33. 鍋聖人ポトリーグ
『えらいなんてもんじゃ、ないよ~~。君たち!』
あざらし姉弟のまねをして、ポトリーグが縦方向にもよんと震えた時。
うず雄・るる波のものではない、小さな声がポトリーグの耳に入ってきた。
顔を上げると、小舟のへりに小さな鳥がとまっている。
『しっかり見たよ。きみが蛇を、やっつけたのを!』
「……ちわっす!」
ポトリーグは笑って、その鳥に――黄色いくちばしが大きく目立つ、白黒くっきり羽毛を持ったつのめどりに話しかけた。
「あんたが注意してくれなかったら、俺らは大蛇に不意打ちくらってた。本当に、どうもありがとな」
みやこどりのことがあったから、ポトリーグはさほど驚かなかった。
『不思議だね。きみの言うことが、はっきりとわかるよ。つのめどりではないのにね?』
「うん。俺もふしぎなんだけど、なんかわかるんだな!」
はじめ、ポトリーグをぽかんと見ていたうず雄とるる波は、少年がつのめどりと話していることを理解して、またもやびっくりする。
『出たよ、ポトリーグの超・話術……! きゅんきゅん鳴いてるだけのつのめどりと、わかり合ってるのん……』
『し~~、うずちゃん!』
姉あざらしは四角い前脚にて、ぴとんと弟のおにくに軽い突っ込みをいれた。
『そのあざらし達は、きみの友達なのかい?』
「おう、そうなんだ。あんたはここんちに住んでんの?」
『いいや、ここにつのめどりはいないよ。あの西側の島ふたつに、皆かたまって住んでいるのさ』
つのめどりはそう言って、きゅるんと丸っこい頭を海の方へしゃくった。
『俺は見張り役なんだ。いまの蛇ども、おとついからこの島に流れ着いて、洞窟にこもっていたもんだからさ。夜の間を狙って、どこかの群巣地を襲うつもりなんだろうと、仲間と交代で監視していたんだ。そうしたら、君たちが来たんだよね』
「なるほど。蛇もそうやって、隠れ家をつくっとくもんなんだな?」
つのめどりの話を理解できないあざらし姉弟に、ポトリーグはあらましを話していく。
『ええっ、そうなの……? だったら近くに、やつらの残党が潜んでいたりはしないかしら』
『それはないよ、あざらし嬢さん。今の群れの残りは、もう別の島へ逃げちまうと思うしね。あるいは大きな頭役を欠いたから、ねぐらへ撤退するしかないだろうな』
ポトリーグ通訳を介したるる波の問いに、つのめどりはきゅんきゅんと小さな声で答えている。
『だから俺たちも、当分のあいだ安心できる。本当にありがとう』
「いいってことよ!」
『それで、蛇を倒したきみの……。その、黒い力のかたまりは、何なの?』
ふわん、ぱさっ。
かなり気を許したと見える。つのめどりは羽ばたいて、ポトリーグの足もと間近に着地した。
「あー、これ? 鍋っつうんだ。別に武器とかじゃねえんだけどぉ」
つられて、ポトリーグもひょいとかがむ。あいきょうのある鳥を、近くで見たかった。
そして手にした鍋を傾けて、内側に底……と見せてやる。
『なべ!』
「そう、鍋。俺ら人間は、食いもの飲むものこしらえるのに、こいつが必要なんだ」
『つまりきみの、生命の源なんじゃないか』
いきなり、つのめどりは深く刺さる言葉を発した。
軽やかに小さい声だが、そこにポトリーグは叡智の響きを聞く。吟遊詩人が持つ声の質ではあるまいか。
ヒベルニアの各地をめぐっては、遥か古の時代から伝わってきた物語の数々をうたい聞かせる人びと……。修道院に入る前、ポトリーグは何度か彼らが語るのを聞いたことがある。なぜかつのめどりの声が、吟遊詩人の不思議な語りの記憶にかさなって聞こえた。
わずかに心を押された衝撃、そこに一拍おいてからポトリーグはうなづいて答える。
「……そう、ともいえるな。考えたことなかったけど」
『だからなのかい。きみがそのなべで触れた蛇は、のきなみ滅びたね』
「えっ?」
『俺はさっき、後ろで見ていた。きみの手元と、そこに触れる蛇どもを、ずっと見ていたんだ。やつらは、きみになべで触れうたれて、死んでいった』
「……」
『なべに宿る聖なる力を使って、きみは悪しき蛇を滅ぼす。聖きなべの子、俺たちつのめどりに、きみの名を教えてくれるかい?』
ポトリーグは、依然として不思議な感覚にとらわれていた。自分を見上げてくる小さなつのめどりの、そのつぶらな黒い瞳は、優しく笑っている。
しかしその小さな小さな円の奥に、――大きなゆるぎないものが微笑しているような。あるいは、それに見守られているような気がしたのだ。
「……ポトリーグ」
『そうか。聖なるなべの子、聖ポトリーグ。きみのこと、俺は子ども達に語ってきかせるよ』
――聖???
つのめどりがはっきり言ったその言葉に、ポトリーグの心が揺さぶられる。
聖。聖なるもの、聖遺物。聖水に、聖泉。
聖きひと、聖人。聖母、そして……。
「俺、そんなたいそうなもんじゃねえ。ほんと、まぐれあたりなんだ……」
ポトリーグの胸の中に、畏れ多さと照れくささ、ほんの少しの誇らしさがせめぎ合って荒れ狂った。
シャナキールのほったて修道院に来る前、アルドファートと言う別の修道院で見た風景が頭をよぎる。
小さな礼拝堂の中には、夢みたいに美しい色とりどりの玻璃窓があった。おじい修道士がそこにえがかれた聖母様のことを、物語ってくれたっけ……。
聖人。聖なる人びと、はるか彼方の昔に生きた、偉い人たちの物語。
自分がそこに同列されるような存在でないことを、ポトリーグはよく知っていた。
ポトリーグはポトリーグ、厨房の人手不足を救うべく修道院に置かれた、ただの見習いなべ番。修道士でもない。
ヒベルニア伝道の聖人ポドリーグに名前をあやかっただけの、十四歳の少年である。しかも綴りが間違っているし!!
『そうだろうか? けれど、きみがこの≪かたばみ四つ子島≫の、全つのめどりを救ってくれたってことは、動かない事実じゃないのかい』
つのめどりは、おだやか軽やかに話し続けた。
『だからね……。お礼と言ってはなんだけど。きれいな泉と、魚のたくさんいる漁場と、いい匂いのする草の茂みを教えよう。……君は、木の実や果物を食べる種族なのかい? 聖ポトリーグ』
「たべるッ! 食べる、すんごい食べるッ。ぜひ教えてくれッッ」
ちょっとだけ崇高雰囲気にあてられていた鍋聖人は、こうしてまたたく間に、いつもの俗なるポトリーグに戻ったのである。




