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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第二踏 ≪ひげあざらし島≫
15/54

15. 過去に見守られて、出立

 ・ ・ ・ ・ ・



 夢の中で、ポトリーグは春の夕陽を見ていた。


 陰鬱に湿った冬が明ける時。それは雨の後、空いっぱいに広がる泣き笑いの虹によく似ている……。そんな風に、ぼんやり思っていた頃の自分にもどっていた。修道院を、まだ知らなかったころ。


 どこかの集落の村はずれ、さびれた農地と曠野あらののあいまだ。自分の目の前、あたらしく盛った土の上に、やわらかい陽光が落ちているのをポトリーグは見ていた。


 この小さな塚の中に眠る人のことを思い出そうとして、はて誰だっけとポトリーグは混乱する。


 何もおぼえていない母だったか。いや、色々なものの編み方を教えてくれた、祖父かもしれない。


 ポトリーグから離れて、遠いところへ行ってしまった、血のつながりのある誰か……。


 だれの墓?



『誰のでも、ある』



 低く言われて、ポトリーグは自分の右脇を見た。


 まっ白い長い髪をざんざんばらばら、肩に広げた大おばが笑っている。


 そうだった……たった今、葬列が終わって土の中へかえっていったひと。



「おばちゃん」


『そうしてわたし達は、どこにでもいる。おまえの中に在りもするし、遠く離れてもいる。おまえがどれだけ遠くへゆこうとも、そこでおまえが幸せになることを願っているよ。ポトリーグ』



 さわさわさわ。大おばの白い髪が広がって……どんどん、かさを増してゆく。


 ポトリーグの目の前で、大おばは真っ白い花を輝かせる樹になった。



『進むんだよ、ポトリーグ。進んだ先で、精いっぱい幸せにおなり』



 うん、……。りんごの古樹にむかって、ポトリーグはうなづく。


 陽光に照らされた、白い花びらのかたまりが膨らんでいって、無とまざりあう。



 ・ ・ ・ ・ ・



『……グ。ポトリーグ』



 ひやり、と薄らつめたい寒気を頬のあたりに感じて、ポトリーグはぶるりと震えた。



『夜明けが来たわよ。行きましょう、起きてポトリーグ』



 小舟カラハをちょいと持ち上げたすきまから、むいむいとるるとんが鼻づらを押しつけているらしい。



「もがあ」



 ポトリーグはうなってから、るる波のひげを握る。


 それで観念して、もぞもぞと起きた。


 確かに、ほのかな曙光がほころび始めてはいる。しかし、ぬったりとした闇はいまだ浜に貼りついていた。


 降り注いだ雨を含んで濡れそぼった世界が、ポトリーグにはまっ黒い海の延長のように見える。


 それでも、ポトリーグはうだうだ言ったりはしない。


 行くと決めたところがあり、進むべき道としての海がそこにあるのだから。



「うおおおっし、行こうッ」



 ポトリーグは小舟カラハをかつぎ上げ、かいをついて波打ち際へ歩いてゆく。


 ねぐせ? そんなもの気にしない、元々がもしゃついた黒い巻き毛だもの。


 うねうねうね、その脇をうずとるるとん、姉弟の大おば・老あざらしが這っていく。



『大きめの波が来るとき、それが引くのに乗っていくの。……今よー!!』



 じゃっぶぅーん、ポトリーグは思いっきり押し出した小舟にとびのった。


 ものすごい速さで、海が皮の小舟を引き寄せる!



――俺を、どこへ連れてく気だあッ。海!!!



 怖くない、と言ったら噓になる。


 けれどブレンダン修道院長に率いられて海に出た時と同じく、ポトリーグには連れがいた。



『さあ。南へ、行くわよ!』


『引っぱるどー、ポトリーグ』


「おうッ」



 ずっと前をゆくるる波、そして小舟につないだ綱の端を引くうず雄の頭が、ちらちら輝く東からの朝日に輝き始めた。



「おばちゃん。達者でなーあ!」


『気をつけておゆき! ポトリーグやー』



 見送る大おばの声が、ぐーんと後ろに去って行った。


 ポトリーグは心の中で、老あざらしに祝福を送る。しかし振り向かない。


 両手にかいを握り、うおらあ! と重い水をかき分けて、小さな黒い皮の小舟カラハで大海原へとり出していった。


 ゆっくりと、しかし確実に夜が明けてゆく。


 金の光が照らし出す空は、きょうも緑色だった。



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