23. はまぐり潮汁の後はフレッシュ黒いちご
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「ほんじゃあ俺、るるっちの≪はまうり≫煮て食うし。皆は海ん中で、ゆっくり漁して食ってきてな~」
『うん』
『じゃあ、また後でね。ポトリーグ!』
漁および水中でのお食事に向かう、るる波とうず雄のあざらし姉弟を、波打ち際に見送った後。
引っくり返した皮の小舟の傍らで海藻を燃やし、ポトリーグは砂抜きしておいた貝を煮てみる。
生がわきの海藻からは、ぶすぶすとくすぶった煙が出た。厨房の中ならどやされるだろうが、今は別に平気である。大空の真下にいるのだもの。
さらに火通りのよい貝を、少量の水で煮るのである。さほど労力も時間も使わず、ぱっかり口を開けた二枚貝をポトリーグは前にした。
「ほ~? でっかい、あさりみたいなもんか」
少し冷ました白い身を、はふっと口に入れて、ポトリーグはおおうと目を丸くした。
期待したよりずっと淡白な味わいであるが、潮の香りが実に上品に香る。ほたて貝と比べ、身の部分が大きかった。
さらっと煮たのが良かったのか、歯に肉がやわらかく当たる。時間をかけて咀嚼してから、ポトリーグは飲みこんだ。殻で汁をすくって飲むと、これまた軽く塩味のきいた素敵な飲み口だ。
――いいぞ~!! 上等のブイヨンだ!
シャナキール修道院は海にもほど近かったが、ポトリーグがそれまで人生大部分を過ごした親戚の各家は、内陸にあった。魚よりも豚肉に慣れていたポトリーグである。
航海に出る一団に加えられて以来、はじめて海のものを中心に食べるようになっていた。新しい食生活は、少年にとって世界の一角の知り始めでもあったのだ。
とりあえず~、の基本調理法だけを伝えてくれていた料理長と、航海めし係担当の修道士に、感謝をしなければならぬ。
そしてヒベルニア出立後、各地の人びとに魚を食べさせてもらえたのも大きかった。いまやポトリーグは、何でも食べてみる気になれるのである!
めずらしくっても、見たことがなくっても。見た目が少々怖くても、どんと来い!
ポトリーグは大きな≪はまうり≫四つを食べつくして、汁もたっぷり味わったが、鍋底に少々煮汁が残った。
これは冷めてもうまいものだろうか。明朝、出立の前に水の代わりに飲んでもいいな、とポトリーグは思う。
前の島で採ってきた、金のりんごをしゃくしゃくかじって、うず雄とるる波の帰りを待った。
――けむったい、と思ったら!
――何だろうねぇ。変なやつだ、なにしてんのだろう。
どこかから、老女のようなしわがれ声が流れてきた。あれ、と思ってポトリーグは見まわすが、打ち寄せるさざ波以外に動くものは何もない。
――遠いところの生きものだろうか? ひょろんと長いが、毛があるし……。うねうねしていないから、蛇ではないね。
――ああ、さっきりんご食べとったもの。海の生きものではなさそうだ。
――今、とねりこの周りに黒いちごが熟れているから、それをついばみに来たのと違うかな?
――ううん。鳥にゃあ見えないがなあ……。まあいいか、蛇でなし。こないだ来てさんざん荒らしたんだ、しばらくは来ないだろうよ。……
老婆のようなしわがれ声の会話は、そこでふつりと止んだ。
ポトリーグは、どこぞの岩陰に婆あざらしが隠れて自分を見ているのだろうか、と思う。しかしそれっきり声は聞こえず、また水音もしないのである。
――おっかしいな。けどまぁ、ひとん家に邪魔してんのは俺だし。うさんくさく見られるのは、仕方ねえのかも。見えねぇおばはん達に、聖母さまの祝福を~。
心の中で、ポトリーグはしわがれ声の持ち主たちに祝福を送る。
と言うのも、いいことを聞かせてもらったからだ。
――とねりこの周りに……。黒いちごか、ひひひ!!
りんごのあみ袋と汁の入った鉄鍋を小舟天幕の中に入れ、くすぶり続ける海藻焚き火に石をかぶせて、ポトリーグはこんもりと茂る林の方へ歩いて行った。
この島についてすぐに、その樹の存在に気づいていたのだ。他の樹々から突き出たのっぽの木は、見間違えるはずもない。とねりこの大樹が、そう遠くないところに生えていたのである。
暮れては来たが、まだまだ明るい。しかし極力音をたてないしのび足にて、ポトリーグはさかさか樹々の間を抜けていった。
「おっ! ほんとだ、やぶがあらぁ」
もっさりとしたとねりこ大樹の南側に、黒いちごと野ばらの入り混じる茨やぶがあった。そこまでたくさんの実はない。おおかたは鳥やけものに食べつくされたか。それでも名残のように枝先についている、黒いつやつやした果実を、次々にとってポトリーグは食べた。あまい! うまい!
ポトリーグは、うず雄たちの大おばにもらったほたて殻を持っていた。ふくらんだ方に黒いちごを採って入れ、平べったいのをふたに合わせて、手首に巻いている麻ひもをくくりつけて閉める。それを修道衣のかくしにしまった時だ。
ばさっっっ!!!
大きな音に驚いて、ポトリーグは振り返る。びっくりした……ただの落枝だ。
「……とねりこの枝かあ」
とくに風も吹いていないのに、大きな枝が落ちたものだ。
ポトリーグは、古樹の落とし物を拾い上げた。しなやかにして、軽い。緑の葉がまだ生き生きとしている。
「おっ……」
古樹の枝の中に、なじみのある形がくっきり浮かび上がった。その使い道を思案して、ポトリーグの心が小さく躍る。
再びとねりこの梢を見上げてから、……ポトリーグは歩き出した。
ずるずる、ずるる……。さほど重くもない、その枝を引きずりつつ。




