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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第五踏 ≪かたばみ四つ子島≫
38/55

38. 航海者、ブレンダン修道院長

「そのブレンダン修道院長が、北まわりの大航海に出るって決めたんだよなー! 【約束の地】ってとこをめざして!」



 同行者として選ばれたのは、若い修道士たち十二名である。


 遠方で学んで故郷にもどってきた、ヒベルニア出自の者が多かった。みんな優秀でほがらかで、しんどい船旅に文句を言わない兄さん達である。


 そんなよりぬき精鋭に、どうして見習いですらない自分が土壇場でつけ加えられたのかは、ポトリーグにとっていまだに謎のままだ。


 直前に体調を崩した者がいたわけでもないのに……。偉大なる修道院長もうっかり見落としていた、なにかの不都合があったのだろうか。……縁起かつぎとか? まさか。



『その、ブレンダンゆうひとは、どんなおじさんなのん? ひげ長い?』


「うん! ひげは黒いのが、もっさりしてんだ。けど頭は、つるつるだ!」


『あら。あざらし似なのね?』


「はっ……。ほんとだ、言われてみりゃそのまんまだな?」



 るる波の新たなる視点で気づいた。……似てる、かもしれない!


 しかしポトリーグは、ブレンダン修道院長をあまりよく知らない。修道院ではほとんど接点がなかったし、食事の給仕どきに、≪ありがとう≫と小さく声をかけられていたくらいだ。


 航海に連れて行かれてからは、その人なりを観察する機会は多くなった。けれどそうして知ったのは、修道院長がほとんどしゃべらない、ということである。



『え~。気むずかし屋の、こわいあざらしなのん?』


「あざらしじゃねえって、うずっち。それにブレンダン修道院長は怖いおっさんじゃなくって、聞く人・・・なんだよー」


『??』



 ブレンダン修道院長の周りにはいつも人がいて、何かを彼に話していた。それにふんふんとうなづき、首をかしげ、……ブレンダンはその人を見ている。


 たまに何かを低く言うが、他者の話を聞いている間のほうが、よっぽど長いのだ。しかし相手はそれで納得したり、満足したり、あるいはやる気を増していったりする。


 話している内容はポトリーグには難し過ぎて、さっぱりわからなかったが……。それでもブレンダン修道院長が、皆にむちゃくちゃ頼られている、ということはよくわかった。


 毎回の食事の際に、短く発される修道院長の祈りの言葉は低くて力強くて、お腹にたまった。


 不思議な人だなあ、と思い続けたものである。


 年の頃は五十まえらしい。ちょうどポトリーグの父親年代にあたるだろうか?


 だからってポトリーグは、ブレンダン修道院長をお父ちゃん視したことはなかったが。


 ない髪を剃ることはできないから、ぱっと見は修道衣を着たひょろ長のっぽのおじさん、である。


 しかし剛毛まゆとひげに包まれた、その穏やかな表情で、ブレンダン修道院長は周りにいる者を安心させていた。集団のゆるぎない核、信じてその旅路についてゆくことのできる賢い人、として。


 けれど、それだけ……なのである。


 約ひと月ともに旅をしたけれど、ポトリーグがブレンダン修道院長をそれ以上知ることは、とうとうなかった。



『へえー、そういうもん……』


『でもまあ、百頭以上の大きな群れのかしらともなると、そうなのかもね。ポトリーグは、じかに話したことなかったの?』


「ん-と。あ、一度だけあった」



 ヒベルニアをって、大陸西部に寄港した時のこと。


 北アルモリカ(※)の港町、アレートにて一行は皮舟カラハから大型帆船に乗り換える。


 八十二フィート(※※)はあろうか、と言うその巨大なウェネテース帆船を埠頭ふとうで目の当たりにした時、ポトリーグは素でびびった。次いで年齢相応に、はげしく興奮した。


≪すげっっ、すっっげえー!! まじでこんなのに、乗ってくんかよー!?≫


 様々な荷袋、木箱を積み込んでいる港のアルモリカ人の間で、ポトリーグは思わずぴょいんと跳ねた。


≪めっちゃ遠くまで、行けそうだな~!≫


≪そうだよ≫


 修道士兄さんのどれかが、あいづちを打ってくれた……。そう思って後ろを振り返ったら、修道院長がいたのである。


≪めざす【約束の地】までは遠いからね。まず北へ、そして西へ≫


 一瞬きょとんとしてしまったが。ブレンダン修道院長は、たしかにポトリーグにむけて、にこにこと笑っているのだ。その目がきらっと輝いて、船を越え海のほうへ向かう。


≪私たちは、必ずたどりつく≫


 ブレンダンが言ったのは、それだけだった。けれどポトリーグは妙にはっきり、その時の修道院長の声と言葉を憶えている。


 航海者のまなざしは、水平線を見据えていた。


 よくわからないが、ブレンダン修道院長はあの時、本当のこと・・・・・を言っていた。と、ポトリーグはそうとらえていた。本当のこと……確かにあること、未来にたしかにそうなるであろうこと。ゆるぎないこと。



「……私たちは必ずたどりつく。【約束の地】へ、って。修道院長はたしかに、そう言ってた」


『……』


『……』



 ぐおーん!!!


 遠くで、海鳴りが始まったらしい。



「嵐、来たなあ」


『そろそろ寝ましょうか。皆』


『うん』



 ポトリーグはゆっくり立ち上がると、洞窟の入り口に小舟カラハを立てかけた。


 自分のまわりに満ちた貴重な熱を逃がさないよう、夜の雨と嵐が吹き込んでこないように。しなやか頑丈な舟底で、外界とのあわいをさえぎった。


 たらを食べてたらふくになったポトリーグは、ぐでーんと横たわるうず雄とるる波のあいだにはさまって、眠った。


 乾いて表面のもさ・・毛のわかる巨大なあざらしの身体からは、ぬくぬくと熱が放出されるらしい。ほの温かった。


 毛織り修道衣の中にくるまって、ポトリーグは深くねむる。


 さっき話して思い出した昔の暮らし、ブレンダン修道院長と修道士の兄さん達にふたたび会えるのかどうか、……。


 油断すると心の中に忍び込んでくる不安を、ポトリーグは今日も遠くに追いやるために、あざらしのひげを軽くにぎる。うず雄かるる波か、暗くてどっちのかわからない。とにかくひげはひげである、ぎゅう。それで安心につつまれる。


 鍋とあざらし姉弟に守られて、怖いものなく少年は休息を得た。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


※アルモリカ:現在のフランス・ブルターニュ半島一帯。アレートは現サン・マロ市となっています。


※※約25メートル(注・作者)

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