【シラージュ編】第11話
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その日の夜。
シラージュの香水を持ち帰った夜。
4人は寮に戻ってからも、しばらく興奮が冷めなかった。
それぞれの部屋で、それぞれが自分の宝物の置き場所を丁寧に決めていた。
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カエデは、玄関の小さな飾り棚にLueurを置いた。
毎日使うわけではない。
もちろん普段使いしても良い匂いではあるが、これは特別中の特別。
自分という人間の性格を考えても、特別な日以外に使うのは気が引ける。
しかし、毎日見ることはできる。
朝、出かける時に。
夜、帰ってきた時に。
自分が一日の中で必ず通る玄関の場所に、Lueurを置いた。
照明を当てると、クリスタルのボトルが虹色に光を散らす。
その光は「ほのかな光」という香水の名前そのものだった。
カエデは何度もその光を見つめた。
またパリのことを思い出す。
絶望の淵にいた自分を、Kのビルが灯台のように導いてくれた、あの光のことを思い出した。
(……あの時の光が、今、私の家の中にあるんだ)
カエデは小さく微笑んだ。
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ソユンは、枕元のサイドテーブルにAubeを置いた。
理由は単純だった。
「Kさんと一緒に眠れるから」。
実際にKと眠るわけではない。
しかし、Kが選んでくれた香り、Kが直接つけてくれた香り、Kの指が触れたボトル。
それが自分の眠る場所のすぐそばにある。
それだけで心が落ち着いた。
夜、ベッドに入る前に、ソユンはAubeのボトルをそっと両手で包んだ。
冷たいクリスタルの感触が手のひらに伝わる。
「Kさん、おやすみなさい」
誰にも聞かれない小さな声で、ソユンは呟いた。
世界の王が自分の独り言を聞いているはずもない。
しかしソユンには、ボトルの中の香りが優しく頷いてくれているような気がした。
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サラは、クローゼットの奥にある「大切なもの置き場」のそのまた一番奥に、Sourireを安置した。
その場所には、これまでサラにとって本当に大切なものだけが置かれている。
デビュー初日にお互いに作った、メンバー全員からの寄せ書き。
初めての海外公演の楽屋の出演者パス。
家族からもらった小さなお守り。
そういったサラの宝物たち。
その一番奥にSourireを置いた。
クローゼットの扉を閉めれば、外からは見えない。
毎日ふとした瞬間に目にすることはないし、誰かに見られることもない。
しかし、それでよかった。
これは自分とKだけの、秘密の宝物だ。
見たら笑顔になれるからこそ、その瞬間を最大限大事にしたかった。
サラは扉を閉める前に、もう一度だけSourireのボトルを見つめた。
(……Kさん、ありがとう)
サラは優しく微笑む。
朝早く事務所に来て、念入りにメイクをした自分を、Kは「今日は特にかわいい」と言ってくれた。
その時の感情が、今もまだサラの胸の中で煌めいていた。
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ミジュは、自室の机の上に専用の透明ケースを用意している。
そしてその中にÉtoileを置いた。
その中にはすでに、もう一つの宝物があった。
ロイヤル・ソレイユの時計。
あの夜、自分の人生最大の絶望を、Kが一瞬で救ってくれたあの時計。
これはミジュにとって最も大事なものだ。
そして今夜、シラージュの香水。
二つの宝物が机の上で並んだ。
ミジュはケースを閉じてから、しばらくそれを眺めていた。
「Kさんからのプレゼント、二つになっちゃった」
呟くと、頬が緩んだ。
「もっと増やしてくれるかな」
ミジュはこっそりと机に向かって便箋を取り出した。
新しい、お礼の手紙を書くために。
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数日後。
シラージュの専属モデルとしての撮影が行われた。
場所は都内の大型スタジオ。
セットはシラージュの世界観を表現する、白と淡い金で構成されたモダンで上品な空間だった。
4人はそれぞれの香水を持ち、撮影に臨んだ。
写真撮影と映像撮影。両方が丁寧に行われた。
写真は雑誌広告と店頭ポスターのために。
映像はテレビCMとオンライン広告のために。
撮影中、4人はシラージュの香りを纏っていた。
それぞれの香水を、それぞれが纏う。
そして、4人が並んだ瞬間。
空気が変わるのを、現場の全員が感じていた。
「……すごい」
カメラマンがファインダー越しに思わず呟いた。
「香りで、空気が変わる……」
4人が並んだ時に最高の調和を見せるよう調整された、奇跡の調香。
それは写真には映らないが、確かにその場に存在していた。
そしてカメラマンは、その「映らないもの」を4人の表情から見事に引き出していた。
シラージュの最初のキャンペーンビジュアルが、こうして完成した。
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さらに数週間後。
シラージュは世界各地で正式に発売された。
東京のフラッグシップ店。
パリのヴァンドーム広場の旗艦店。
ニューヨーク五番街の店舗。
ロンドン、ミラノ、上海、ドバイ。
世界の主要都市で、シラージュの初コレクションが一斉に展開された。
価格は1本2万円。
ハイブランドの香水としては決して安くない価格だが、4人専用のボトルとは違って市販可能な高級ラインだ。
中身もボトルも市場流通用に再調整された。
香水業界トップの3社合同ブランドという話題性、そして何よりKが直接発表したことによりKFG関連企業はもちろん、あらゆる企業が気を使っての大きなプッシュとなった。
それにより、初日から市場の注目を集め、世界の業界紙が競うように記事を出した。
『香水業界の新たなメガブランド、誕生』
『三巨頭の融合が生んだ、新しい香りの哲学』
『KFGの戦略は香水市場をどう変えるか』
『大富豪K氏お墨付きの香水とは』
そして、それに後押しされる形で専属モデルに関する記事も徐々に増えていった。
『FLORIA、華やかな豪華衣装による新ブランド広告』
『FLORIA——アルカディア、ロイヤル・ソレイユに続く、3つ目のKFG傘下ブランドのモデル起用』
『K-POPグループ、なぜ世界の頂点ブランドに選ばれ続けるのか』
『FLORIAとは何者か』
業界の中ではまだ「FLORIAって誰?」という声も確かに残っていた。
K-POPアイドルとしての知名度はここ1年で確実に上がってきているが、まだ世界的トップグループの一角を成すレベルとは言えない。
しかし、KFGからの起用が3つ目になった。
その事実が、業界の空気を少しずつ変えていた。
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ネット上の反応は概ね好意的だった。
シラージュの香水そのものへの評価も高く、「軽すぎず、重すぎず、日常に纏える」というブランドが目指したコンセプトが市場に受け入れられた。
一方で。
『またFLORIA起用』
『アルカディア、ロイヤル・ソレイユ、シラージュ……K会長、本当にこの子たちのファンなのでは?』
『3つ目はさすがに偶然じゃないでしょ』
『KFGとFLORIAの繋がり、もはや公然の秘密』
そんな書き込みがSNSのあちこちで見られるようになっていた。
陰謀論的な憶測ではなかった。
ただ自然な疑問として、KFGとFLORIAの間に何か特別な関係があるのではないかと。
業界関係者の中にも、同じことを考え始める者が増えていた。
世界経済の頂点に立つ男が、なぜ特定のK-POPグループを繰り返し起用するのか。
ビジネスとしての合理性だけでは説明しきれない。
そこには何か、見えない線があるのではないかと。
しかし、Kはその全てに無言だった。
KFGからも特別なコメントは出されなかった。
ただ淡々とシラージュの売上が積み上がっていくだけだった。
そしてその売上の数字は、KFGにとってはあってないような額に過ぎなかった。
ビジネスとして成功させるためにシラージュを作ったわけではない。
それはKFGの人間なら、誰もが理解していた。
新たな動きがなければそれ以上の盛り上がりもなく、KFGとFLORIAの話題は一過性の物だった。
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東京、FLORIAの寮。
ある夜、4人はソユンの部屋に集まっていた。
テレビにはシラージュのCMが流れていた。
4人が並ぶ、あの最初のキャンペーンビジュアル。
その映像の最後に、一つのコンセプトメッセージが静かに浮かび上がる。
『すれ違った後に残る、その人の気配』
それは、Kがあの会見の日、世界に向けて語った言葉からの引用だった。
シラージュというブランドの哲学を最も端的に表現したフレーズ。
それがブランドのコンセプトメッセージとして、CMの最後に必ず映し出されるようになっていた。
「これ、Kさんがあの会見で言ってた言葉だよね」
ソユンが画面を見つめながら呟いた。
「うん。シラージュのキャッチコピーになってる」
カエデも頷く。
「Kさんの言葉が、世界中で流れてるのかー!」
「Kさんは本当にやばいですよね!」
「そんなこともう知ってるって」
「私たちの香りのCMに、Kさんの言葉が乗ってるのが……」
「何回見ても飽きない」
CMが終わった後、4人はしばらく無言で画面を見つめていた。
そしてカエデがふと呟いた。
「あとさ最近、街でもよく流れてるよね」
「うん。電車の駅でも、ビルの広告でも」
「店頭にも私たちの写真がポスターで貼ってあるって」
「行ってみたいけど、行ったら絶対騒いじゃう。店舗は高級ブランド店だもんね」
「私が一番騒ぐ自信ありますよ」
「うん、ミジュには負けるよ」
4人は笑い合った。
街中に自分たちの姿がある。
世界中の都市で、自分たちの香りが誰かの肌に纏われている。
その事実が、少しずつ現実として4人の中に染み込んでいた。
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ニューヨーク、KFG本社ビル最上階。
Kの執務室の巨大なモニター群の中に、一つだけ変わらず映し出されているものがある。
日本地図。
4つの光点。
東京のある一点に寄り添うように集まっている、4つの光。
Kは書類を読みながら、ふとその地図に視線を流す。
4つの点は今日も同じ場所にある。
寮にいる時間。練習室にいる時間。撮影現場にいる時間。
少しずつ、4人の生活パターンをKは無意識のうちに把握していた。
そしてその隣に、もう一つ新しい数字が表示されるようになっていた。
シラージュの、世界各国の店舗でのリアルタイムの売上データ。
香水のブランドの売上数字を、世界経済の覇者が自分のメインモニターに常時表示させる。
その光景は、KFG社内でも極めて異例のものだった。
Kは売上額の大小を気にしているわけではない。
ただ、彼女たちのためのブランドが、彼女たちの香りが、今世界中でどのように広がっているかを視覚的に見守っているだけだった。
しかし誰もそれを指摘する者はいなかった。
アンナだけが時折その画面を一瞥して、音もなくため息をつくのが常だった。
「会長」
アンナがKに声をかけた。
「次の四半期計画について、ご報告がございます」
「ああ」
Kは書類から顔を上げた。
そして何気なくアンナに聞いた。
「アンナ」
「はい」
「あの4人、最近どうしてる」
その質問がもう何度目かは、アンナにも数えきれなかった。
「順調にお仕事をされていらっしゃいます。来月にはシラージュの追加プロモーションがございますし、来週から新曲の収録に入られるとのことです」
「新曲か」
「はい」
「……いい曲なのか」
「当然私も聞いてはおりませんが、音楽のセンスはありませんので、判断しかねます」
「そう卑下するな」
Kはそれだけ答えた。
しかしその目は、既に別のことを考え始めていた。
新曲。
レコーディング。
スタジオ。
そういった単語が、Kの頭の中で繋がっていく。
アンナはその目を見て、次に来る話の方向を既に予測していた。
(……次は、何がくるんでしょうね)
世界の王の気まぐれは、シラージュで終わらない。
それはもはや誰もが知っていた。
そしてその気まぐれの先に、4人の未来がまた新しい形で開かれていく。
世界は少しずつ、しかし確実に。
4人の少女たちのために動き始めていた。
—— 【シラージュ編】完 ——




