15. 過去に見守られて、出立
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夢の中で、ポトリーグは春の夕陽を見ていた。
陰鬱に湿った冬が明ける時。それは雨の後、空いっぱいに広がる泣き笑いの虹によく似ている……。そんな風に、ぼんやり思っていた頃の自分にもどっていた。修道院を、まだ知らなかったころ。
どこかの集落の村はずれ、さびれた農地と曠野のあいまだ。自分の目の前、あたらしく盛った土の上に、やわらかい陽光が落ちているのをポトリーグは見ていた。
この小さな塚の中に眠る人のことを思い出そうとして、はて誰だっけとポトリーグは混乱する。
何もおぼえていない母だったか。いや、色々なものの編み方を教えてくれた、祖父かもしれない。
ポトリーグから離れて、遠いところへ行ってしまった、血のつながりのある誰か……。
だれの墓?
『誰のでも、ある』
低く言われて、ポトリーグは自分の右脇を見た。
まっ白い長い髪をざんざんばらばら、肩に広げた大おばが笑っている。
そうだった……たった今、葬列が終わって土の中へかえっていったひと。
「おばちゃん」
『そうしてわたし達は、どこにでもいる。おまえの中に在りもするし、遠く離れてもいる。おまえがどれだけ遠くへゆこうとも、そこでおまえが幸せになることを願っているよ。ポトリーグ』
さわさわさわ。大おばの白い髪が広がって……どんどん、かさを増してゆく。
ポトリーグの目の前で、大おばは真っ白い花を輝かせる樹になった。
『進むんだよ、ポトリーグ。進んだ先で、精いっぱい幸せにおなり』
うん、……。りんごの古樹にむかって、ポトリーグはうなづく。
陽光に照らされた、白い花びらのかたまりが膨らんでいって、無とまざりあう。
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『……グ。ポトリーグ』
ひやり、と薄らつめたい寒気を頬のあたりに感じて、ポトリーグはぶるりと震えた。
『夜明けが来たわよ。行きましょう、起きてポトリーグ』
小舟をちょいと持ち上げたすきまから、むいむいとるる波が鼻づらを押しつけているらしい。
「もがあ」
ポトリーグはうなってから、るる波のひげを握る。
それで観念して、もぞもぞと起きた。
確かに、ほのかな曙光がほころび始めてはいる。しかし、ぬったりとした闇はいまだ浜に貼りついていた。
降り注いだ雨を含んで濡れそぼった世界が、ポトリーグにはまっ黒い海の延長のように見える。
それでも、ポトリーグはうだうだ言ったりはしない。
行くと決めたところがあり、進むべき道としての海がそこにあるのだから。
「うおおおっし、行こうッ」
ポトリーグは小舟をかつぎ上げ、櫂をついて波打ち際へ歩いてゆく。
ねぐせ? そんなもの気にしない、元々がもしゃついた黒い巻き毛だもの。
うねうねうね、その脇をうず雄とるる波、姉弟の大おば・老あざらしが這っていく。
『大きめの波が来るとき、それが引くのに乗っていくの。……今よー!!』
じゃっぶぅーん、ポトリーグは思いっきり押し出した小舟にとびのった。
ものすごい速さで、海が皮の小舟を引き寄せる!
――俺を、どこへ連れてく気だあッ。海!!!
怖くない、と言ったら噓になる。
けれどブレンダン修道院長に率いられて海に出た時と同じく、ポトリーグには連れがいた。
『さあ。南へ、行くわよ!』
『引っぱるどー、ポトリーグ』
「おうッ」
ずっと前をゆくるる波、そして小舟につないだ綱の端を引くうず雄の頭が、ちらちら輝く東からの朝日に輝き始めた。
「おばちゃん。達者でなーあ!」
『気をつけておゆき! ポトリーグやー』
見送る大おばの声が、ぐーんと後ろに去って行った。
ポトリーグは心の中で、老あざらしに祝福を送る。しかし振り向かない。
両手に櫂を握り、うおらあ! と重い水をかき分けて、小さな黒い皮の小舟で大海原へと騎り出していった。
ゆっくりと、しかし確実に夜が明けてゆく。
金の光が照らし出す空は、きょうも緑色だった。




