20. ポトリーグ、聖人の蛇追放を語る
『……そのやぎは。蛇どもの犠牲者だわ!』
ずるッ!
ポトリーグは、砂の上に座り直した。るる波の目が、厳しく少年を見つめている。
「どうして山羊が、蛇にやられたってわかるんだ? るるっち」
『蛇どもは、しめ殺した動物たちの肉をたべる前に、まず長いこと食らいついて血を飲むと言うわ。だから、いざ毛皮を裂いて肉やはらわたにとりかかる頃には、けものの血があんまり周りに飛び散ることはないの。ポトリーグが見た雄やぎは、毛皮の白いのがほとんど汚れていなかったのよね?』
「そうなんか……!」
るる波はやわらかい言葉を使っているが、語る内容そのものは恐ろしい。
そう言えば狼に殺された羊は、食い荒らされてそこらじゅうが赤黒かったっけ……と、ポトリーグは過去の記憶を確かめる。
「言われてみると、確かにるるっちの言う通りだ。そいじゃあ、あんまり日を置かないうちに、ここんち島に蛇どもが来てたっつうことだな!?」
『もしかしたら。自分を食べるつもりだった、あの群れが……。ポトリーグに追っ払われてここに寄って、自分のかわりにやぎ食べたのんかも……』
うず雄も低く言い添えた。
『だとしたら。自分ら、そいつらの後を追っかけてることになるのん?』
「ああ。だからこのまんま、南に向かってこうぜ。方向は合ってるってことだもんな! とりあえず」
『まあね。けど万が一蛇どもと鉢合わせしたとしても、やっつけてやるとか考えちゃだめよ? 道しるべに利用するってだけなんだからね、ポトリーグ』
「うーん」
ポトリーグは唇をとがらせた。
『なによ。不満なの?』
「……できれば、よう。帰るついでに退治できたらって思うんだ。ここんち一帯のみんな、蛇のやつらにいじめられて、すげえ大迷惑してんだろ? あざらしも、山羊も」
『うん。他の生きものと話すことってできないし、詳しい事情まではよくわかんないのん。けど夏の間、ずうっとおびえて暮らすのはしんどい』
『それにわたし達は海の中じゃ自由自在だし、やつらより上手だからいいわよ。けれど陸に住んでいるけものは、逃げ場がないから気の毒だわ』
「だよなー。……あのさ、実は俺の元々住んでたとこって。蛇がいねえんだよ」
『えっ?』
『そうなのん?』
「うん。こんな、みみずくらいの小っせえやつが、たまーに出るだけ」
ポトリーグは胸の前で両手のひとさし指を並行に立て、ささやかな長さをあざらし姉弟に示してみせた。
「大昔はたんまりいたんだけど、全部まとめて追い出した人がいるんだ」
『すごい! どうやったのかしら!?』
「聖ポドリーグ様、っつってー。俺らのヒベルニアに神さまの言葉を伝えた、超絶えらーい人がいたんだ。その人が、あんまり邪悪で調子こいてばっかしだった蛇に、てめえらこの島から出ていきやがれ、と引導わたしたんだよ。だから蛇どもは、すごすご海の向こうに退散したっつう話。もう百年くらい、昔のことな」
『へえー……! 蛇にまとめて、退去命令を出したなんて。すごい人間ね?』
『ポトリーグと、名まえ似てない? そのひと』
「うん、うずっち。実は俺は、その聖ポドリーグ様にあやかって名づけられたんだ。母ちゃんが間違えたから、ポトリーグになっちまったが」
つづりは少々……大幅に間違ってはいるものの、何となく聖人の威光が名前を通して、蛇から自分を守ってくれたような気がしたのである。だからこそあのいやらしい生きものは、引き波のように離れていったのではないか、とポトリーグは考えていた。
「でもよう。修道院に入ったばっかしの、見習いなべ番の俺には、聖ポドリーグ様なみの力はないんだよなー。あったら、うずっち達やみんなのために、蛇のやつら追い出してやりたいんだけどよう」
もふふん、とひげを揺らしてるる波が笑う。
『あなたは本当に、いいやつなのねえ。でも今は、元いた群れに無事に戻るのが最優先よ! ポトリーグ』
姉あざらしは前脚を上げて、ぴとんとポトリーグの腕にふれた。真っ黒いつめの生えた指先がそろっていて、四角い。
「うん」
『さあ、そろそろ行きましょうか……。この陽気なら日暮れまでに、だいぶ距離をかせげそうよ!』
るる波に朗らかに促され、一行はふたたび海へと騎り出す。
両手でぐいーっと小舟を押し出しながら、ポトリーグは気合をこめて言った。
「俺の航海譚、第三踏。 ≪金のりんごと山羊の島≫、ばーいっっ」
※本作品においてはゲール語からの表記を基本としていますが、【ポドリーグ】は現アイルランドの守護聖人、聖パトリックのことです。(作者)




