24. あざらし姉弟の気づかい
浜に戻ると、るる波が小舟の横にいた。
『ポトリーグ! お手洗いに行ってたの? はまうり、食べた?』
「どっちも、うん。貝めっちゃうまかったー」
あざらしはどこで用を足すんかな、とポトリーグは原始の疑問を胸にいだいた。
いや、水陸両方に住めるのだから、どちらにおいても可能なのだろう。かく言うポトリーグだって、海上にて出すだけなら問題ないのだし。
『黒いちご? 初めてたべるわ、あまーい!』
ポトリーグはおみやげほたて殻を開け、るる波の口の中に小さな実を入れてやった。するどく並ぶ歯が、けっこう怖い。
「これもよう、教えてくれた声があるんだ。婆ちゃんみたいなしわがれ声」
『えっ、そうなの?』
「俺のこと、怖がってるっつうか……。どこかに隠れてて、姿もぜんぜん見えんかったけど」
『……? 変ね。ここの≪うみうし島≫にはお婆さんどころか、あざらしが住んでいるって話を聞いたことがないのに……。いるのは鳥だけのはずよ?』
「旅行中の、物見遊山あざらしでもいたんかな。……あ、うずっちだ」
べしゃべしゃべしゃ~。巨躯をくゆらせて、うず雄が波間から出てきた。
『うずちゃんてば、ごきげんね?』
『うふふ……。大っきなあなご、たべちゃった……』
うず雄のひげの隙間にも、ポトリーグは黒いちごを入れてやる。
『……? 自分も、別のあざらしとはすれ違わなかったのん。西っかわの岩場あたりにいた時、白かもめにうんこ狙撃されたけど』
「げえ」
『かわしたんでしょうね?』
『かわした。けどなんか、気が立ってる感じだったのん……。ひょっとしたら最近、蛇に襲われたのんかもね』
≪黒き島々≫の治安を、ことごとく脅かしている蛇どもである。ゆるすべからず。
ポトリーグが憤慨しているうちに日は沈んでいて、うず雄とるる波のひげもよく見えないほどに暗くなった。
「明日も夜明け出発か? るるっち」
『そうしてもいいんだけど、ちょっとこれから冷え込みそうよ』
あざらし海上予報はお天気のみならず、寒い温いの変化傾向も感知できるらしい。
『ポトリーグに、あんまり寒いのはこたえるでしょう? 暗いうちは舟もあやつりにくいだろうし。お日さまが昇りきって、明るくなってから出発したほうが無難だわ』
乾いた海藻を敷き詰めて、小舟天幕の下に寝床をこしらえるポトリーグにるる波は話した。
今日一日の行程を見ても、あざらし姉弟が予想したよりずっと早く、長い距離を越えてくることができたのだという。
この調子でいけば南端≪かいぎゅう島≫に到達し、≪黒き島々≫の域内を出るのもそう先ではない、と思われる。
――すげ、……よく見てんのな。るるっち……。
姉あざらしにうなづきながら、ポトリーグはちょっと驚いている。
確かに今朝、曙光の弱い時点で小舟を漕ぎ出したポトリーグは、視界のわるさに微妙にびびっていた。初心者として、暗い中での航海はなるべく避けたい。
言わずに引っ込めていたポトリーグの気持ちすら、るる波が察していたとは……。やはり、おひげでつかみ取ったのであろうか。あるいは、おにくで感知したのかもしれない。
『ちょっとの間を惜しむような、そういう急ぎ方をしなくても、ポトリーグの目指す場所にはたどり着けると思うのよ。それよりきちんと休んでから、海に出た方がいいかもしれないわ』
『んー、でもるるちゃん……。あんまりのんびりしてたら、ポトリーグの群れが別のところへ行っちゃうのんでは……』
もぐもぐ、と少々言いにくそうにうず雄が言った。ポトリーグが修道士たちに置いてきぼりにされるのを、心配しているのだ。
しかしポトリーグは、うず雄に頭を振って見せる。
「あー、それな。大丈夫なんだ、うずっち」
戻るのに時間をかけ過ぎて、修道士たちとすれ違いになる、という可能性は確かにある。
しかしその場合、彼らはポトリーグをただ≪置き去り≫にはしないはずなのだ。
自分たちがどれだけ待ってそこを発ったのか、これからどういう道にそってゆくのかを、何かの形でポトリーグに残してゆくだろう。そのくらいの短い文やしるしなら、ポトリーグにも読めるしわかる。
さらにポトリーグが希望をつないでいるのは、はぐれた地点がトゥーレからさほど離れていなかったことだ。沿岸部に、ゲール人の小さな入植地がいくつかある。
「ブレンダン修道院長たちに会えなくても。トゥーレの漁師にでも拾ってもらえりゃ、そこの辺りにかくまってもらえるはずなんだよ」
そこからはブレンダン修道院長が旅の途中で残してきた、縁に頼ればいい。すなわち各地の修道院である。
時間はかかるだろう、けれど最終的には故郷のヒベルニアへ帰還できるはずだった。
『そうかー。ほんじゃとにかくポトリーグは、≪黒き島々≫の先っちょを目指して……。≪氷の海≫の、ひばしら? がどっかんどっかんしている辺りまで、行けばいいのん』
『……おっかないところね。この世の果て、なんてお話の中で言われているのもうなづけるわ』
「あ~、でもよ、るるっち。俺と皆が氷の上に降りるまでは、そこ静かだったんだ。年がら年じゅう、火ぃ噴いて空が崩れて海が割れてる、っつうことはないんだよ。たぶん」
海藻でがさごそした寝床をつくったポトリーグは、裏返した小舟天幕の中に入った。
脇にのびているあざらし姉弟に、ますます気を許している。人間ではないのに、ここまでポトリーグを思いやってくれるふたりの気遣いが、胸に温かかった。
もう、周りは真っ暗だ。ずうっと向こう、海のほうだけがわずかに明るいのは、沈み切ったはずの夕陽の残照だろうか。
あるいは……星明り。
ごそ、もそーッッ!!
『いきなりどうしたの、ポトリーグ!?』
『かにに、おしりかまれたのん?』
小舟の脇にぐでんと横たわり、ほぼ寝るところだったあざらし姉弟は、仰天して言った。
それこそ岩の間から食らいついてくるうつぼみたいに、小舟の中からポトリーグがとび出して来たのである!
「星……星だッッ!」




