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世界一の大富豪が私たちの味方です!  作者: Project_FLORIA
【シラージュ編】

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【シラージュ編】第8話

***


4人それぞれの調査が終わった後も、時間はまだ続いた。


ボトルのデザインの方向性。色の好み。そして各香水につける名前のイメージ。


合同チームは、4人と一つずつ丁寧にヒアリングを重ねていった。


ソユンは「柔らかくて透明感のある名前がいいです」と控えめに答え、

カエデは「ブランドとしての統一感も考えたい」と冷静に意見を出し、

サラは「響きがかっこいいやつ!」と即答し、

ミジュは「Kさんが決めてくれたらそれでいいです!」と言って美咲にたしなめられた。


全ての工程が終わる頃には、窓の外の光が傾き始めていた。


***


FLORIAの4人が待合室で休んでいる間。


研究施設の奥では、研究員たちが最後の整理を進めていた。


今日のデータの確認。抜け漏れのチェック。次回までの調査課題の洗い出し。


その作業を静かに見守っていたKが、不意に口を開いた。


「そういえば」


研究員たちが顔を上げた。


「個々の香りはもちろんだが、4人の香水が混ざり合った時に、最高の匂いになるよう調整してくれ」


部屋の空気が固まった。


研究員たちは、互いの顔を見合わせた。


個々の体質に合わせた専用フレグランスを作るだけでも、通常では考えられない難度のプロジェクトだ。


それに加えて、4つの異なる香りが空間で混ざった時に調和する?


それはもはや調香の領域を超えた、数学的にも化学的にも途方もない要求だった。


それぞれが独立した完成品でありながら、合わさることで新たな一つの芸術作品にならなければならない。


しかし、Kは至って自然な顔で言っていた。


思いつきのように。


世間話のように。


「じゃあ、よろしく」


Kはそれだけ言って、背を向けた。


研究員たちは返事ができなかった。


誰も「はい」とも「無理です」とも言えないまま、Kの背中を見送った。


そして、すがるようにアンナの方を見た。


アンナは。

静かに目を閉じ、首を横に振った。


断る、という意味ではない。


「私にもどうにもできません」という、無言の返答だった。


「人員と資金はいくらでも投入できますので」


それだけを告げると、アンナもKに続いて部屋を出ていった。


残された研究員たちは、しばらくの間、誰も動けなかった。


やがて、チーフ調香師が深く息をついて、呟いた。


「……やるしかないわね。みんな、しばらく休みはないけれど」


その声には絶望と、そして世界最高峰の職人としての火が点いたような響きが混ざっていた。


***


待合室にKが姿を見せた。


4人が一斉に立ち上がる。


「今日は長い時間ありがとう。疲れただろう」


Kの声は穏やかだった。


4人はそれぞれ少しだけ火照った顔で、首をぶんぶん横に振った。


「全然です! ありがとうございます!」


ミジュが真っ先に答えた。


「楽しかったです」


サラも笑顔で頷く。


ソユンは頷きながらも、まだKの顔を直視できずにいた。


カエデは静かに「貴重な経験でした」と微笑んだ。


Kは4人の顔をゆっくりと見渡した。


そして、少しだけ視線をずらして。


「よかったら……このあと、ご飯でも、どうだ」


その声は、世界経済を動かす男の声とは思えないほど、ぎこちなかった。


女性を食事に誘い慣れていない男が、勇気を振り絞って口にしたような、不器用な響き。


あるいは、断られることを少しだけ恐れているような、そんな響きだった。


4人は一瞬、きょとんとした。



そして。


目が一斉に輝いた。


「「「「お願いします!!」」」」


4人の声が見事に重なった。


示し合わせたわけでもないのに、タイミングも声量も完璧に一致した。


Kはその反応に、ほんの少しだけ安堵したように口元を緩めた。


***


Kはアンナに向き直った。


「おいアンナ、そうだな……オブシディアンあたりに行くか」


アンナは一瞬の間もなく答えた。


「かしこまりました。今すぐ会長と皆様が向かうことをお伝えいたします」


アンナはスマートフォンを手に取り、ホテル側へ連絡を入れ始めた。


『ジ・オブシディアン東京』。KFG傘下の超高級ホテルリゾートだった。


まるで、今この瞬間に初めて決まったかのような動きだった。


しかし実際には、この食事は1週間前から決まっていた。


ホテルの日程調整も、メニューの事前打ち合わせも、セキュリティの配置も、全てアンナが事前に整えていた。


Kの「よかったら、ご飯でもどうだ」というぎこちない誘い方も、おそらく何度か脳内でリハーサルした結果だろうとアンナは呆れていた。


それでもアンナは、完璧に「今決まった」という演技に付き合ってあげた。


「えっ!もしかして、ジ・オブシディアン東京ですか……!?」


サラが目を丸くした。


「確かすっごく高いホテルですよね? 最近SNSでバズってました! 一泊何十万で、食事がめちゃくちゃ豪華だって……」


「そうか?」


Kは素っ気ない声で答えた。


「みんなが行ったことがないなら、よかったが」


知らないふりだった。


KFG傘下のフラッグシップホテルを、Kが知らないわけがない。


しかし、4人はそんなことには気づかなかった。


純粋に驚いて、喜んでいた。


なんとなく察した美咲だけが、アンナと一瞬だけ目を合わせ、小さく苦笑いをした。


アンナもまた、美咲に向けて微かに肩をすくめてみせた。


***


研究施設を出ると、漆黒のリムジンが静かにエントランスに横付けされていた。


KFGの紋章が刻まれた、Kの専用車だ。


4人はリムジンの扉が開いた瞬間、声を上げた。


「すごい……!」

「広い! 中、広いです!」

「Kさん、いつもこれに乗ってるんですか!?」

「座席がふかふかです……!」


Kは4人が先に乗り込むのを見届けてから、最後に乗った。


車内には冷えた水とおしぼりが用意されている。


リムジンが走り出すと、東京の夕暮れの街並みが窓の外を流れ始めた。


4人は窓に顔を近づけたり、車内の設備を触ったり、Kに質問を浴びせたりと忙しかった。


「Kさん、このボタン何ですか!?」


「ふっ……押してみろ」


「えっ、いいんですか?」


ミジュが恐る恐るボタンを押した。


瞬間、リムジンの全ての窓が一斉に真っ黒になった。


外の景色が完全に消えた。


「わー!!」

「真っ暗! 何も見えない!」

「すごい! スモークだ!」


ミジュがもう一度押すと、窓は元に戻った。


「これ何のためにあるんですか!?」


「基本的には移動中に顔を見られないようにな、目立つだろ?この車」


「かっこいい……」


4人が感嘆している中、サラが別のボタンに目をつけた。


「じゃあKさん、こっちのは?」


「それはサイレンが鳴るぞ」


「えー嘘だー」


サラが笑いながら押した。


次の瞬間、車内外に鋭いサイレンの音が響き渡った。


「ひゃあ!!」

「鳴った!! 本当に鳴った!!」

「サラ!!!」

「どうすればいいですか!?」


車内が一瞬パニックになる中、アンナが助手席側から手を伸ばし、静かにサイレンを止めた。


数秒で車内に沈黙が戻った。

4人が固まっている。


Kは笑っていた。


「もー! Kさん止めてくださいよ!」


サラが顔を真っ赤にして抗議する。


「ふ、鳴ると言っただろ」


「それは……確かにそうですけど!」


「Kさんひどい! ほんっとに心臓止まるかと思いました!」


ミジュも便乗して騒ぐ。


アンナが後部座席に向けて、静かに声をかけた。


「ご安心ください。こちらの車両は緊急車両としてサイレンの使用許可を受けております。法的な問題はありません」


「そういう問題じゃないです!」


4人の声が綺麗に揃った。


Kはまだ笑っていた。


4人が騒ぐ姿を正面の席から眺め、本当に楽しそうに目を細めていた。


アンナは助手席側のスペースでタブレットに視線を落としながら、その空気を静かに浴びていた。


(……ここまでは想定通りですね)


全て、1週間前にKが描いた絵の上で、世界が動いている。


***


ジ・オブシディアン東京。


KFG傘下のラグジュアリーホテルグループが擁する、東京のフラッグシップ。

都心の一等地に聳える、漆黒のガラスファサードのタワー。


KFGの美学を体現するかのように、外壁は夜のように黒く、内装は極限まで研ぎ澄まされたミニマリズムで統一されている。


リムジンがホテルの正面ではなく、裏手の専用車寄せに入った。

車が止まる。


扉が開いた瞬間、4人の目に飛び込んできたのはずらりと並んだ人の列だった。


ホテルの支配人を筆頭に、副支配人、フロアマネージャー、コンシェルジュチーフ。


ホスピタリティの最高峰に立つ人間たちが、一列に整然と並び、深々と頭を下げた。


「お待ちしておりました」


支配人の声は丁寧だった。


しかしその声が、僅かに震えていた。


彼らは毎日、世間の大富豪や芸能人、各国の要人を相手にしている。


超一流のサービスを息をするように提供するプロフェッショナルたちだ。


それでも、Kを前にした時の緊張は、過去に経験したどの来客とも次元が違った。


このホテルのオーナーだから、という理由だけではない。


身内であることを差し引いても、Kという人間の放つ圧が桁違いなのだ。


世界の王が放つ空気。


それを正面から浴びて平然としていられる人間は、世界にも数えるほどしかいない。


***


しかし、支配人たちの緊張にはもう一つ理由があった。


事前にアンナから直接連絡が入っていたのだ。


「今回はFLORIAの皆様が同席されています」


その一言の後に続いた言葉を、支配人は一字一句忘れていなかった。


「万が一、FLORIAの皆様の前で、会長にお恥をかかせるようなことがあった場合——本当に、その方の人生が終わる可能性があることをご理解ください」


「中途半端な従業員は、絶対に近寄らせないでください」


アンナの声は淡々としていたが、その淡々さこそが本気の証だった。


ホテルはその日の前後を丸ごと休館日にした。


宿泊客もレストランの予約も、全てキャンセルされた。


もちろん損失はKFGが補填する。


そして当日のスタッフは、グループ内から選び抜かれた最も優秀な人材だけが招集されていた。


支配人は朝から全員に、同じ言葉を繰り返し伝えていた。


「今夜は、人生で一番大切な夜だと思って臨んでください」


***


FLORIAの4人は、Kに連れられVIP専用のエレベーターに乗る。


静かに上昇し、一般客のフロアを全て通過し、最上階へ。


扉が開くと、息を呑むような空間が広がっていた。


東京の夜景が、360度、壁一面のガラスの向こうに広がっている。


床は深い色の天然木。天井は高く、間接照明が柔らかに空間を包んでいる。


部屋の中央に5人がけのテーブルが一つだけ置かれていた。


花は、白い芍薬シャクヤクが一輪。


照明は月明かりのように淡い。


「綺麗……」


ソユンが呟いた。


「すごい……ここ、本当にホテルの中なんですか……?」


ミジュが窓に近づいて外を指差した。


「あ、スカイツリー見えますね!」


「ミジュ……騒がないの」


カエデが注意したが、その目も夜景に吸い寄せられていた。


サラは黙ってテーブルの上の芍薬を見ていた。


一輪だけ。


余計なものが何もない。


その潔さが、Kらしいと思った。


***


全員が着席した。


Kが上座に。

その左右にソユンとカエデ。向かいにサラとミジュ。


美咲とアンナは、隣の別室に移動した。


Kは4人を見渡した。


「みんな、今食べたいものを何でも言ってくれ。それを作らせる」


「えっ、メニューとかないんですか?」


ミジュがきょろきょろとテーブルの上を見た。


メニューらしきものはどこにもなかった。


「ない。お前たちが食べたいものを言えば、それを作る」


「何でも?」


「何でもだ」


4人は顔を見合わせた。


「えー難しいですね……」


サラが頭を抱えた。


「何でもって言われると、ちょっと言い出しにくいというか……」


ソユンも頷く。


「カエデさん、何かないですか?」


ミジュが雑にカエデに聞く。


「きゅ、急に振らないでよ」


カエデも困った顔をした。


Kはその様子を黙って見ていた。


そして予想通りの反応を確認すると、小さく笑った。


「ふっ……悪かった。確かに急に言われてもな。じゃあ、俺が決めてやろう、それでいいか?」


4人が一斉にKを見た。


「「「「はい!」」」」


4人はキラキラした目でKのオーダーを待った。


Kは控えていたスタッフに向けて、静かに口を開いた。


「まず、ヴィシソワーズをくれ。ただし通常のジャガイモではなく、トリュフのヴィシソワーズで。黒トリュフをすりおろして仕上げに乗せろ。温度は8度。器は冷やしておけ」


スタッフが深く頷いて下がっていく。


4人はぽかんとしていた。


「何ですかそれ!」


ミジュが身を乗り出した。


「かっこいい!!」


「ヴィシソ……ワーズ……?」


ソユンが聞き慣れない言葉を繰り返す。


Kは少しだけ得意そうな顔で説明を始めた。


「ヴィシソワーズというのは、冷たいポタージュスープだ。フランスの古典的な料理だが、ジャガイモの代わりにトリュフを使うと全く別物になる」


「へー……」


「トリュフの香りは熱を加えると飛ぶ。だから冷製にすることで、香りを最大限に閉じ込める。温度は8度が最も美味く感じるんだ」


Kの声は穏やかだった。


会見場で世界に向けて語る声とは全く違う、柔らかな声。


4人はその声に引き込まれていた。


料理の説明を聞いているはずなのに、4人の目は料理ではなくKの顔を見ていた。


Kの口元が動くのを。


Kの目が楽しそうに細くなるのを。


ただそれを見つめていた。


東京の夜景が、360度のガラスの向こうで静かに瞬いていた。


世界の王と4人の少女たちの、穏やかな夜が始まろうとしていた。

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