【シラージュ編】第1話
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パリでの撮影から帰国したカエデを、3人が笑顔で迎えてからまた季節が少しだけ進んだ。
パリで撮影された写真を使った雑誌が発売されたのは、帰国から数週間後のことだった。
「今注目の日本人女性アイドル」特集と銘打たれたそのファッション誌は、発売初日から好評で、出版社にとっても予想を超えた反響となった。
「カエデちゃんの写真、本当にかっこいいよ」
ソユンが雑誌のページを恭しくめくりながら、うっとりと呟く。
「こっちのページも! 凱旋門の前のやつ、モデルさんみたいですよ」
ミジュがカエデの肩越しから覗き込む。
「みたい、じゃなくてモデルだから」
サラが笑って突っ込んだ。
カエデは照れくさそうに目を細めた。
「ありがとう。……あの日のこと思い出したら、また泣きそうになるけど、やっと笑い話にできるかもね」
あの涙も、KFGのビルへの疾走も、Kとのビデオ通話も、理緒との秘密も。
カエデにとっては、大切な物語の一ページになっていた。
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それからさらに、2ヶ月ほどが過ぎた。
FLORIAは相変わらず忙しく、しかし充実した日々を送っていた。
アルカディアの専属モデルとしての露出も続き、ロイヤル・ソレイユのCMの再放映も決まり、「Re:FLORA」の再生回数もじわじわと伸び続けていた。
事務所内での彼女たちの扱いは以前とは比べ物にならない。
チーフマネージャーはスケジュール表を埋めることに余念がなく、各メディアからのオファーも一部は断らないといけないほど届いていた。
Kからの直接の連絡は、相変わらず頻繁ではない。
しかし4人の胸の中には例のGPS端末がある。
小さな端末に登録された二つの番号。
「K」と「アンナ」。
それだけで4人には十分だった。
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ある日。
市場が揺れた。
FLORIAの事務所にニュース速報の通知が飛び込んできたのは、練習の休憩中のことだった。
『KFG、世界大手石油メジャー「アトランティス・エナジー」の買収完了を発表。全株式取得により完全子会社化』
美咲も手元の端末に届いた速報に目を止めた。
アトランティス・エナジー。
世界の石油産出量の8%以上を担うエネルギー業界の巨人。
各国政府との太いパイプを持ち、世界のインフラを文字通り「燃料」として支えてきた超巨大企業。
その企業がKFGの完全子会社になった。
「……K会長、また……」
本来であれば美咲はこのニュースを見ても何も感じなかっただろう。
世界のどこかで世界の凄い人が何かしている。そんな感想だったはずだ。
しかし、間近で何度も会っており、その側近の秘書から電話をもらいやり取りしている自分が不思議でしょうがなかった。
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そのニュースは瞬く間に世界を席巻した。
経済専門チャンネル、一般ニュース、SNS。
あらゆるメディアがこの「世紀の買収」を競うように報道した。
「KFGがついにエネルギー分野へ」
「世界のインフラの首元を押さえた男」
「一企業が石油を持つことへの国際的な懸念」
「Kはどこまで帝国を広げるのか」
各国の首脳が声明を出し、国連安保理では緊急会合が開かれ。
そしてKはその全てに対応するべく、世界規模の記者会見に臨んだ。
複数の言語での同時会見。
世界中の主要メディアから集まった記者たちが詰め掛ける中。
Kはいつもと変わらない冷徹で静かで、揺るぎない顔でその場に立った。
世界の批判も懸念も期待も。
全てを圧倒的な論理と実績で受け止め、一つ一つ、最短かつ完璧な言葉で返していく。
翻訳されたKの会見映像は、各国の放送局でリアルタイムに流れた。
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日本でも、当然大きく取り上げられた。
ニュース番組、ワイドショー、経済専門番組。
どの局も特集を組んだ。
「K会長、石油業界への参入で何を狙うのか」
「エネルギー安全保障への影響は」
「日本企業への波及効果を専門家が分析」
そしてFLORIAの事務所のラウンジに置かれた大型テレビにも、その映像が流れていた。
「きゃあ! Kさん!!」
最初に声を上げたのはミジュだった。
「会見やってますよ! 見て見て!」
ソユンが走り込んでくる。
「え、どこ!? どこの番組!?」
「こっち! こっちのチャンネル!」
サラがリモコンを手に音量を上げた。
画面の中でKが記者の質問に答えている。
相変わらず完璧な姿だった。
揺るぎない目。静かで確信に満ちた声。
世界の何百人もの記者を前に、一切の動じる様子もなく一人で立っている。
「かっこいい……」
ソユンがテレビの前で胸を押さえた。
「本当にかっこいいよね……なんでこんなにかっこいいんだろう」
「ね! スーツも今日のやつ特にかっこいい!」
ミジュがテレビ画面に顔を近づける。
「Kさん、今日の会見、何ヶ国語でやってるんだろう」
カエデが冷静に観察している。
「英語と日本語と……これドイツ語?」
「すごすぎるでしょ!!」
4人はそのままテレビの前に張り付いた。
石油会社の買収が何を意味するのか。
世界のインフラへの影響はどうか。
エネルギー業界のパワーバランスはどう変わるのか。
そういった内容については、4人ともほとんど興味がなかった。
ただ、Kが映っている。
Kが話している。
Kが世界中の記者を前に一人で立っている。
それだけで4人の目は釘付けだった。
「ねえねえ、録画してるよね?」
ソユンがミジュに確認する。
「してますよ! 当然です!」
「カメラ横顔に寄ってきて!」
サラがテレビに向かって叫ぶ。
「叫んでも聞こえないから」
カエデが半ば笑いながら呟いた。
しかしその目もしっかりと、画面のKを見ていた。
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ニューヨーク、KFG本社ビル最上階。
会見を終えたKが執務室に戻ったのは数時間後のことだった。
世界規模の記者会見。
各国首脳への個別説明。
国際機関への対応。
そのどれもが、通常の企業であれば何週間もかけて準備するような案件をKは淡々とこなしていた。
アンナはいつも通りKの傍らで、全ての対応のフォローをし続けていた。
執務室に戻り、コーヒーを一口飲んだKがふとアンナに言った。
「アンナ」
「はい」
「あいつらは、今日の会見を見てたと思うか?」
アンナは一瞬だけ目を閉じた。
「はぁ……確認してみましょうか」
「頼む」
アンナは美咲に短いメッセージを送った。
『本日の会見、FLORIAの皆様はご覧になっていましたか? 差し支えなければ様子をお聞かせください』
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日本、事務所。
美咲はアンナからのメッセージを見て、少しだけ笑った。
(……また、K会長気にしてるんだな)
美咲は正直に返信した。
『もちろん4人とも会見を見てました。録画もしてたみたいです。ただ石油会社については特に興味はなかったようで……K会長が会見で話されてる姿をずっと喜んで見ていました』
送信して数秒後。
アンナから一言だけ返ってきた。
『承知しました。ありがとうございます』
***
執務室。
アンナは美咲からの返信内容をKに伝えた。
内容を聞いたKの顔が、ほんの少しだけ曇った。
曇ったというよりも、落ち込んだと言った方が正確かもしれない。
世界最大の石油メジャーを買収した直後の男の顔として、それはあまりにも似つかわしくない表情だった。
「……興味なかったか」
「会社には……そうですね」
「俺が出たことは喜んでいた」
「はい。皆さんで録画もされたとのことです」
「……」
沈黙。
アンナはその沈黙の中で静かに、しかし確実に今の状況の「意味」を理解していた。
(……まさか)
(石油会社の買収を、FLORIAの皆さんに注目してもらうための「ネタ」として期待していたのではないか)
(世界のエネルギーインフラを手中に収めることを、4人の少女たちに「すごい!」と言ってもらいたかったがために……)
アンナはその仮説が真実である可能性が限りなく高いと判断した。
もちろん買収自体にはKFGとしての確固たる経済的戦略があるのは間違いない。
しかし、Kがこれほど早く会見に臨み、これほど広く報道させ、そしてすぐに「あの4人は見ていたか」と確認したという事実。
それらを繋げると。
(……あの子たちにチヤホヤされたかったがために、世界の石油を……)
アンナは頭痛を覚えた。
しかしその頭痛も今や慢性的なものとなっており、驚きの域を超えていた。
「……やはり、身近なものでないと興味を持てないということだ」
Kが独り言のように呟いた。
「はい?」
「石油よりもっと身近なものだ」
Kはそこで言葉を止めた。
何かを考えている目だった。
アンナは嫌な予感がした。
しかし次のKの言葉を止める術はなかった。
「アンナ」
「はい」
「若い秘書をここに呼べ」
「……何名、でしょうか」
「4、5人でいい。若くてセンスのあるやつらだ」
「……かしこまりました」
アンナは一礼して執務室を出た。
廊下に出た瞬間、深く静かに息をついた。
(また、何かしようと……)
その確信はアンナのキャリアで培われた最も信頼できる直感だった。
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数分後。
秘書フロアから5名の若い女性秘書が、緊張した面持ちで執務室へと向かった。
全員が20代。全員がKFGの秘書室に入るだけの優秀な人材たちだ。
しかしKの執務室に直接呼ばれるのは、ほとんど全員が初めてだった。
アンナが扉を開け、5人を中に通す。
Kはデスクを離れ、応接スペースのソファに余裕のある態度で腰掛けていた。
5人の秘書たちは緊張で背筋を伸ばし、きちんと並んで立った。
「……そんなに固くならなくていい」
Kが穏やかに言った。
「座れ」
「は、はい……」
5人はおずおずとソファの端に腰を下ろした。
Kは5人をゆっくりと見渡した。
「聞きたいことがある」
「はい」
「仕事の話じゃない」
5人が顔を見合わせる。
仕事の話じゃない。それがかえって緊張を呼んだ。
「何か、欲しいものはあるか?」
「え……?」
「今、何が流行っている? 」
そのあまりにも予想外の質問に、5人は一瞬固まった。
K会長が自分たちに、「欲しいものは何か」と聞いている。
その意図が全員に全く分からなかった。
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アンナは扉の傍に立ちながら、5人の秘書たちを静かに見ていた。
5人とも優秀な子たちだ。
しかし、この質問の「危険性」にまだ気づいていない。
(お願いしますよ……無難なものを、お願いします)
アンナは5人の秘書たちに向けて目線を送った。
面倒なことにならないように、と。
万が一にも宇宙旅行などという回答が出てきた日には、ここからの数年間、自分の仕事が宇宙関係になりかねない。
アンナの無言の切実なアイコンタクト。
一人の秘書がそれを受け取ったのか、少しだけ背筋を引き締めた。
(……何を答えればいいか、大体分かりました)
その秘書の表情を見て、アンナはほんの少しだけ安堵した。
Kの新たな「気まぐれ」の幕が、今静かに上がろうとしていた。




