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世界一の大富豪が私たちの味方です!  作者: Project_FLORIA
【リ・フローラ編】

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【リ・フローラ編】第10話

午後8時過ぎ、霞が関。


国家戦略諮問会議の全セッションを終えたKは、特に疲労を見せることもなく、会場を後にした。


大臣以下、経済閣僚たちがずらりと並ぶ玄関で、再びの最敬礼を背に受けながら、Kは軽く一礼だけを返して、待機していた巨大なリムジンへと乗り込んだ。


車内には、すでに待機していた秘書たちが座っていた。


全員が若く、優秀な、KFG本社秘書室のエリート陣。


美貌と実務能力を兼ね備えた、厳選された才媛たち。


Kが車内に足を踏み入れた瞬間、彼女たちは、一斉に甘い声を上げた。


「会長、お疲れ様でございました」

「ご体調、お変わりございませんか?」

「温かいお飲み物、ご用意しております」


普段の業務中には見せない、ほんの少しだけトーンの柔らかい、労いの挨拶。


若く美しい女性たちが一斉に気遣いの言葉を投げかけてくるその光景——。


世の多くの男性にとっては、小さな天国だろう。


しかし、Kは。


その声に対して、特に反応はしなかった。


「ああ、お前たちもな」


ただそれだけを短く返して、自分の定位置の革張りシートに腰を下ろした。


続いて、アンナが乗り込み、Kの向かい側の席に音もなく着席した。


普段通りといえば、普段通り。


しかし、女性としては、少しだけ物足りない反応でもある。


だがそれを、実際にKに伝える秘書は当然いなかった。


***


リムジンが滑り出して、車内が落ち着いた頃——。


Kは、少しだけ急ぐような動きで、傍らに置かれたタブレットを手に取った。


画面をつける。


待ち受けは、ある一枚の画像だった。


例のアルカディアのCM撮影のあと、FLORIAの4人が、お礼として送ってきた動画メッセージ。


あの30秒の、拙くて、まとまりのない、しかし心からの感謝が込められた動画。


その中の、一場面。


4人が画面に向かって、満面の笑みで「Kさーん!」と声を揃えた、あの瞬間。


その一場面を、静止画として切り出し、Kはタブレットの待ち受けに設定していた。


世界最大の金融帝国を率いる男が。


先ほどまで国家の未来を論じていた男が。


待ち受け画面に、若い女の子たちの動画のスクリーンショットを設定していた。


Kは、そのタブレットの画面を、じっと見つめた。


4人の笑顔。


無邪気に、幸せそうに、自分に向かって笑いかけてくれている。


その画面を見つめるKの目は——。


先ほど国家戦略を論じていた時の、冷徹で計算された目では、なかった。


ただ、遠くの何かに恋焦がれるような、そんな目だった。


***


向かいの席で、アンナは、音もなくため息をついた。


(全く……)


(それがつい先ほどまで、日本政府と国家戦略を議論してた男のする顔ですか……)


この男の一言一句で、国家の数十年先の金融政策が、根本から書き換えられた。


今、日本の財務省と金融庁の幹部たちが、Kの指摘を反映した新しい方針書の作成に追われているはずだ。


そんな会合を、涼しい顔で終えてきた男が——。


今、タブレットの中の女の子たちに、恋する少年のような目を向けている。


あまりにも壮絶なギャップ。


アンナは、もう何度目かわからない「この男の二面性への諦め」を、胸の奥に収めた。


***


しばらくして、Kがふいに顔を上げた。


「アンナ」


「はい」


タブレットの画面から視線を離さぬまま、Kは静かに言った。


「帰る前に、寄れるか?」


アンナは、一瞬、無表情のまま、Kの顔を見た。


《《寄る》》。


それが、どこを指しているのか。


確認する必要はなかった。


(……全く)


(数時間前に、あれだけ格好つけてお別れしたばかりで)


(今、情けなく「また会いたい」とおっしゃっている)


もちろん、Kが本気でそう決めれば、全てのスケジュールは捻じ曲がる。


プライベートジェットの離陸時刻も、ニューヨークでの明日の会議の時間も、関係者の動きも——この男の一言で、全てが再調整される。


各国の大統領相手でさえ、Kの都合に合わせて面談の時間を調整することが、過去には実際にあった。


Kが寄ると決めれば、それは、絶対だ。


しかし。


アンナはあえて、Kの言葉に同意しなかった。


「会長、明日もニューヨーク本社にて重要な会議が分単位で詰まっております」


「……」


「このままアメリカに戻らなくてはなりません」


アンナは、落ち着いた声で、そう告げた。


「……そうだな」


Kは、ほんの一拍の沈黙の後、短く頷いた。


それ以上、何も言わなかった。


***


アンナは、少しだけ安堵した。


もし今、Kが「FLORIAにもう一度会いたい」と本気で言ってしまえば——。


4人はもちろん、大喜びで迎えるだろう。


数時間前にお別れしたはずの王が、帰る前にもう一度会いに来てくれた。


事務所だって断れるはずもない。


しかし。


それは、「スマートな年上の男性」の振る舞いではない。


今日、別れ際にKが4人へ残した、あの穏やかで、少し余裕のある笑顔——。


「また、すぐ会おう」


その言葉の余韻を、そのまま彼女たちの胸に残しておくべきだ。


数時間後に「寄ってしまった」という事実は、王としての格をわずかに損なう。


アンナは、主君の「格」を守るために、あえてKの願望を押し戻したのだった。


Kも、その意図を察したのだろう。


タブレットに視線を戻したまま、それ以上は何も言わなかった。


車は静かに空港へと向かっていった。


***


プライベートジェットが、滑走路へと移動する。


KFGが保有する、最新鋭の機体。


通常の旅客機の数倍の快適性を備えた、空飛ぶ宮殿とでも呼ぶべき機内。


Kが機内のラウンジに着席し、離陸の準備が進む——。


その時だった。


秘書の一人が、慌ただしい足取りで、アンナのもとへと駆け寄った。


「アンナさん」


「どうしました」


「今、FLORIAのマネジメントチームより、メールが届きました。件名が——」


秘書は、声を抑えながら、告げた。


「『歌詞に込めたいお言葉』、と」


アンナの眉が、僅かに動いた。


(……早いですね)


別れて、まだ半日ほどしか経っていない。


にも関わらず、もうそれぞれの「言葉」を送ってきた。


恐らく、Kを待たせてはいけないと、あの後すぐに取り掛かったのだろう。


アンナは息を整えてから、Kのもとへと向かった。


***


機内のラウンジ。


革張りの広々としたソファに座り、タブレットの待ち受け——例の画像——をまた眺めていたKのもとに、アンナが近づいた。


「会長」


「ああ」


「FLORIAの皆様から早速、歌詞に込めたいお言葉、というタイトルでメッセージが届いたようです」


その瞬間——。


Kの身体が、ほんの僅かだが、明確に、びくっと反応した。


ゆっくりと、アンナの方を、振り返る。


「……そうか」


静かな声だった。


しかし、次の一言には、隠しきれない動揺が滲んでいた。


「……それで、その……」


「はい」


「……見たのか?」


アンナは、内心で深く呆れながら答えた。


「……もちろん、拝見しておりません。彼女たちのプライベートなメッセージですので、未開封のまま会長の端末へ転送いたしました」


「……そうか」


Kは、少しだけほっとしたような顔をした。


(……何をそんなに警戒されているのですか)


自分に対して独占欲を持っているわけはないだろう。


自分はKの秘書であり、メッセージの中身を先に確認するのは通常の業務フローだ。


しかし、FLORIAに関することは、情報を先に見られることを嫌がる。


彼女たちが送ってくる言葉を、まず一人でじっくりと味わいたい。


他の誰にも、先に触れられたくない。


そういう、あまりにも子供じみた独占欲の表れなのかもしれなかった。


(……本当に、彼女たちのことになると、挙動不審になられますね会長)


アンナはもう、頭が痛くなることすらなくなっていた。


諦めのフェーズを、通り越していた。


***


Kは、タブレットを握り直して、少しだけ背筋を伸ばした。


そして、静かにアンナを見た。


「アンナ」


「はい」


「お前も今日は疲れただろう」


「……いえ、お気になさらず」


「着くまで休め」


「……」


「他の秘書たちも、同じだ」


Kは、機内の奥の方——秘書たちが待機しているエリア——に一瞥を送った。


「俺のことは構わなくていい」


その言葉の真意を、アンナは完璧に理解していた。


(……つまり)


(今から彼女たちの愛の込もった言葉を、一人で眺めるつもりなので)


(絶対に、誰も、こちらに入ってくるな、というご命令ですね)


あまりにも、あまりにも、情けない指示だった。


世界の王が、若い女の子たちからのメッセージを、誰にも邪魔されずに一人で読みたいと部下に命じている。


アンナは、完璧な無表情のまま深々と頭を下げた。


「……かしこまりました」


彼女は静かに、Kの元を離れた。


***


秘書たちの待機エリアへと戻ると、アンナは若い秘書たちを一度集めた。


「……この離陸後、フライト中は」


彼女は低く、しかし明確な声で告げた。


「何があっても、会長のもとへは行かれないように」


「……はい」


秘書たちは、少しだけ不思議そうな顔をした。


しかし、すぐに頷いた。


もともとKFGの秘書として、単独判断で会長へ接することはほぼない。


重要な案件は、全てアンナを経由して伝達される。


アンナの許可なく、誰かがKのもとへ向かうことなど、通常はあり得ない。


しかし。


アンナは、念のため釘を刺したのだった。


(会長が今、どれほど無防備な表情をされているか、若い秘書たちに見せるわけにはいきません)


王の威厳のために。


そして、この不器用な主君の、唯一の「守るべき時間」を守るために。


***


機体が、静かに離陸する。


日本の街の光が、眼下で小さくなっていく。


Kが一人で座るラウンジからは、何の物音もしない。


完全な静寂。


アンナは、自分の席で、タブレットを手に取った。


しかし——。


彼女もまた、今日という一日の重さに、さすがに少し疲れていた。


一日の中で、彼女の頭脳は、何百もの判断を音もなく処理し続けた。


アンナは、機内の柔らかな照明の下で、そっと目を閉じた。


いつもなら、フライト中も業務を続けているはずの彼女が——。


柄にもなく、そのままうたた寝に落ちていった。


***


一方、機体前方のラウンジ。


Kは一人、革張りのソファに深く身を預けていた。


静かな上空。

雲の上の、完全な静寂。


彼は、静かに、呼吸を整えた。


そして——


タブレットを開き、アンナが転送してくれたメッセージを開いた。


***


画面には、3人のそれぞれのメッセージが並んでいた。


カエデ:秘密

ソユン:永遠

ミジュ:魔法


サラは作曲担当として、平等になるよう言葉の提供はしない。


たった、三つの単語。


Kはその画面を、じっと見つめた。


***


カエデ——秘密。

4人の中で、最も理性的で、言葉に重みを置く彼女。

「秘密」という言葉の奥に、どんな感情が込められているのだろう。

自分たちの関係性を、大切に仕舞っておきたい、という想いだろうか。


あるいは——誰にも言えない自分自身を言葉にした告白だろうか。


ソユン——永遠。

リーダーの彼女。

4人の中で、最も純粋で一途な少女。

シンプルでいて、あまりにも重い言葉。

この関係が、いつまでも続いて欲しい、という願いか。


あるいは——愛情の約束か。


ミジュ——魔法。

末っ子の彼女。

ロイヤル・ソレイユの一件で、自分が救い出した少女。

彼女にとって、あの出来事は、魔法のように感じられたのかもしれない。


あるいは——恋という最も原始的な魔法か。


***


Kは、そのたった三つの単語を、長い時間じっと見つめた。


世界一の頭脳と称される男が、

乙女たちの一語に込められた想いを、深く深く想像していた。


時には企業の利益拡大のため、時には国家の金融政策を論じる冷徹な頭脳が。


1分で一般人の生涯賃金ほどの資産を生み続ける資本主義の王が。


今、この瞬間は——。


一人の男として、愛する女の子たちの言葉の奥を、読み取ろうとしていた。


***


やがて、Kはゆっくりと手を動かし始めた。


サラが曲をつけるための、詩。


5人で作る、一つの曲。


3人の少女たちが、それぞれの胸の中から選び抜いて送ってきた、三つの言葉。


それらをどう編み込めば、一編の詩として美しく響くか。


「秘密」から「永遠」へ、そして「魔法」へ繋げる構造。

あるいは、「魔法」から始めて、「秘密」を挟んで、「永遠」で閉じる構造。


Aメロ、Bメロ、Cメロのそれぞれに、どの言葉を残すか。


詩の草稿が、形を成し始める。


しかし——。


「……違うな」


Kは、その草稿を放棄した。


もう一度組み直す。


「……まだだ」


再び、放棄する。


一度、三度、五度——。


何度も詩を完成させては、壊し、また組み直した。


***


彼は、これまでの人生で、いくつもの巨大なディールを、この頭脳で処理してきた。


兆単位の資産の流れを、瞬時に判断してきた。

国家規模の政策を、その場で最適化してきた。


しかし——。


今、彼が挑んでいるのは、たった一編の詩だった。


それも、若い女の子たちに届けるための、愛の詩。


どんな金融ディールよりも、どんな国家戦略よりも——。

彼の頭脳は、真剣にこの一編の詩に向き合っていた。


***


プライベートジェットは、静かに太平洋を渡っていく。


機内はほとんど無音。


前方のラウンジで、一人詩を紡ぎ続けている。


後方のキャビンで、疲れた秘書たちが、静かに眠っている。


アンナもまた、柔らかなブランケットを膝にかけて、うたた寝に落ちたまま。


誰も、王の時間を邪魔しない。


太平洋上空、3万フィート。


そこで紡がれる詩は——。


世界で最も高価な時間と、最も純粋な想いとで、織り上げられていた。


Kは、繰り返し、繰り返し、頭を働かせ続けていた。


太平洋の夜の闇を越えて、やがて東海岸の朝日が見えてくるその瞬間まで。


ずっと——。

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