44. 井戸の中の魔女
――ふ~~べ~~ん~~
どこからともなく、不気味な声がただよってきた。
「えっ、……誰だッ!!」
ポトリーグとるる波は、さっと後退する。
とねりこの杖をかかげ、鉄鍋かぶとの下から、ポトリーグはすばやく周辺を見回した。
しかし誰もいない……。
言葉を発してしかるべき人間の姿も、鳥あるいはけものの姿も……全く見えないのだ。その時、るる波がするどく言った。
『ああっ。ちょっとポトリーグ、あの石のすきまを見てッ!?』
井戸らしき石組み、その下の方から……何やら紫色の煙のようなもやもやが、静かにわき出ているではないか。
――ふべんなここから~ぬけだしたくて~~。しゃべくり声をたよりに、復活のいけにえ用を~、引き寄せたと言うのにぃ。
ポトリーグの耳に流れ込んでくるのは、しわがれ押しつぶされたような、老婆の声だった。背中ぞくぞく、鳥肌がたつッ!
――たぐりよせてみれば、人間でなし~。青くさい小僧がひとり、いるにはいるが~。とねりこなんぞ、持ちよって~。ぎいぃ、はしばみと樫なんぞも、持ちよってぇぇぇぇ!!!
両耳をふさぎたくなるような、おぞましく気色悪い恨みごとだ。
しかし、ねちねちとしたその自分勝手( っぽい)言いように、ポトリーグはかちーんと来てしまったのである。つい。
「邪魔して、悪かったなあッ!?」
とねりこ杖を、石組みの方へびしッと差し向けて、ポトリーグは言ってやった。
以前ポトリーグは身を寄せていた村で、陰険な年輩女性に口やかましく因縁をつけられ、困っていたことがある。言われてばっかりじゃたまんねえ、と時々はたんかで返していた。その方向の延長で、ポトリーグはこう続けたのである!
「けどよう? 俺の友達を変な力で引っかけて、ここんち来させたんは、あんたなんだろうが! こちとら急いでんだ、ブレンダン修道院長が待ってんだよッ。引き留められて、いい迷惑は俺らだっつうの!!」
――しゅうどういん、ちょおおお~!
おぞましい声が動揺にまみれて、さらに壮絶に気持ち悪くなった。
ぷしゅう~。石組みの隙間から盛大に紫の煙が噴き出して、井戸を包み隠してゆく!
――しゅううどおおお~! いんちょおーッッッ!!
『――あらッ。頭と体が……なんだか急に、やたら軽くなったわ!?』
はっとした様子で、るる波が言う。
『今なら、いつも通りに泳げそうよ! 行きましょう、ポトリーグっ』
「おう、るるっち!」
べたべたべたーッッ、全速力で這いゆくるる波とともに、ポトリーグは浜の小舟とうず雄の元へかけ下った。
――ぎいいいいーっっっ。おくれてやってきた、神どもめぇぇぇー……!
苦しみもだえるようなおぞましい声は、走るポトリーグと姉あざらしの後を追ってくる。
「うずっちぃー! うずっち、この島から脱出すんぞおー! 大丈夫かあっっ?」
走りながら、ポトリーグはうず雄に向けてどなった。
へんな気配は、確実に後ろについて来ている。しかし絶対に振り返ってはいけない、とポトリーグは本能的に直感していた。
あの井戸。
一見、人間の住んでいる痕跡のように取り繕ってあったが……。
その中深くにいるもの、この島に巣くっているのは、全くお目にかかりたくない性悪のなにかに間違いなかった!
うず雄も、妙な拘束から解き放たれていたらしい。
ポトリーグの到着とほぼ同時に、弟あざらしはするすると這い出し、小舟を綱で引っぱった。一行はすぐに波打ち際に到達する!
あざらし姉弟は躍り込むように身体を波打たせ、すばやく水中に身を沈めてゆく。
それに続いて、するするじゃぶんと海に入ってゆく小舟の中へ。ひょいっとポトリーグはとび乗った。
『全力で、沖へ出るのよーッッ』
きりっとした、姉あざらしの声が響く。
櫂を、と手に取りかけて振り向いたポトリーグの目に。もやーっっと紫色の煙が見えた!
そこから……手が!!
禍々しい紫色の筋ばった手が二つ浮き出て、ポトリーグにつかみかかろうとする。
――グロアクに、抱かれろぉぉぉ! お前ぇぇぇぇぇ!!
「しゃーらくせえ、んだよおおおッッッ」
気色悪すぎな声もろとも、ポトリーグは紫の手を、とねりこ杖で一閃した!
ぶんぶぶん、その勢いでむちゃくちゃにその周辺を振りさばく。
――ぎゃあああああ……とねりこぉ……
ポトリーグに向けられていた紫の手は、煙になって海上の空気にまぎれ立ち消えた。
『ポトリーグ、大丈夫うーっっ!?』
前から、うず雄がどなってよこす。弟あざらしの力強い泳ぎは、ものすごい速さで小舟を引っぱってゆく。
ぐいーん!
吹く風が、おぞましい魔の瘴気をなぎ払うようだ。
「大丈夫、だあーッッ」
ポトリーグもどなって、帆にとびついた。
「俺の航海譚・第六踏! 魔女ばばあから危機いっぱつ、で脱出ううう!」
『池島! 二度と来ないわよ、こんなとこーッッ』
姉あざらしも、ぷりぷり憤慨してどなっている!!




