41. 聖なる鍋の子、ポトリーグ
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小さなぼろ帆いっぱいに風をはらんで、黒い皮の小舟はかなりの速度で沖合を進んでゆく。
雨の行ってしまった後、湿気を多く含んだ冷涼な風に、ポトリーグはそばかす顔を赤くしながら柳枝に張った帆をあやつっていた。
今日はこのまま日没近くまで、かせげるだけのき距離をゆくつもりの一行である。
うず雄とるる波は、小舟の両脇をすべるように並泳していた。
一応うず雄の首には、舳先から長く出した縄の輪っかを通してあるのだが、この風ではあざらしの助けは要らないようだ。
時々海上に顔を出してポトリーグの様子を見ながら、姉と弟は水面近くをなめらかに泳いでゆくのである。
風向きと帆に集中しながらも、ポトリーグはこれから見るであろう≪黒き島々≫の果て、そして≪氷の海≫のことを考えていた。
また、昨日打ち負かした蛇たちについても、思いをめぐらす。
――俺ははじめ、蛇のあとを追っかけていけば。ここへ来るのに越えてきた≪氷の海≫へ、楽にたどり着けると思ってた……。
この考えはいかにも甘かったなー、と今ポトリーグは感じる。
蛇はとある島を拠点にしていると言われているが、必ずしも毎回そこへ帰還するわけではない。たぶん。
大小さまざまの個体で大きな群れをつくり、まとまって島々を転々としては、そこの生きものたちを襲っている。
すばやく海へ逃げ込んだ残党を追ったとしても、追いつめたその先がかれらの拠点……すなわち≪氷の海≫との境界である、という保証はないのだ。全く別の場所へ迷い込む危険だってあるだろう。
――だから近道うんぬんは考えないで、るるっちうずっちに従って地道に南を目指したほうが、ずっと確実なんだよなー。
また、あの超絶目立っていた大蛇。どう考えても、あれは群れの頭役だった。うず雄を襲った群れにあんな巨大な蛇はいなかったのだから、二つの群れは別の群れだった、と言うことになる。
果たして、蛇は総勢どれほどいるのだろう? 昨日の大蛇みたいなのがたくさんいて、各自それぞれが小蛇どもを引き連れているのだとしたら?
何だか人間の作る軍勢みてえだな、とポトリーグは思う。
兵士たちのまとまりを見たことはなかったが、異民族の戦士たちが多勢で農村を襲い、みな殺し略奪をおこなった……。そういう遠い所で起こった話を、故郷ヒベルニアで何度も聞かされている。子ども心に嫌な話、不吉で悲しい話としか感じられない。
もともと強いものが、まとめて来るというところからして腹が立った。一人で勝負に来るならまだしも、悪いものどうし寄り集まって、確実に弱いものを囲い締め上げるとは。
そういういじめっ子はどこの村にもいて、ポトリーグは囲まれしめ上げられる側だった。
身体が伸び始め、口がまわってたんかを切れるようになるまでは、耐えるしかなかったのである。
けれど今でも、いつまでも、その他大勢で組まなければ悪事をはたらけないふざけたやつらを、ポトリーグは心底きらっているのだった。
うねうねと集団でまとわりついてくる蛇に嫌悪感をおぼえ、やつらをぶん殴るこぶしに力がこもるのも、そのせいなのかもしれない。
ふんッ!
ポトリーグは鼻息をひとつ、あらーく噴き上げた。
ヒベルニア伝道の大聖人、≪聖ポドリーグ≫が追い出した蛇どもと言うのは、やはりここの蛇同様にいやらしいやつらだったのだろうか? それなら追い出して大正解だぞ、と思う。
――聖なる鍋の子、ポトリーグ!
つのめどりの、吟遊詩人のような声が頭をよぎった。
かれの言ったことは、限りなく真実に近い。
ポトリーグは鉄鍋でなぐったことで、あのばかでかい蛇を滅ぼすことができた……らしいのだから。
――しかし~、わかんねえな? この鍋って、何かすげえ力を持ってるんか~?
ちらり、と舟底の鍋を見やる。さわることで悪しき存在を滅ぼせるだなんて、聖遺物なみの威力ではないか。
いやしかし、これは全くふつうの鍋だ。
ポトリーグがそうとは知らずも、なべ番係としてブレンダン修道院長の航海一行に加えられた時。送り出す厨房料理長のおっさんが、予備用にこれ持ってけば? と何気なく取って持たせた……。正真正銘、ふつうのおなべである。世俗!!
――まあとにかく、大事にしとこう……。これがなきゃ、飲み食いできないわけだしなー。命の源って、ほんとだよ。
聖なる鍋の子、ポトリーグ。
――鍋聖人、ポトリーグ……って……。
つのめどりにもらった称号について考えるも、聖いのは鍋であって俺じゃないのかも、とポトリーグは首をひねりつつ帆をなおした。




