62. ともに歌い、波に騎りゆく存在
いま、ポトリーグは改めて思う。
無我夢中でくぐり抜けてきた、あの火柱のたつトゥーレの≪氷の海≫……。あれはおそらく人間の住む世界の、最後の境界線だったのだ。
そういう境目の外側に、人がいないのは当たり前である。
うず雄とるる波、優しいあざらし達にめぐり会えたのは、本当に幸運だったけれど。
あまり長居してはならない、ここんち世界に邪魔しちゃいかん……と、ポトリーグは感じるのだ。
自分の【約束の地】を目指して探し当てたマラキと異なり、ポトリーグはブレンダン修道院長についていく専門の、ただの見習いなべ番なのだから。
たしかに修道院長は、【約束の地】をめざし航海に出る、と宣言した。
しかし、この≪黒き島々≫のことをブレンダン修道院長が意味していたとは、とても思えないのだ。
というのも、修道士の兄さん達の話していた【約束の地】は、普通の生活とは全くかけ離れたところ……だったよな? と、ポトリーグは記憶しているのである。
例えば厨房の煮炊きのわずらわしさや、掃除するべき厠などが一切ないところらしい。なくって全然かまわないところ、とにかく喜びと平和だけがあふれていて、天の御使いと直に話せるすてきな地、なのだそうだ。
お腹もすかないということだろうか? だとしたら実に都合がよろしい。
……が、今現在ポトリーグはしょっちゅう空腹を感じているし、だからこそうず雄たちのくれるものがおいしい。
夜になれば、疲れがたまって眠くなる。大小さまざまを出す必要もある。
緑色の空と海はじめ、見慣れぬ不思議なものに囲まれているのは確かだ。けれどポトリーグが今いるここんちは、修道士の兄さん達の話していた夢のような【約束の地】とは、ちがう。空腹と渇きと汚れ、不安と痛み、かなしみが依然としてある。つまりはこれまでを過ごした日常、それに連なるところなのだ。
ポトリーグは単に、航海の一団からはぐれて、道を外れてしまっただけ。ブレンダン修道院長を差し置いて、うっかり自分だけ【約束の地】に迷い込んでしまったとは、到底思えなかった。
『≪かいぎゅう島≫も、相当に大きいというから。アイレーと似たようなものかしらね? あと二・三日くらいで、そこへたどり着けると思うんだけど……』
るる波はそう言うが、姉あざらしにとってもそこは未知の海域だった。
ごくわずかに、るる波が語尾ににじませた不安を嗅ぎ取って、ポトリーグは息を吸い込む。
♪波に抱かれ 海を騎くあなた
つのめどりのおばさんに教えてもらった、先人マラキの歌を声にのせる。
『♪ろ~~ん』
『♪ろ~~ん』
と、うず雄とるる波がうなりで一緒にのってきた!
うわんうわんと響きながら流れてゆく風のような、あざらしの歌がポトリーグの歌にからまり、……やがてともに組み編まれて、海の上を進んでゆく。
「♪私はともにゆく 尊きあなたと――」
『♪ろ~~ん』
『♪ろ~~ん』
歌とともに一行は、ぐいぐい南へ進んでいった。
『気持ちいいわ!』
るる波が言う。とたん、ばしゃっと水面から散った滴が、きらきらと宙に明るく輝く。
『波と風と、歌が押してくれているみたいよ』
『ポトリーグ、歌うまいのんな?』
「えー、そうかぁ? 人呼んでおんち上王だぞ、俺」
『何なのんそれ……あざらし的には、十分うまいど? ねえ、るるちゃん』
『そうよー、力のある声よ。どんどん歌って、ポトリーグ』
「♪そうか~、♪ほんじゃあ~~」
あざらし姉弟の言葉に気を良くして、ポトリーグは再び声を張り上げた。
♪私はともにゆく 尊きあなたと
確かに、帆を膨らませる風が力強くなっている……? 気が、しないでもない。ポトリーグは笑顔だった。
――尊きあなたって誰。やっぱ神さまだったんかなぁ、あんたにとっては……? マラキ!
ポトリーグにとっての≪あなた≫は、うず雄とるる波である。
また歌を通して、自分の航海を押してくれる先人。マラキその人、とも思えた。




