして、炒って粉にひくのは、とてつもなく時間がかかる。
航海譚むきの食材ではない。ポトリーグはどんぐりを不採用とした。
――それよりも、水……。うん?
これだけ葉を落としているのにもかかわらず、樫の樹々はどれももっさりとして、林の中はうす暗い。
梢の上に、やどりぎが生えている。その数がやたらに多い、という気がした。
葉をなくして枝だけにやせた樫の樹が、丸くこんもりとした深緑の球をびっしりと身体にのせている様子は、何となく奇妙で不吉な光景である。
あたかも老いた古樹が、小さなやどりぎの群れにまとわりつかれて、その生気を吸いつくされているような。
冬仕様、骸骨のようになった樫は、あやつり人形の如くやどりぎの言いなりになってしまうのだろうか? ……まさか。
やどりぎそのものは、悪い木ではない。薬効のある、よいものだ。
しかしこれだけ盛大に集まっているのは、尋常でなし。何となく、うず雄にたかっていた蛇どもの群れを思い出して、ポトリーグは顔をしかめた。
その時。さらさらとした微かな音が、ポトリーグの耳に届く。
「あっ。小川じゃんか!」
樹々の間を走る、小さなせせらぎがそこにあった。どこかに湧き出た水が、流れを作っているらしい。
ポトリーグは水源を探す手間をかけず、樫の樹の間にかがんでその水を少しだけ、鍋に汲みかけた。
「ま、どっちみち沸かすしな!」
『……それを飲むのは、やめたほうがいいわよ』
ふっ、と汲む手を止める。ほたて殻を手にしたまま、ポトリーグはそっと周囲を見回した。
『この流れは、毒きのこの生えた土の上を通ってきたから。飲むならもう少し、さかのぼって泉でお飲み』
そら耳ではない。声は明らかに、ポトリーグに話しかけている!
「……どうもありがとう。あんたに、聖母さまの祝福を」
低く返して、ポトリーグはほたて殻の中の水を捨てた。
誰だろう、と思う。鳥の姿は全く見かけないし、森のけものか……虫だろうか。
「ここんちのひと?」
『ええ、そう。あなたは遠くから来たの?』
低めに落ち着いた、大人の女性の声だ。ポトリーグは警戒せずに、問うてみる。
「うん。南に向かって、旅してるとこなんだ。ここんち、何つう島?」
一瞬、妙な間があいた。
『……やどりぎ島、というのよ。樫の樹々の上に、たくさん生えているでしょう』
「そうかー。で、あんた今どこにいるの?」
声のするあたりに視線をむけつつ、ポトリーグは聞いてみた。
『……姿を見せるのは、ちょっと恥ずかしいから勘弁しておくれ。わたしは、≪なが虫≫なのよ』
「ながむし~??」
聞いたことがない。長い虫……と言うと、いも虫けむし、青虫のたぐいだろうかと思いかけ、ポトリーグは気づいた。
――そっか、みみずだ! そんなら土ん中から、出たくないよな~??




