【幕間①】推しの待ち受け
******
FLORIAがアルカディアの専属モデルに就任したことが発表されてから約2週間後。
音楽番組の収録の合間。
******
割り当てられた楽屋は、つかの間の休息を求めるメンバーたちの穏やかな空気で満たされていた。
カエデはソファで静かに目を閉じ、ミジュは床に座り込んでストレッチをしている。
その中で——サラだけが、自分のスマートフォンを眺めながら、上機嫌に鼻歌を口ずさんでいた。
彼女のスマートフォンの画面には、数週間前に出会ったばかりの、あの男の姿が映し出されている。
経済誌の表紙を飾った、シャープなスーツ姿のK。
その、すべてを見透かすような鋭い視線。
ニュースサイトの片隅で見つけた、その一枚。
サラは、見るたびに胸が高鳴るそれを——大胆にも、待ち受け画面に設定していたのだ。
「……えっ、サラ?」
隣に座っていたソユンが、声を潜めて、しかし切羽詰まったような響きでサラの名前を呼んだ。
その視線は、サラのスマートフォンの画面に釘付けになっている。
「それ……Kさんの写真だよね!? 待ち受けにしてるの!?」
「ん? そうだよ。かっこいいでしょ?」
サラは悪びれる様子もなく、にっこりと笑う。
そのあまりの無防備さに、リーダーであるソユンの顔からサッと血の気が引いた。
「だ、大丈夫なの!? もし誰かに見られたらどうするの!? 変な噂になったら、Kさんにもご迷惑がかかっちゃうかもしれないんだよ!?」
ソユンの心配はもっともだった。
Kという存在がどれほど巨大で、デリケートなものか。
彼との関係はまだ始まったばかり。
些細な火種が、すべてを壊してしまう可能性だってある。
しかし、サラはそんなソユンの心配を、太陽のような笑顔で一蹴した。
「えー、大丈夫だって! ただのファンだと思われるだけでしょ? それに、こうしていつでもKさんの顔が見られれば、モチベーションも上がるじゃん!」
そう言って、サラは悪戯っぽくウィンクする。
「でも……」
「それに、見てるだけで幸せな気持ちにならない? 私たちの特別なお守りだよ、これは」
サラの言葉に、ソユンの心が揺れる。
確かに、そうだ。
Kの顔を見ているだけで胸が温かくなり、どんなことでも頑張れる気がする。
まだ一度しか出会っていない彼に、Kに近づきたい、Kのことをもっと感じていたい。
その抗いがたい欲求が、リーダーとしての理性と激しくせめぎ合う。
数秒間の葛藤の末——ソユンは、小さな声で呟いた。
「……私もやろうかな」
彼女は意を決すると、自分のスマートフォンを取り出した。
そして、数日前にこっそりと保存していた、お気に入りのKの写真を呼び出す。
インタビュー中にふと優しい表情で微笑んでいた——奇跡の一枚だった。
ソユンは誰にも見られないよう、素早くその画像を待ち受けに設定した。
スマートフォンの画面が、愛しい人の笑顔で満たされる。
それだけで、彼女の心臓は破裂しそうなほど大きく高鳴った。
***
数日後、別の番組の楽屋でのこと。
ソユンは本番前の僅かな時間に、そっと自分のスマートフォンを取り出し、待ち受け画面のKを眺めては一人で頬を緩ませていた。
その、あまりにも無防備な背後から——静かな、しかし有無を言わせぬ声がかけられた。
「ソユン?」
「ひゃっ!?」
ソユンは心臓が飛び出るかと思うほど驚き、慌ててスマートフォンを裏返して隠した。
振り返ると、そこには腕を組んだカエデが、絶対零度の表情で立っていた。
「あなた、リーダーの自覚あるの?」
カエデの声は、低く静かだった。
しかしその奥には、明確な呆れの色が滲んでいる。
「その待ち受け画面、何? もし今のを週刊誌のカメラマンにでも撮られていたら、どうするつもりだったの? あなた一人の軽率な行動で、Kさんにご迷惑をおかけするかもしれないって、どうして考えられないの?」
最年長としての、そして誰よりも冷静に状況を判断する彼女ならではの厳しい叱責。
その言葉一つ一つが鋭い刃となって、ソユンの胸に突き刺さる。
「ご、ごめんなさい……!」
ソユンは涙目になりながら、深々と頭を下げる。
パニックになった彼女の口から、思わず言ってはいけない言葉がこぼれ落ちた。
「で、でも……! サラもやってたから……私も大丈夫かなって……!」
その瞬間、カエデの氷のような視線が——楽屋の隅で何食わぬ顔でお菓子を食べていたサラへと突き刺さった。
「…………」
サラの動きがピタリと止まる。
彼女はゆっくりとぎこちない動きでカエデの方を振り返ると、「えへへ……」と乾いた笑みを浮かべた。
***
そして、その時。
楽屋のもう一方の隅では、小さなもう一つの事件が起きていた。
カエデの怒声を聞いたミジュが、びくりと肩を揺らしたのだ。
何を隠そう——彼女もまた、サラとソユンに話を聞き、数日前からこっそりとKの写真を待ち受けに設定していたのである。
(やばい、巻き込まれる……!)
ミジュはカエデに気づかれないよう必死に平静を装いながら、机の下で猛烈な速さでスマートフォンを操作し始めた。
待ち受け画面を、初期設定の味気ない風景画に戻そうと指が震える。
しかし——。
「ミジュ」
カエデの地を這うような低い声が、ミジュの名前を呼んだ。
ミジュの心臓が喉から飛び出そうになる。
おずおずと顔を上げると、そこには鬼の形相のカエデが仁王立ちになっていた。
「あなたも、でしょう?」
「ひっ……!」
「その机の下での操作、全部見えてたわよ」
「……」
ミジュは観念したように、スマートフォンをそろりと机の上に置いた。
画面には——まだ、Kの顔が待ち受けとして表示されていた。
カエデは天を仰ぎ、深く、長いため息をついた。
「……三人とも」
その声はもはや怒りを通り越し、呆れの響きを持っていた。
「今すぐ元に戻しなさい。そして、自分の行動がどれだけ危険なことだったか、ちゃんと考えなさい」
カエデの有無を言わせぬ命令に——ソユンとサラ、そしてミジュは、まるで叱られた子供のようにしょんぼりと肩を落としながら、それぞれの待ち受け画面を風景画へと戻していく。
楽屋が、しんとした沈黙に包まれた。
「……カエデさんは」
ミジュが、おずおずとか細い声で口を開いた。
「やってないんですか……Kさんの写真、待ち受けに」
「……」
カエデは一瞬、動きを止めた。
「やってない」
「本当に……?」
「やってない」
カエデはきっぱりと答えた。
そして、そのまま静かに、自分のスマートフォンをポケットに収めた。
なんとなく——三人とも気づいていた。
カエデのスマートフォンの「ポケットへの収め方」が、少しだけ早かったことを。
しかし、誰もそれを口にしなかった。
口にしたらカエデに何をされるか分からなかったし、なにより、もし追及してカエデも《《やってた》》としたら、この関係性が崩れてしまう。
それはなんだか、三人とも守りたかった。
楽屋に、静かな、温かい沈黙が流れた。
「……本番、もうすぐよ。準備して」
カエデがいつも通りの静かな声で言った。
「「「はーい……」」」
三人はしょんぼりしながらも、それぞれのスマートフォンを、そっと自分のバッグの一番安全な場所にしまい込んだ。
待ち受けには戻せない。でも——心の中には、ずっとある。
それで、十分だった。
***
——ちなみに。
その日の夜、ソユンは自室のベッドの中で、布団を被り丸まりながらこっそりとスマートフォンの待ち受けをKの写真に戻した。
サラは翌朝、スタジオに向かう車の中で堂々と元に戻した。
ミジュは——カエデに言われたその場で戻したふりをして、実は最初から戻していなかった。
そして、カエデは——。
彼女のスマートフォンの待ち受け画面が何であるかは、神のみぞ知る。




