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世界一の大富豪が私たちの味方です!  作者: Project_FLORIA
【シラージュ編】

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【シラージュ編】第5話

「……嘘」


ソユンの唇から、その言葉が零れ落ちた。


音にならない、吐息のような声だった。


涙で滲んだ視界の中で、スクリーンに映し出されたアルカディアとロイヤル・ソレイユのビジュアルが、ぼんやりと揺れている。


あれは——自分たちだ。


あの写真の中にいるのは、間違いなく自分たちだ。


「えっ……どういう、こと……?」


サラの声が隣から聞こえた。


困惑していた。


喜びではなく、純粋に何が起きたのか分かっていなかった。


ほんの数秒前まで、世界が終わりかけていたのだ。


カエデは、ソユンの顔を見た。

それからサラの顔を見た。

そしてミジュの顔を見た。


3人とも同じだった。


泣きかけたまま凍りついている。


「……みんなも、知らなかったんだ」


カエデの声は、いつもの冷静さをかろうじて保っていた。


しかしその喉は確かに震えていた。


確認するように、自分にも3人にも言い聞かせるように。


知らなかったんだ。

誰も知らなかったんだ。


***


「やったーーー!!!」


最初に爆発したのはミジュだった。


ソファから勢いよく立ち上がり、両手を天に突き上げた。


「私たちです!!私たちって言いました!!Kさんが!!!」


その声は休憩スペースの壁を突き抜けて、廊下にまで響いていただろう。


「Kさんが世界に向けて私たちの名前言ってくれました!!聞きましたか!?嘘じゃないですよね!?今のほんとですよね!?」


「ミジュ、声——」


カエデが制止しかけたが、もう無駄だった。


ミジュは叫びながら、ソファの上でぴょんぴょんと跳ねている。


しかし、ミジュはその無邪気な瞳の奥で、誰よりも早く本質に辿り着いていた。


「まだわからないんですか!?」


跳ねるのをやめ、3人の顔を見回してはっきりと言った。


「Kさんは、わざと黙ってたんですよ!」


「……わざと?」


「私たちを、ふふ……限界まで喜ばせるために!」


ミジュの目がキラキラと光っていた。


「モデルの話が来てないーって気づいて、私たちが絶望するのも全部わかってて、最後に名前出したんですよ。Kさん」


その言葉が、残りの3人の胸に落ちた。


数秒間の沈黙。


そして、その沈黙が静かに、温かく割れた。


***


「Kさん……ほんっと反則……」


サラが目元をごしごしと拭いながら笑い始めた。


涙を拭いているのに、笑っている。


泣き笑いの、めちゃくちゃな顔だった。


「ずるいよ……あんな焦らし方……! 私本気で死ぬかと思ったんだけど……!」



カエデも深く、深く息をついた。


天井を見上げて、そのまましばらく動かなかった。


安堵が全身から力を抜いていく。


さっきまで唇を噛んで必死に耐えていたあの数秒間が、嘘のように溶けていった。


「あの人もう……本当に……」


カエデは小さく笑った。


泣いた後の、力の抜けた柔らかい笑いだった。


***


ソユンはまだ一言も言葉を発せずにいた。


ソファに座ったまま、両手を膝の上で握りしめて画面を見つめている。


涙は止まっていなかった。


しかし、その涙の色が変わっていた。


さっきまでの涙は、失う恐怖の涙だった。


今の涙は違う。


好き。

好き。

好き。


その感情だけが身体中を駆け巡っていて、他の何も入ってこなかった。


Kさんが私たちの名前を呼んでくれた。


Kさんがまた私たちを選んでくれた。


世界に向けて、私たちだと。


ソユンの呼吸が、また速くなっていた。


嬉しすぎて、苦しかった。


会いたい。

今すぐ、会いたい。


「そ、ソユン大丈夫……?」


サラが心配そうにソユンの顔を覗き込んだ。


「……大丈夫」


ソユンの声は掠れていた。


「大丈夫……でも……会いたい……Kさんに……」


その一言に、3人は何も言えなかった。


ソユンのKへの想いの純度は、いつだって4人の中で最も真っ直ぐだった。


***


ひとしきり大騒ぎした後、ミジュがふと呟いた。


「美咲さんたちは……知ってたのかな」


「あー!」


サラがスマートフォンを手にした。


「呼ぼう!……でもKさんから離れたくないから、LINEで」


サラが美咲にメッセージを送ると、数分後、休憩スペースの扉がノックされた。


美咲が入ってきた。


その顔はいつもの穏やかなマネージャーの表情ではなかった。


冷や汗をかいているような、引きつった笑顔だった。


「美咲さん!」


ミジュが真っ先に飛びつく。


「知ってたんですか!? シラージュのモデルの話!」


美咲は4人の顔をゆっくりと見渡した。


泣いた跡と興奮の余韻が、全員の顔に刻まれている。


「……皆さんは、Kさんから直接何か聞いてましたか?」


「全然!何にも!」


「……私も、です」


美咲は小さく首を横に振った。


「事務所にも、おそらく来ていないと思います。会見の直後にKFGの窓口部署からメールは来ていましたが……事前のご連絡は確認できていません」


4人と美咲は、互いの顔を見合わせた。


誰も、何も知らなかった。


FLORIAに秘密にしてサプライズにする。それはまだ分かる。


しかし、美咲や事務所にすら知らせないことの意味は、正直美咲にも分からなかった。


それに今回は、4人を撮影してほしいという依頼すら来ていなかった。


完全な、事後通告。


(……K会長は、本当に……)


美咲は胸の中でそれだけ思って、口には出さなかった。


美咲は自分なんかが理解できるような存在ではないことを改めて自覚した。


「とりあえず、上のほうに報告だけしておきますね」


「美咲さん、あと1回だけ!会見最初から見直していいですか!」


ミジュが両手を合わせて拝む。


「もう夜遅いですよ?」


「お願いしますお願いします!」


「明日もスケジュールがあるんですから……」


「1回だけ!1回だけ見たら帰ります!」


美咲は4人の顔を見た。


交渉の余地がないことは、明白だった。


「……約束してくださいね」


「はい!」


4人の返事は揃っていたが、美咲にはそれが守られるとは思えなかった。


***


事務所の送迎車の中でも、4人のスマートフォンの画面は休むことなく光り続けていた。


SNSには、すでに「FLORIAシラージュ専属モデル就任」のニュースが世界中に拡散している。


FLORIA公式の、そして各々のSNSアカウントのフォロワーも続々と増えている。


それを一つ一つ確認するたびに、車内は小さな歓声で満ちた。


寮に戻ってからも、4人は一つの部屋に集まった。


録画していた会見を最初から再生した。


Kが登場する瞬間。


シラージュの名前が発表される瞬間。


そして「FLORIA」と、Kの声が世界に響いたあの瞬間。


何度見てもその瞬間で、4人の心臓は跳ねた。


何度聞いてもその声で、4人の目が潤んだ。


夜が更けるほどにテンションは上がり続け、4人がようやく眠りについたのは、深夜を随分と過ぎた頃のことだった。


***


翌朝。


FLORIAの事務所では、チーフとFLORIA担当部署の役職者たちが緊急の会議を開いていた。


「昨夜のKFGの会見は、皆さんご覧になったかと思います」


チーフの声は落ち着いていたが、その表情には隠しきれない緊張が浮かんでいた。


「事前の連絡はありませんでした」


担当者が手元の端末を見ながら答えた。


「会見の直後、KFGの窓口部署よりメールが届いていますが……正直、非常に苦しい文章です」


「苦しい?」


「謝罪の文言は丁寧なんですが……先方の担当者自身、急に上から降ろされた案件だということが手に取るように分かります。文面の端々から、自分たちも知らなかったという空気が滲んでいまして」


会議室に短い沈黙が流れた。


KFGの内部ですら、事前に知らされていなかった。


つまり、K会長とその側近だけで決めた。


本来であれば、当然ながら猛抗議すべき案件だった。


自社のアーティストを事前の合意もなく、世界に向けて一方的に専属モデルとして発表する。


芸能ビジネスの常識では、到底あり得ない。


声明を出して契約の無効を訴えることが、正当な対応だった。


「契約金の提示額ですが……」


担当者が端末の画面をチーフに向けた。


チーフは数字を見て、しばらく黙った。


ロイヤル・ソレイユの時でさえ、業界の常識を遥かに超えた額だった。


今回は、その更に上を行く数字が積まれていた。


「……前例を作ってしまうのはよくないとは思いますが」


別の役職者が慎重に口を開いた。


「K会長とFLORIAの関係については……この場の全員がある程度把握していますね」


誰もが頷いた。


そして誰もが、同じ結論に辿り着いていた。


もし4人を呼んで、Kのやり方に疑問をつけたら。


あの4人がどうなるか。


それは想像するまでもなかった。


烈火のごとく怒るだろう。


Kさんのやり方にケチをつけるなんて、と。


そして、事務所に対する信頼が一気に崩壊する可能性すらある。


逆効果どころの話ではなかった。


「受け入れます」


チーフが静かに結論を出した。


「条件の詳細をKFG側と詰めて、正式な契約を進めてください。ただし、次回からは必ず事前にご連絡をいただくよう、先方に……申し入れてください」


「……かしこまりました」


担当者は頷いたが、その「申し入れ」が機能するとは思えなかったし、する必要もないことはわかっていた。


***


会議室の外の廊下で、美咲は結論を待っていた。


会議を終えたチーフが出てきて、短く美咲に伝えた。


「受け入れることになりました」


「……ありがとうございます」


美咲は頭を下げた。


そして心の底からほっと息をついた。


もし、4人を会議室に呼んで「Kさんのやり方は問題がある」などと伝えなければならなくなったら。


美咲は想像するだけで胃が痛くなった。


あの4人の顔が怒りで歪む姿は見たくなかった。


***


同じ頃。ニューヨーク、マンハッタン。

KFG本社ビルの中層階。


Kが最上階の自室から降りてくるのは珍しいことだった。


この帝国では、世界がKのもとへ上がってくる。


各国の首脳も、巨大企業のCEOも、世界的な投資家たちも。


Kに会うために最上階の手前まで上がってくるのが常だった。


しかし今日は、Kの方が降りてきた。


大会議室には、すでに数十名の人間が集まっていた。


各3社から選ばれた精鋭たち。

KFGの商品企画部のメンバー。

調香の専門家。ブランド戦略のプロフェッショナル。マーケティングの責任者。


そしてKとアンナ、数名の秘書チームが、同席という形で列席していた。


***


シラージュとしての、最初のプロジェクト。


FLORIA——4人のための、特注の香水を作る。


それがこの会議の唯一の議題だった。


3社のメンバーにとって、この会議室の空気は尋常ではなかった。


世界の王が直接同席している。


世界の王が、個人的に大切にしているアーティストのための香水を作る。


失敗は許されなかった。

失敗という概念が、この部屋には存在しなかった。


「では、4名様それぞれのコンセプトについてご提案をさせていただきます」


担当者が緊張を抑えながらプレゼンテーションを始めた。


スクリーンにFLORIAの4人の写真が映し出される。


アルカディアとロイヤル・ソレイユのキャンペーンビジュアルから引用されたそれぞれの姿。


4人の個性が鮮やかに切り取られていた。


「ソユン様には、透明感のあるフローラルノートを基調に——」

「カエデ様には、知性と落ち着きを想起させるウッディ系の——」

「サラ様には、弾けるようなシトラスと明るいフルーティノートを——」

「ミジュ様には、甘くフレッシュな——」


コンセプトの提案。香料の候補。ボトルデザインの方向性。


各社の専門家たちが、それぞれの知見を持ち寄り、慎重に言葉を選びながら議論を積み上げていった。


Kはその間、ずっと黙っていた。


腕を組み、背もたれに身を預けたまま、ただ聞いていた。


アンナはKの横でタブレットに目を落としつつも、Kが珍しく静かなことに少しだけ安堵していた。


会議は粛々と進む。


プロジェクトの全体スケジュールが提示され、各フェーズの担当が決まっていく。


そして、別の担当者がこう言った。


「ただ、実際に4名様に合う最高の香りを完成させるためには、直接お会いする必要がございます」


「香水は纏う人の体温や皮膚の状態によって、香りの広がり方が全く異なります。調香のプロセスでは、実際のお肌で確認する工程が不可欠です」


「ですので、まずは日本に赴いて4名様と打ち合わせをさせていただければと——」


「それだ」


Kの声が会議室を切り裂いた。


それまで黙っていた王が、食い気味に割って入っていた。


全員の動きが止まり、Kの方を向く。


「それしかない。」


Kの声には、先ほどまでの静けさはなかった。


確信に満ちた声だった。


いや、待ち構えていたと言ったほうが正しいかもしれない。


この話題が出るのを、最初からずっと待っていたかのような食いつき方だった。


アンナは静かに目を閉じた。

秘書たちも全員、僅かに下を向いた。


「各社から若くて優秀な女性社員を選べ。彼女たちを日本に向かわせろ」


Kは早口で続けた。


「香りの打ち合わせは非常にセンシティブな現場だ。肌に直接触れることもあるだろう。男は一切同席するな、行く必要もない」


「か、かしこまりました……」


担当者たちが頷く。


「ただ一応——」


Kは一拍だけ間を置いた。


(……はぁ)

その一拍が、アンナには永遠のように感じられた。


「俺も行く」


(そうですよね……)


会議室に沈黙が落ちた。


3社の担当者たちは、互いの顔をちらりと見合わせた。


秘書チームの一人が目をそらした。


アンナだけが、微動だにしなかった。


この帝国のルールはKが作る。


そしてKは、自分自身をそのルールの外に置く権利を当然のように持っている。


暴君だった。

紛れもない暴君だった。


しかし、誰もそれを口にする者はいなかった。


***


「1週間後に日本へ向かう。スケジュールを組め」


Kはそれだけ言うと、椅子の背にゆっくりと凭れた。


日本、という言葉を口にした瞬間から、その表情は僅かに、しかし確かに和らいでいた。


アンナはもう何も言わなかった。


タブレットに指を走らせ、スケジュールの調整に入った。


石油会社の統合案件。

各国規制当局への対応。

シラージュブランドの正式立ち上げ準備。


世界中の案件が山のように積まれたリストの、その一番上に。


『日本出張——FLORIA様お打ち合わせ手配』というタスクが静かに鎮座した。


アンナはそのタスクを見つめ、音もなく深く息をついた。


***


日本では、4人への連絡が美咲を通じて届いた。


「1週間後にシラージュの打ち合わせのため各社の担当者が来日されるとのことです。スケジュールを空けておいてくださいね」


「はい!」


ミジュが即座に返事をする。


「あと——」


美咲は一瞬だけ言葉を止めた。


「K会長も、いらっしゃるそうです」


沈黙。


1秒。

2秒。


そして。

休憩スペースが4人の声で爆発した。

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