47. ポトリーグ、曠野で熱唱する
そよそよ、さわさわ。
つのめどり達の島々を騒がせた、あの強い風と雨とは、もうずうっと遠くへ行ってしまった。
今ポトリーグのもしゃもしゃした黒い巻き毛と、毛織りの修道衣を揺らしているのは、ごく優しい風である。けれどそれなりに……冷たい。
低い木々の向こうに、曠野が広がっていた。なだらかな丘陵に、草々がたなびいている。
――秋、なんだもんなー……。
真冬でなかったとは言え、極北の地トゥーレを越えてきたばかりのポトリーグだ。そんなに冷えもこたえない。
けれどふと、ここんちの冬はどんなのだろう、と考える。
うず雄と会って以来見てきた≪黒き島々≫の一帯は、≪ひつじの島≫やトゥーレと比べたら、故郷ヒベルニアの気候にずっと近いという気がする。
ヒベルニア、古名エリン。
冬の国と呼ばれはしても、そこまでがちがち寒いところではないのだった。
ちなみにその名をつけたのは、かなり南のぬくい国から来た人々だったらしいから、まあ仕方がないのかもしれない。
雪が降ることはめったになくて、河や湖に氷が張ることも珍しい。冬季も生温かい小雨が降り続いて、野は枯れてしまわずに常に緑だった。
ただ、湿気のまとわりつきによって、人びとは冷える。重く垂れこめた濃明の灰色空の下、元気をなくす者が多かった。
だから自然と火のそばに皆が集まり、話と歌とでそこにささやかな夏の夢を咲かせようとする。そういう声の創り出す熱は、ヒベルニア人の胸に燃え、彼らの心を温めた。
炉のまわりでぼそぼそと、あるいは生き生きと語られる、たくさんの物語がある。
聞いたもの全部を憶えているわけはもちろんないのだが、誰にでもお気に入りの話というのはあった。やがて子ども達は大きくなれば、それらを自分でも語り始めるようになるのだ。
ポトリーグの場合は、かたき討ちの相手を探して西の海を冒険する王子の物語が、ちょっと好かった。
小さい頃に何度か聞いただけだから、詳細はぼんやりとしか憶えていない。それに話し手によっても、王子の行き先は全然違っていたような気もするが。
とにかく王子が海に騎り出しては、不思議な島々とそこの住民やけものに出会ってゆくのが、わくわくと面白かった。
俺の航海譚、とポトリーグがいちいち決めぜりふのように言っているのも、実はその物語に倣っているのである。
この有名な王子の物語の他にも、海上の冒険を語った話はヒベルニアにたくさんあるらしい。それらはざっくり一括りに、航海譚と呼ばれているのだ。
――そっかあ。俺の場合はいつか、自分のがち体験談を、そのまま人に話したっていいわけだよな? けっこう珍しい話だと思うしよー。
故郷に帰る時のことをちらりと想像して、ポトリーグはにやりと笑った。
――特に今日の、あの≪池島≫の井戸は……。おっかなかったよな~? 真に迫った怪談なんだから、絶対みんなに受けるぞ! むふふっ。
あんなに怖い思いをしたと言うのに、すでに克服してしまったのだろうか。≪池島≫の化け物体験を吸収・消化し、ポトリーグはすでに自前ねたにしようと企んでいる。さすが若い子、おそろしい!
「さーって、水場はどこだ。 ♪俺は、エリンの土地うまれぇ~~♪♪」
誰の耳もないのを良いことに、ポトリーグは気持ちよく歌い始めた。
本人は快く感じているが、故郷の人びとによれば、彼は相当のおんちである。
「♪きれぇなあの子をぅ~う。とりこにすんのさーーー♪」
調子にのりまくって、ポトリーグはがなり立てる。背の高い樹がほとんどなく、ぽつぽつと灌木の茂る野は、東側が濃いばら色に染まっているように見えた。
こういう広いところで思いっきり歌えることは、幸せの一環だ!
「♪持参金なんざ~~、いらねぇのよぉ~♪♪」
修道院では、とてもとても歌えなかった歌である。いつも作業中に鼻歌ですましていたが、今ここにポトリーグは大熱唱した!
何と言っても、彼の十八番なのだッ!
「♪俺ぁ十分、おっ金もちーーい!! って、水ねえなあッッ」
盛り上がったところから一転、急降下! 現実を前にポトリーグは、自分自身に冷静なる突っ込みを入れた。……と、その時である。
『ふふふ。おもしろい歌をうたうやつだな』
『こぶしについては、なかなかいいものがある』
くすくす、ひそひそ。面白がって、笑いを含めながら囁き合う声を耳にして、ポトリーグはおやっと思う。
――鳥かな。けもの? 草ん中に、野うさぎでもいるんかな!
期待をもって、ポトリーグはあたりを見回す。
ここんち一帯における自分の妙な力に、少年は慣れつつあった。人間以外の生きものと、ポトリーグは話すことができる!
今日はわけのわからない、怖いやつ……≪池島≫の紫おばけとも話してしまったが、まぁあれは例外と思うことにしよう。
いま聞こえてきた小さな声は、いかにものんきそうな会話だった。害のあるものの声ではない、とポトリーグは直感する。
「おばんでーす。どこにいるんかな?」




