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世界一の大富豪が私たちの味方です!  作者: Project_FLORIA
【シラージュ編】

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59/60

【シラージュ編】第10話

***


Kのプライベートジェットの機内。


ニューヨークから東京への、長いフライトの最中だった。


Kはいつもの座席に座っていた。


普段の搭乗中には、備え付けの世界最高級スペックのPCで作業するか、あるいは秘書の報告を聞いて指示することが多い。


しかし今日は特に作業はしていなかった。


そして横の席には、革張りの専用ケースが置かれていた。


シートベルトで座席に厳重に固定されている。


中には4本の香水が、一つずつ専用のクッションに収められていた。


Kはその箱を、一定の間隔でちらりと確認していた。


機体が揺れた時。

通路を秘書が通った時。

ふと思い出した時。


(大丈夫か)

(壊れていないか)

(温度は適切か)


世界中の誰が見ても、それは世界経済を動かす男の姿には見えなかった。


新しいおもちゃを買ってもらった子供が、帰りの車の移動中に何度もそれを確認するような、そういう確認の仕方だった。


アンナはKの斜め前の座席で、タブレットに目を落としていた。


しかしKの動きを視界の端でしっかりと捉えていた。


そしてふと、数日前のことを思い出していた。


***


——数日前。

KFG本社ビル最上階、Kの執務室。


香水の開発が大詰めを迎えていた頃。


Kは執務室で書類を眺めながら、何気なくアンナに聞いた。


「アンナ」


「はい」


「今売られてる高い香水は、いくらぐらいなんだ」


「市場の最上位ラインですと、ボトル込みで100万円前後のものが各メゾンの最高峰として展開されています」


「そうか」


Kは軽く頷いた。


そして、ペンを走らせる手を止めずにあっさりと言った。


「4人のは、その20倍くらいにしておけ」


「……」


「2,000万円程度でいいだろう。ボトルだけでな」


「……ボトルだけで、ですか」


「ああ。売らないから中身は値が付くわけではない。しかし世界最高の香水に見合う器でなくてはな」


Kは当たり前のように言った。


通常のハイブランドのフラッグシップでも、ボトルそのものに2,000万円かけるなど、業界の歴史を遡っても極めて稀な事例だ。


それを4本。


合計で1億円近くが、ボトルだけで動く計算になる。


しかもそれらも販売されない。


FLORIAの4人だけのための、世界に4本しかない器だ。


回収などできない。


「……かしこまりました」


アンナは執務室を出ると、すぐにシラージュ・プロジェクトのチームに連絡を入れた。


「ボトル1本の予算を、当初予定の20倍に引き上げてください」


電話の向こうで、担当者が絶句する音が聞こえた。


「……20倍、ですか?」


「20倍です。そこから逆算して、ボトル制作の最高峰の職人たちと宝飾デザイナーをアサインしてください。期限は変わりません」


「あ、あの、アンナさん——」


「会長のご希望です」


その一言で、全ての会話は終わった。


***


アンナはその時のことを思い出しながら、機内の窓の外を見た。


太平洋の上空。


雲がずっと続いている。


(……お金をあげればいい、ということではないのは会長もご理解されている)


この男がその気になれば、2,000万と言わず1億でも10億でもポンと渡すことなど容易い。


しかしKは4人に直接現金を渡すような無粋なことはしない。


そんなことをしても4人は喜ばない、それどころか傷つくことは、Kでも知っている。


だから4人のためにかけられるところには、躊躇なく金額をかける。


それがKの愛情表現だった。


ボトルの数千万円も、世界最高峰の調香師の動員も、3社合同のブランド設立も、全てその表現の一部だ。


(好きな子の前ではこんな不器用だったんですね)


アンナは視線をKに戻した。


Kはまた、香水のケースを確認していた。


確認しては目を逸らし、また確認する。


長いフライトの間にKがその箱に視線を向けた回数を、アンナは数えるのを諦めていた。


***


東京。


KFG日本支部、東京本社。


港区の一等地に聳える、漆黒のタワー。


東京タワーから程近い場所に建つそのビルは、夜になると対照的な対比を見せる。


赤と白のレースを纏う伝統の象徴。

夜空に溶け込むほどに黒い、現代の覇者。

二つの塔が並び立つ景色は、東京の新しい顔として近年観光ガイドにも載るようになっていた。


今日は、ついにFLORIAを乗せたリムジンが、このビルの裏手の専用入口に滑り込んだ。


「ここが……KFG東京本社……!」


ミジュが車内で身を乗り出した。


「もちろん近くで外から見たことはあったけど……」


「私たち、本当に入れるの?」


サラも興奮を隠せない。

ソユンは窓の外を見上げて、首を反らせていた。


「上、見えない……ビル、高すぎて……」


「中も当然すごいみたいよ」


カエデが静かに言った。


しかしその目も、ビルを見上げていた。


リムジンが停まり、扉が開いた。


専用入口で深く頭を下げる警備員たち。


そして案内係の女性スタッフが、丁寧に4人と美咲をエスコートする。


「皆様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ。お気を付けて」


VIP専用のエレベーターは一般のフロアを全て通過し、最上階に向かって滑らかに上昇していった。


***


エレベーターの扉が開いた瞬間、4人は息を呑んだ。


最上階のフロアは、東京の景色を360度見渡せるガラス張りの空間だった。


東京タワーの赤い光がすぐ目の前にあった。


その向こうに、東京湾の夜景が無数の灯りとなって広がっている。


「うわぁ……」


ミジュがガラスに駆け寄った。


「東京タワーが目の前! 同じ高さ!」


「すごい……ここにいるだけで、東京を支配してる気分になる」


サラも興奮した声を上げた。


「サラ、それは言いすぎ」


カエデがツッコみながら、自分も窓辺に近づいた。


ソユンは窓の前でただ立ち尽くしていた。


光が目の中で揺れていた。


「こちらへ」


案内係に促されて、4人はフロアの奥に進んだ。


両開きの重厚な扉の前に、Kが立っていた。


「来たか、待ってたぞ」


短い一言だった。


しかし、4人が来るのをここで待っていた。


その事実だけで4人の心臓が跳ねた。


Kは扉を開けた。


部屋の中。Kの執務室が目の前に現れた。


普段は秘書しか入れない、Kの個人的な領域。


メディアが入ったことなどもちろんなく、写真も公開されたことはない。


日本にいる際は、世界経済を動かす指令がここから発信される、帝国の中枢の一つ。


「入ってくれ」


Kは当たり前のように4人を中へ招き入れた。


4人もこの部屋が特別であることは察していたが、周りもK自身も何も言わないその自然さが、逆に4人の胸を熱くした。


***


執務室は、最上階のさらに一段奥に位置していた。


東京タワーがガラス越しに、これ以上ないほど近くに見えた。


「すごい……」


ミジュがガラスに張り付いた。


「ここで毎日仕事してるんですか!?」


「日本にいる時はな」


「景色見てると、仕事に集中できなくないですか?」


「ふ……お前たちの曲を聴いてれば、集中できるさ」


「……」


ミジュがフリーズした。


サラも固まった。


「Kさん、今、さらっとものすごいこと言いました?」


「そうだったか?」


「重要な発言ですよ!」


「ミジュ、落ち着いて」


カエデがミジュを抑えようとした。


しかしカエデ自身も目を泳がせていた。


ソユンはもうKの顔を見ていなかった。


仕事場にいるKというシチュエーションは過剰供給で直視できなかった。


ただ東京タワーの方を向いて、深呼吸をしていた。


***


カエデは執務室を見渡しながら、ふと自分の中にある感情が湧いているのに気がついた。


(……パリに続いて、Kさんの執務室は2回目……)


3人は初めて入る空間に目を輝かせている。


しかし自分は既に、Kの執務室の空気感を知っていた。


あの日、パリで泣きながら駆け込んだことを思い出した。


その時のKの声、ビデオ通話越しに見たKの顔、用意された化粧品、ハーブティーの温度。


全てをちゃんと覚えている。


当然ではあるがここは、パリの執務室ともやはり通じる部分はあった。


その事実が、カエデの胸の中に小さな温かい優越感のようなものを生んでいた。


(……あ、ダメだ)


カエデは自分のその感情にすぐに気がついた。


3人を出し抜いたような気分になってはいけない。


これは競うようなことではない。


カエデは軽く首を振って、その感情を胸の奥にしまった。


しかし完全には消えなかった。


(……Kさん、またここに、私を入れてくれた)


その事実だけは、確かに温かい光となって胸に残っていた。


***


Kは4人が騒ぎ終わるのを優しく見届けた。


ミジュが窓を一通り堪能し、サラがソファの肌触りを確かめ、ソユンがようやく振り返り、カエデが自分の感情を整理し終わるまで。


黙ってその様子を見ていた。


その目は、世界経済を分析する時の鋭さとは全く違った。


子供たちが新しい遊び場を堪能するのを見守る、保護者のような目だった。


やがて4人がソファに集まったところで、Kが口を開いた。


「待たせたな」


Kは執務室の奥のテーブルに置かれていた、革張りの大きな箱を持ち上げた。


ニューヨークから運んできたあのケースだった。


ゆっくりとテーブルの上に置く。


そして、蓋を開けた。


***


中には4本の香水が一列に並んでいた。


4人の視線が一斉に吸い寄せられた。


ボトルはそれぞれ形が違っていた。


似ているが、同じではない。


4人それぞれの個性に合わせて、4種類のシルエットが職人の手で削り出されていた。


材質は最高級のクリスタル。


光が当たる角度によって、虹色に光が散る。


ボトルの肩の部分には小さく、しかし精密に4人それぞれの名前が刻まれていた。


そして、それぞれのボトルには別の名前も刻まれていた。


シラージュにおける、それぞれの「香り」の名前だった。


Soyun — Aubeオーブ/夜明け

Kaede — Lueurリュエール/ほのかな光

Sara — Sourireスリール/笑顔

Miju — Étoileエトワール/星


そしてケースの内側には、銀色の刺繍で一つのロゴが入っていた。


『Sillage × FLORIA』


新ブランド・シラージュとFLORIAの特別なコラボレーションマーク。


世界に4本しかない、専用ボトル。


「……素敵」


ソユンが最初に声を漏らした。


「すごい……これ、本当に私たちのですか……?」


「ああ。お前たち一人ひとりの専用だ」


ミジュも自分のボトルを震える手で取り上げた。


「私の名前、入ってる……!」


「Étoile……星……かっこいい……」


サラは手に取った香水を見つめながらKに質問する。


「これが……売られるんですか?」


「いや、これはお前たち専用だ。世界にそれぞれ1本ずつしかない。大衆向けにグレードダウンさせたものを、シラージュとして販売する」


「グレードダウン……?」


「ボトルも中身も、もっと簡素になる。お前たちのは世界中から取り寄せた最上級の天然香料を惜しみなく使っているんだ。市販品で同じ配合を再現すれば、ほとんど誰も買えないだろう」


「えっ……」


「ただ、グレードダウンと言っても、十分に良い質のものだ」


4人は改めて、自分の手の中のボトルを見つめた。


世界に1本しかない。


自分のためだけに作られた香水。


その重みが、じわじわと4人の胸に沁みていった。


カエデは自分のボトル『Lueur』を両手で包んだ。


ほのかな光。


その名前が自分にぴったりだ、と思った。


派手ではない。しかし暗闇の中で、確かにそこにある光。


カエデの目元が少しだけ潤んだ。


***


「俺がかけてやる」


Kが不意に言った。


「え?」


「自分でつけたら、上手くいかないだろう」


「カエデから、こっちへ来い」


「は、はい……」


カエデが立ち上がった。


Kはカエデから香水を受け取った。


ボトルの蓋を外し、ノズルを軽く押した。


シュッ、と柔らかな美しい音とともに香りが空気に放たれる。


Kはその香りを手に取り、カエデの首筋に静かに当てた。


至近距離。


Kの指先がかすかに肌に触れる。


カエデの肌に冷たい液体の感触。


そしてすぐに、体温と混じって温かさに変わった。


「……」


カエデは目を閉じた。


香りがふわりと広がる。


ウッディで、しかし重くない。透明感のある知的な香り。


初めてのように感じない、自分の香りだ、とカエデは思った。


「次、ソユン、来てくれ」


「は、はい……っ」


ソユンがおずおずとKの前に進んだ。


KがAubeのボトルを取り上げる。


ソユンは緊張しすぎて息を止めていた。


シュッ。


香りがソユンの首筋に当てられた。


夜明けの香り。


清廉で柔らかく、しかし芯のあるフローラルの香り。


ソユンはもう、立っていられそうになかった。


「サラ」


名前を呼ぶ前から、Kとサラは目が合っていた。


サラは軽い足取りでKの前に立った。


しかし、Kがボトルを構えた瞬間、その肩が僅かに力んだ。


シュッ。


弾けるようなシトラスとフルーティの香り。


サラを象徴する太陽のような笑顔に相応しく、そしてその中に大人のニュアンスがある。


「ふふ……」


サラは自分の香りを深く吸い込んだ。


「最後、ミジュ」

「はい!」


ミジュは勢いよくKの前に立った。


そしてKが香水を構える前に、目を閉じて、首を傾げて、髪をどけた。


「どうぞー!」

「……まったく」


Kは笑った。


短く笑ってから、Étoileのボトルを構えた。


シュッ。


甘く温かく、フレッシュな香り。


ミジュらしい、星のように明るく、しかし深さもある香りだった。


「Kさん、私の香り、本当に星みたい?」


「ああ、お前は星のように輝いてるからピッタリだろ?」


「やったー!」


ミジュは自分の手首を鼻に近づけて何度も嗅いだ。


「いい匂い……Kさんの選んでくれた匂い」


***


「強くないですよね、香り」


カエデが感想を述べた。


「主張しすぎない。でも、確かにそこにいる」


「うん、私もこれ好き」


ソユンが頷いた。


「ずっとつけていたい」


「私のはなんかワクワクする!」


「私のはすごい甘くて幸せな気持ちになる!」


4人とも自分の香りに満足していた。


そしてKの選択が自分たちのことを本当に理解していたことに、改めて感動していた。


***


「みんな、こっちに来い」


「?」


Kが4人を呼び寄せた。


「集まれ。近くに」


不思議がりながらも4人はKの前に、互いに肩を寄せ合うように集まった。


その瞬間、空気が変わった。


4つの香りが混ざり合った。


それは個々の香りとはまた別のものだった。


Aubeの清廉さ。

Lueurの透明感。

Sourireの明るさ。

Étoileの温かさ。


それらが空中で溶け合い、新しい一つの香りを生み出していた。


爽やかで。

軽やかで。

そしてどこか、恋のような淡い甘さを纏う香り。


「……すごい!」


サラが呟いた。


「混ざってる……でも、変じゃない……」


「むしろ、もっと良くなってる?」


カエデも驚きを隠せなかった。


「ああ」


Kが頷いた。


「お前たちの匂いが混ざった時に、最も良い匂いになるように作らせたんだ」


その一言に、4人はKを見上げた。


至近距離。


4人の顔がKの顔のすぐ近くにあった。


それぞれがキラキラした目で、Kを見つめている。


「ありがとうございます!Kさん!」

「絶対一生大切にします!」

「Kさんが選んでくれた香りだもん」

「世界一の宝物ですよ!」


その瞬間、Kがふと視線を逸らした。


4人は気がついた。


Kの顔が、少しだけ赤くなっていた。


***


「あれ?」


最初にその変化に気づいたのはミジュだった。


「Kさん、今、顔赤くなってますね」


「……そんなことないだろ」


「いやいや! 絶対赤いです!」


「確かに赤いですよ」


サラも笑って便乗した。


ミジュはさらに追撃する。


「Kさん、照れちゃいましたねー?」


「……」


「かわいい!」


ミジュが無邪気に両手で口を押さえた。


「Kさんかわいいです! 照れてる顔、初めて見ました!」


「……もういいだろ」


しかし、Kの声にはいつもの威厳がなかった。


照れを隠そうとして隠しきれていない、不器用な低音だった。


ミジュはそれを許される関係であるという、確かな安心感の中で笑っていた。


照れ顔を、いじっても許される。


そんな関係を自分たちはKとの間に築いてきたのだ。


その事実がミジュをまた一つ、Kから離れがたくしていた。


***


カエデもKを見ていた。


普段の冷徹なKしか知らない世界中の人々がもしこの瞬間を見たら、目を疑うだろう。


世界経済の覇者が、4人の少女に「かわいい」と言われて耳を赤くしている。


(……やばい、可愛すぎる)


カエデは心の中だけで呟いた。


絶対に口には出さない。


自分はそういうタイプではないし、4人全員でそう言ってあげるのは、少しやりすぎな気もしたからだ。


しかし心の中で何度も繰り返した。


可愛い。可愛すぎる。


この人を「可愛い」と思える人間は、世界に何人いるんだろう。


おそらく、自分たちとアンナさんぐらいだ。


その特権が、カエデの胸をふわりと温かくした。


***


執務室から少し離れた隣接する控え室。


アンナはその様子を、半開きの扉越しに見ていた。


Kが4人に押されている。


世界の王が、4人の少女たちにいじられている。


そしてKはそれを嫌がっていない。


むしろ楽しんでいるとすら言える表情だった。


(……これは、もう)


アンナはこめかみに指を当てた。


(そのうち、逆に手玉に取られかねませんね)


FLORIAの4人が根の良い子たちであることは、アンナも知っている。


打算で動く子たちではない。

Kの財産や権力を狙うようなタイプでもない。


純粋にKのことを好きになってしまっただけだ。


しかし「純粋であること」と「危なくないこと」は別の話だ。


純粋な好意ほど、Kの心を簡単に動かす力を持つものはない。


そして4人は無意識のうちに、その力を最大限に発揮していた。


「Kさん、遠慮しないで私たちのこと見てください!」


「わかったわかった……」


「せっかくだから一緒に写真撮りましょ!」


「いいですね!Kさんを真ん中にして!」


「……」


アンナは深く息をついた。


世界の王は今、明らかに4人に手玉に取られていた。


しかし、それでKが幸せそうならアンナとしてはもう何も言うことはなかった。

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