【幕間①】アルカディアの嘆き
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FLORIAとKが出会った運命のライブの夜。
Kがリムジンの中でアンナに告げた、たった一言。「FLORIAをアルカディアの専属モデルにしよう」——その言葉が、アンナの指先を通じて、KFGニューヨーク本社へと届いた、あの夜。
FLORIAの4人がKとの突然の出会いに心を揺さぶられ、帰りのワンボックスカーの中でKの名前を検索していた頃。
世界は——静かに、しかし確実に動き始めていた。
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そのニュースは、数日後の朝、何の前触れもなくファッション業界を駆け巡った。
それは、まるでクラシック音楽のコンサートホールに、アラーム音が鳴り響いたかのような——不協和音だった。
『アルカディア、クラウディア・シュナイダーとの契約を電撃打ち切り。新ミューズにK-POPグループ「FLORIA」を起用』
最初は、誰もがそれを、質の悪いゴシップサイトのフェイクニュースだと思った。
《《あの》》アルカディアが?
伝統と格式を重んじ、常に時代の遥か先を行く、孤高のプレステージ・ブランドが。
世界的スーパーモデルを、契約期間の途中で、理由もなく解任?
そして、後任が——誰だ?
FLORIA?
聞いたこともない。K-POPアイドル。
しかし、それが公式発表であると知れ渡るのに、時間はかからなかった。
その瞬間——アルカディアを長年愛し、その世界観を信仰してきた者たちの間で、巨大な悲鳴と怒号、そして深い嘆きが渦を巻いた。
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SNSの反応
Aoi@モード系OL
嘘でしょ…?アルカディアの新ミューズがK-POPアイドルって…。今朝、悪い夢の続きでも見てるの?ブランドの公式アカウント見ても信じられない。#アルカディアの終わり
Élégance
何かの間違いであってほしい。アルカディアが築き上げてきた歴史と品格はどこへ?ポップでキャッチーなアイドルに、あのブランドの哲学が表現できるとは思えない。失望という言葉では足りない。
FashionLover
FLORIAってグループ、ググってみたけど…。ごめん、良さが全然わからない。この子たちがクラウディアの後任?冗談でしょ?マーケティング部門のトップ、クビにした方がいいんじゃない?
クラシック好き
若者への媚び方が、あまりにも安直すぎる。アルカディアはそういうブランドじゃない。流行を作る側だったのに。悲しい。本当に悲しい。#ArcadiaGoneWrong
辛口ファッション批評
アルカディア、迷走の極み。アジア市場が欲しいのは分かるが、やり方が三流すぎる。ブランドの価値を自ら毀損してどうする。長年買い支えてきた顧客を、全員敵に回したな。
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ファッション専門匿名掲示板の反応
スレタイ:【悲報】アルカディア、完全に終わる。新モデルに謎のK-POPアイドル
1: 名無しのクチュリエ
見たか、お前ら。
俺たちの愛したアルカディアは今日死んだ。
2: 名無しのクチュリエ
嘘だと言ってくれ。
あの、孤高のアルカディアが、K-POPアイドルに魂を売ったなんて。
18: 名無しのクチュリエ
FLORIAとかいう連中の宣材写真見たけど、もう目も当てられない。
ぺらっぺらの大量生産アイドル。
あの子たちに、アルカディアのドレスの重みと歴史が分かるわけないだろ。
35: 名無しのクチュリエ
それな。クラウディアのあの全てを見透かすような、知的な眼差し。あれこそがアルカディアだった。
次は、カメラに向かって、指でハートでも作らせるのか?吐き気がする。
52: 名無しのクチュリエ
もっと良い候補がいただろ。日本でも有名な女優がアルカディアファンあったはず。自分のSNSで、どれだけアルカディアへの愛を語ってきたか。ブランド側も知ってたはずだろ。FLORIAは今までアルカディアについて投稿したこと1回もない。
91: 名無しのクチュリエ
多分、アメリカ本社の、新しいマーケティング担当役員あたりが、暴走したんだろうな。
「これからはアジアのZ世代だ!」とか、浅いこと考えて。
ブランドの哲学なんて、何も分かってない馬鹿がトップに立ったに違いない。
124: 名無しのクチュリエ
もう買わない。
今までローン組んでまで買ってきたのが馬鹿らしくなった。
あのアイドルが着た服なんて、金をもらっても着たくない。
150: 名無しのクチュリエ
俺は信じてる。
ファンの声が届けば本社も間違いに気づくはずだ。
公式サイトに抗議のメールを送ろうぜ。
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それは、嵐だった。
ブランドの歴史上、経験したことのない——拒絶と、怒りの嵐。
世界中のアルカディアを愛する者たちが、声を揃えてその決定に「NO」を突きつけた。
しかし、その悲痛な叫びが、天上のさらにその上にいる、たった一人の男の耳に届くことはなかった。
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パリ、ヴァンドーム広場に聳え立つ「アルカディア」フランス本社。
その一室で、マーケティングディレクターの『アラン・デュボワ』は、悪夢のような光景を前に頭を抱えていた。
彼の目の前にある巨大なモニターには、世界中のSNSからリアルタイムで収集されたブランドへの言及が、滝のように流れ落ちていく。
そのほとんどが、美しい賞賛の言葉ではない。
怒り、失望、悲嘆、そして嘲笑。
『#アルカディアの終わり』
呪いのようなハッシュタグが、あらゆる言語でトレンド入りしていた。
「アランさん!顧客からのキャンセル要請が、鳴り止みません!」
「株主から説明を求める連絡が殺到しています!」
部下たちの悲鳴のような報告が、彼の耳を突き刺す。
しかし、アランの心は不思議と冷静だった。
いや——むしろその胸の奥底では歪んだ、しかし確かな高揚感すら生まれていた。
(……やはり、こうなったか)
彼は、この結果を完全に予想していた。
KFGとかいう、アメリカの巨大な金融資本が、我々のブランドを買収した時から。
そして、FLORIAとかいう品性の欠片もないK-POPアイドルを、ゴリ押ししてきた時から。
彼は、このブランドを誰よりも愛していた。
人生の全てを捧げてきた。
そのプライドが、彼に囁きかける。
これは——チャンスだ、と。
金で買収しただけでファッションの何たるかも分かっていない、あのアメリカのやつらに、本物の「ブランド価値」というものを教えてやる、絶好の機会なのだと。
彼は、秘書に命じた。
「KFGニューヨーク本社ブランド戦略担当と、緊急ビデオ会議をセットしろ。今すぐにだ」
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数時間後。
完璧に仕立てられたアルカディアのスーツに身を包んだアランは、自室のモニターの前に、自信に満ちた表情で座っていた。
手元には、この数時間で部下に作らせた完璧なレポートが用意されている。
ブランドセンチメントの垂直落下を示すグラフ。
顧客離反率の悪夢的な予測。
今四半期の壊滅的な売上予測。
これは——武器だ。
あの傲慢なアメリカ人たちの鼻をへし折り、自分こそが、このブランドを救える唯一の人間であることを証明するための、最強の武器。
やがてモニターに一人の男の顔が映し出された。
「……こんにちは。KFGブランド戦略部、ロバートです」
その男は、感情の読めない静かな目で、こちらに会釈した。
そのビジネスライクな態度に、アランは逆に闘志を燃やした。
「アラン・デュボワです」
アランは、威圧するように低く名乗った。
「本日は、緊急でお時間をいただき感謝する。単刀直入に言おう。貴殿らが下した、FLORIAとかいうグループの起用決定。あれは完全な失敗だ」
アランはそこから、マシンガンのように、用意してきたデータを画面に共有しながら捲し立てた。
「これが発表後の顧客の反応です。見ての通り、ポジティブな意見は皆無。長年我々のブランドを支えてきた、コアなファン層からの猛烈な反発を招いている!」
「そして、これが今四半期の売上予測。このまま何もしなければ、前年同期比で最低でも70%はダウンするでしょう。ブランドの信頼は地に落ち、回復には数年を要する。これはもはや、経営判断のミスというレベルではない。ブランドに対する破壊行為だ!」
アランはそこで一度、言葉を切った。
そして——とどめの一撃を放つ。
彼の最強の「脅し」を。
「ロバートさん。私はこのブランドを誰よりも愛している。だからこそ、敢えて言わせてもらう。このままFLORIAの起用を強行するならば、我々アルカディアの全てのクリエイティブチームは、ストライキも辞さない。そうなればどうなるか……お分かりですか?アルカディアは――死にますよ」
完璧な、最後通牒だった。
彼はモニターの向こうの男が顔面蒼白になり、慌てふためく姿を想像した。
そして、「どうすればいい、助けてくれ」と、自分に泣きついてくる姿を。
しかし——。
モニターの向こうのロバートという男の反応は、彼の想像とは全く異なっていた。
ロバートは、アランの情熱的な、そして悲壮なまでのプレゼンテーションを、終始表情一つ変えずに静かに聞いていた。
まるで、天気予報でも聞いているかのように。
そして、アランが最後の「脅し」を口にした後、数秒の沈黙を置いて静かに口を開いた。
「……アラン・デュボワさん。貴方のブランドへの情熱は理解しました。貴重なデータをありがとうございます」
その声は、あまりにも平坦で湿度がなかった。
「ですが貴方は一つ、根本的な勘違いをされている」
ロバートは、モニター越しのアランを真っ直ぐに見つめた。
「我々KFGは、アルカディアに売上など一切期待しておりません」
「……は?」
「アルカディアは、我々の会長が何らかの意図をもって個人的にポートフォリオに加えた、無数に存在する資産の一つに過ぎません。その《《真の意図》》が何か、我々も知りませんし、知る必要もない。我々はただ、会長の決定を実行するだけです」
アランの頭の中が、真っ白になる。
何の話をしているんだ、この男は。
ロバートは続ける。
その声はもはや、アランの存在など意に介していないかのように淡々としていた。
「そして今回、会長からの指示は専属モデルの変更とCM撮影のみ。『売上の確保』や『ブランド価値の維持』は一切含まれていません。我々KFGにとって重要なのは、会長の命令を実行することのみ。ですから、貴方の危惧する『ブランドの死』など、我々にとっては全く意味を持たない。指示通りに動かないのであれば、代わりはいくらでもいます」
アランはもう何も聞こえなかった。
耳がキーンと鳴っている。
視界がぐにゃりと歪む。
ロバートが最後のとどめを刺す。
「他にご用件は?」
ブツッ。
ビデオ会議は、一方的に、切られた。
***
アランは、ただ真っ暗になったモニターを見つめていた。
彼の人生をかけて築き上げてきたプライドも、美学も、ビジネスの常識も——全てがこの数分間で、音もなく粉々に砕け散ってしまった。
彼は、ゆっくりとデスクの上に置かれたFLORIAの宣材写真へと視線を移した。
そこに写る、無邪気な4人の少女たち。
カエデ、ソユン、サラ、ミジュ——。
笑顔だった。
無防備に、明るく輝くような笑顔。
ブランドの歴史も、ファッションの哲学も——何も背負っていないような、あまりにも軽やかな笑顔。
その背後にいる、絶対的な王。
怒りはもうなかった。
ただ深く暗い、海の底に沈んでいくような、圧倒的な畏怖だけが、彼の心を支配していた。
自分は、マーケティングディレクターなどではなかったのだ。
ただの——王の気まぐれな資産の番人。
その、あまりにもちっぽけな自分の本当の姿を。
彼は今日初めて知った。
——この、世界中の嘆きと怒りの声が渦巻く中、当の本人たちは何も知らなかった。
FLORIAの4人は、先日ライブを終えた達成感の余韻の中で、Kという不思議な男のことを、こっそりと語り合っていた。




