21. るる姉ちゃん、ぎくり
なだらかな緑の海原を、南へ。
うず雄に引かれて、小舟は沖へ出る。しばらく後にポトリーグは、風が出てきたのに気づいた。
「うずっちー! 追い風だし、帆ぉ張ってみるぞう」
『ほ~~??』
しなやかな柳の枝を舟底から引き出して立て、しばらく使っていなかったぼろい帆布を、いっぱいに上げる。
そこにふあんと当たった風に押し出されて、小舟は速度をあげた。
「ひゃっはー! いい感じだあっ」
航海も人生も、ポトリーグはいまだ初心者だ。追い風に帆をあてる、目的の方向にむかって櫂をこぐ。それしかまだ知らないでいるけれど、とりあえず基本の帆の操り方は、修道士たちの見よう見真似をおぼえていた。
『あれーえ? なんか急に、軽くなったど』
「引っぱんなくても進んでるんだ。楽してくれ、うずっちー」
『すごーい、ポトリーグ! 風みたいに進んでるわよー?』
南東よりの風は時折りぶれつつも、ポトリーグの小舟を運んで行く。
左右にいくつもの島々を過ぎ越した。ほとんどは岩が頭を出しているだけの巌だったりするが、あざらしにとってはそれらも立派な≪島≫であるらしい。
上にのっかって身体を横たえ、束の間の休息を取ることのできる場所であるならば、それすなわち島なのだ。
「あざらしって、すげえよなー。海ん中でも、陸の上でも暮らせるって。まじでいけてるよな?」
この数日、あざらしたちに餌付けされ……ごほん、じゃなかった。
心優しき友たちの贈り物、あまりに美味なる海の食べもので養われていたポトリーグは、あざらし達の海の暮らしにすっかり魅了されている。
『ポトリーグは、水の中に入れないのよね』
「一応、ちょびっと泳げんだぜ。けど皆みたいに速くなんて無理だし、第一ほんの少ししかもぐってらんねえんだー。息がつまっちまうから」
少し凪ぎかけてきただろうか? 帆の膨らみがわずかにしぼむ。そこですかさず、うず雄が舳先につないだ綱を引っぱり始める。小舟は速度を落とさない。
『ふふふ。自分らはなー、ポトリーグ。魚とはちがうんよ。やっぱし時々は水の上に出て、息しないといけないのん』
「え、そうなの?」
『そうよ。でもおさかな追っかけて、捕まえてたべてー、を何度か繰り返すくらいには潜っていられるわ。それにこのうずちゃんは、わたしたち家族の中でも、一番長く潜っていられるんだから!』
「へえーっ。……でもまさか、海ん中で寝ないよなあ?」
『寝るど?』
『寝るわよ~?』
ポトリーグは、後ろへこいだ櫂とともに、ずりっと舟べりでこけそうになる。
「な、何だとおー!? おぼれねえのかよ、それーッッ」
『自分はないのん。るるちゃんは?』
『ないわ。誰だっけ~、それで亡くなったおじいさんが、何代か前にいたって。大おばさんが前に言ってたかしら』
うず雄もるる波ものどかに言うが、ポトリーグは混乱した。寝たまま溺死? あざらしが!
「待てよ、ほんじゃ俺はこれから先! うずっちるるっちがなかなか浜に上がってこないっつう時、めっちゃ心配になるじゃんか!?」
『あはは、大丈夫よ! ポトリーグってぱ。死んじゃう前に、ふがっと鼻の奥に水が入って激いたくなるから、それで気がつくもの。ふがほご慌てて、海面に上がって来れるわ!』
『何なのん、その現実っぽい詳しさ……』
「やっぱ経験あるんじゃねえのか、るるっちぃー!」
『ぎくり。 ……あっ、そろそろ≪あめふらし島≫の横を通るわよ~』
言いつくろうように、るる波は大げさにくいっと頭を振ってみせた。
ポトリーグがその方向を見やると、もりもりっと三段こぶになったような島影が、小さく薄く水平線の彼方に見える。
『もう、≪あめふらし島≫かあ……。ずいぶんと早く、遠くまで来れたのん』
『本当ね、うずちゃん! なんだかポトリーグの舟が、引っぱってくれたみたいだわ』
「いや、引っぱってんのはうずっちだろ~」
言いつつポトリーグは、思いをめぐらせる。
ほんの二日前だ。自分がうず雄の住む島にたどりつく直前の航海では、右も左もわからず、ただ風に運ばれていた。
ブレンダン修道院長たちとはぐれてしまって、火の柱のどかどかどっかんに気を失ってから、起きたあと。
自分がこの距離を、逆向きに越えてきたというのが信じられなかった。後からだいぶ強い風をはらんで、最後に帆は押しまくられるようだったが。
――こんな長い距離を、あんだけの時間で……? おかしい。やっぱ、とんでもおかしいよな?
先ほどりんごの実から思いあたった、季節の違いもそうだが。この行きの航海で、自分はいったい何を越えてきちまったのだろう、とポトリーグはいぶかしむ。わからないこと、謎はそのまま不安になる。
――やめよ。今はうずっちるるっちが、一緒にいてくれてんだし。
そういう不安を無理やりもぎ捨てて、ポトリーグは櫂をこいだ。……あざらし姉弟に、べつの話を振ってみよう。




